最近、社労士としての業務で「勤務先が社会保険に加入してくれない」という相談を受けました。
■ブラック企業ではなかった
典型的なブラック企業なのかと思い話を聴くと、相談者の勤務先が小規模なため、勤務先に社会保険の加入義務が無いということが分かりました。
相談者には「あなたの勤務先は社会保険に加入する法的義務がそもそも無いようです」と説明をしたのですが「私の勤務先が社会保険に加入する義務が無いことは先生の説明で理解しましたが、零細企業で働くことは色々と不利なのですね」と残念そうでした。
企業体力を踏まえて法律でも様々な特例が設けられているので、どうしても小さい企業の労働条件が厳しくなることはやむを得ない部分もあるのですが、小さい会社で働くにあたって、こういうところで労働条件が厳しくなる可能性がある、ということは知っておいたほうが良いと思いますので、本稿でまとめてみることにしました。
具体的には5つの留意点があります。
■社会保険の適用対象外になっている
第1は冒頭の事例の通り、社会保険に加入することができない可能性があるということです。
フルタイム、またはおおむね週30時間以上働いていれば勤務先で社会保険(健康保険+厚生年金)に加入できて、社会保険に加入していない事業所はブラック企業であるというのはほぼ正解です。
しかしながらそこには例外があります。法人事業主であれば社会保険加入義務は絶対なのですが、従業員5人未満の全個人事業主、もしくは従業員5人以上であっても美容室、飲食店、農林水産業など一定の業種に該当する個人事業主には社会保険の加入義務がありません。
就職先の事業運営母体が法人ではなく個人事業主である場合は、社会保険に加入することができない可能性があることに気を付けて下さい。
■法定労働時間が週40時間ではなく週44時間
第2は法定労働時間が長い可能性があるということです。
労働基準法で定められた法定労働時間は1日8時間、1週40時間までですが、10名未満のサービス業などの事業所の場合は、法人事業主・個人事業主に関わらず、1日8時間は変わりませんが1週44時間まで法定労働時間か拡大されます。
したがって時間外の割増賃金(いわゆる残業代)を支払うことなく、週休1日制で月~金は8時間+土曜日は4時間勤務(いわゆる半ドン)という勤務体系が合法になります。
1ヶ月単位の変形労働時間制が適用される場合も、たとえば31日の月は、通常の事業所であれば177.1時間が月の法定労働時間の総枠の上限ですが、1週44時間が適用される事業所の場合は194.8時間まで月ベースでの法定労働時間の上限が拡大されます。
■就業規則が作成されていない
第3は、就業規則が存在しない可能性が高いということです。
労働基準法では「常時10人以上の労働者を使用する事業所」に対して就業規則の作成および所轄の労働基準監督署への届出を義務化しています。
就業規則の作成は手間がかかります。社会保険労務士や弁護士のような専門家に作成を依頼する場合には少なくとも10万円以上の報酬が発生するのが相場観ですので、私の実務感覚になりますが従業員数名の事業所が就業規則を作成しているケースは少ないです。
就業規則が存在しなければ「どのような種類の休暇があるのか」「昇給や賞与はどのようなルールになっているのか」「大きな怪我や病気をしたとき休職はどのくらいの期間可能なのか」といったことが曖昧になってしまい、都度事業主との話し合いや、場合によっては事業主の胸先三寸ということにもなってしまいかねません。
従業員数10名以上の会社であっても就業規則が「お飾り」になってしまっているケースもあります。しかしながら、何かトラブルが発生したときに「より所」となる就業規則が存在するかどうかだけでも働く人にとっての安心感としては大きな違いがあります。
■有給休暇の取得などが「現実的に」難しい
第4は、有給休暇の取得や退職などに関する現実的な意味での難しさです。
就業規則の作成有無に関わらず、有給休暇や育児休業など、労働期基準法や育児介護休業法といった法令に定めのある休暇については、全ての働く人が取得できる権利を持っています。しかしながら、実務上で考えるとなかなか額面通りにはいきません。
人員配置に余裕のある大企業であれば、周囲がフォローしたり、仕事を調整したりすることで有給休暇を取得することは比較的容易ですが、ギリギリの人数で回している零細企業では誰かが休むと直ちに事業の運営が立ち行かなくなってしまいます。
事業主が「有給を取るな」と指示するのは違法なので、さすがにそのようなことをあからさまに言う事業主は昨今減少していると思いますが、やはり「空気を読む」的なことを考えると、零細企業で有給休暇を申請することは難しい場合が少なくないようです(もちろんそのような状況が好ましいはずもありません)。
退職をするにあたっても「自分が辞めたら業務が回らなくなってしまう」とか「同僚が休日出勤だらけになってしまう」とか、そういった状況が目に見えるため、とくに責任感が強く真面目な人ほど何か事情があっても退職を決意することが難しく、仕事と家庭の間で板挟みに陥ってしまうこともあります。
■第三者の目によるチェックが入りにくい
第5は、第三者によるチェックの目が入りにくいというリスクです。
ここまで述べたように、零細企業においては社会保険も適用除外で就業規則の作成提出義務も無いとなると、会社の労働条件が社外の第三者の目に触れることがありません。
社会保険に加入していれば、年金事務所の定期調査で賃金台帳や出勤簿の確認が行われます。就業規則を提出する際も、受理印を押されて終わりということも多いのですが、明らかに内容がおかしい場合は労働基準監督官等から指導を受けることもあります。
社員への定期健康診断の結果を所轄労働基準監督署へ提出したり、ストレスチェックを実施したり、産業医と契約をしなければならないのは従業員数50名以上の事業所ということになっていますので、健康管理面でも零細企業はブラックボックスになりやすいと言わざるを得ません。
加えて、法人であれ個人事業主であれ、ほとんどの事業主が顧問税理士と契約をしますが、労務の専門家である社会保険労務士と顧問契約をするのは事業が一定の規模になって、社内で労務手続や給与計算を行うことが煩雑になった段階になることが多いです。
手前味噌になりますが、顧問の社会保険労務士がいれば、社内の労働環境をチェックしておかしいことがあれば事業主にアドバイスをして改善を図っていく流れになりますが、社会保険労務士が関与していなければ法的におかしなことがあっても、大きな問題が発生して労働基準監督署の立ち入り調査があったり、労使紛争で裁判が起きて弁護士が関与したりしてこない限り、長期間にわたり改善が図られないというリスクも懸念されるところです。
■結び
全ての零細企業の労働条件が大企業より悪いということではありません。本稿において「だから零細企業はダメなんだ」と貶める意図もありません。
ただ、働く人に客観的な情報を提供したいという意図において、冒頭に受けたような相談があったことも踏まえ、この機会に記事にしてみました。
零細企業であっても、独自の創意工夫やアイデアで大企業をしのぐ収益性を生み出し、しっかりと社員への還元や労働条件の改善につなげている企業も世の中には存在しますので、そのような企業があることも忘れてはならないと思います。
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榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー 特定社会保険労務士・CFP