4月27日より働き方改革関連法案が衆議院で審議入りする予定であると報じられた。
■高度プロフェッショナル制度以外は労働者保護につながる法案
審議される法案のうち、高度プロフェッショナル制度に関しては、残業代ゼロの過労死法案だという批判もあるが、それ以外に関しては、36協定に罰則付の上限を設定するとか、年間5日以上の有給付与を義務化するとか、勤務間インターバル制度を推奨するといったような、過重労働の防止やワークライフバランスの確保といった、労働者保護の色彩の強い法改正である。
高度プロフェッショナル制度と並び、批判の対象であった裁量労働制の適用拡大も、不適切なデータ問題で先送りとなったので、この点においても、今回の働き方改革関連法案が労働者保護のための法改正であるという位置づけを一層濃くした。
以上を踏まえると、今回の働き方改革関連法案が成立した場合、労働者にとっては、大きな権利確保の進展という見方もできる。
■法案成立だけでは「絵に描いた餅」の懸念
しかしながら、私には、法改正が「絵に描いた餅」にならないかという懸念がある。
すなわち、どんなに立派な働き方改革関連法案が成立したとしても、それが順守されるための仕組みや裏付けがなければ、法律に合致しない状態が野放しにされてしまう恐れがあるということだ。
そこで、働き方改革法案を実務上も根付かせるために必要なことを、本稿においては3つ提案したい。
■罰則の実効性の確保
第1は、実際に法令違反があった場合の罰則の実効性の確保である。
たとえば、現在の労働基準法においても、36協定を結ばずに残業を行わせた場合には、「6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金」が課されることとなっている。
しかしながら、実務上の多くのケースにおいては、起訴されることなく行政指導で終わったり、仮に起訴されたとしても罰金刑が課されたりするだけで、経営者が懲役刑を課されたという話は、少なくとも私が知る限りでは存在しない。
確かに、うっかり更新が漏れていたとか、36協定を結んだもののやむを得ず上限を超えてしまったというような場合まで懲役刑のような重い罰則を課すことは行き過ぎであろう。
しかしながら、悪質なブラック企業であったとしても、経営者が違法な残業による懲役刑を受けたという事例は、存在しないか、仮に存在したとしてもレアケースと考えられるため、労働基準法上には罰則があったとしても、現実的には抑止力になっていないということが懸念される。
今回の働き方改革関連法案の目玉の1つにも「罰則付きの36協定の上限」を制定するという話があるが、その「罰則」が法文上に存在するだけで、36協定の上限に違反する企業に対して適用されない状態が続いたならば、実務上は、「罰則付き36協定の上限」は、「張子の虎」になってしまいかねない。
厚生労働省や労働局が、どのくらい本気で「罰則付き36協定の上限」を運用しようとしているかはまだ分からないが、少なくとも、悪質な36協定の上限違反に対しては、立法の趣旨に沿った取締りを行って頂きたいものである。
■労働基準監督官の人手不足の解消
第2は、労働基準監督官の人手不足の解消である。
労働基準法違反が見過ごされてしまったり、罰則を発動させたりできないのは、労働基準監督官の人手不足にも原因があると言われている。
厚労省によると、2016年度末、監督官の定員は計3241人。電通の違法残業事件などを受け、17年度も50人増員した。ただ、全国の事業所は400万カ所超で、監督を実施するのは毎年全体の3%程度にとどまり、慢性的な人員不足が指摘されている。(2017/8/23 日本経済新聞)
上記のように報道されているとおり、事業所数に対して労働基準監督官の数が圧倒的に少ない。単純に割り算をすると、監督官1人あたり1,234事業所を監督しているということになり、明らかにマンパワー不足である。
確かに、労働基準監督官を増員することも必要であるが、100人や200人増員されたとしても、全体に目を行き届かせることは現実的に難しい。
そこで、次のような3つの施策も検討に値するのではないだろうか。
1つ目は、ハローワークと労働基準監督署の連携である。
現在、キャリアアップ助成金や両立支援助成金など、雇用に関する多くの助成金制度が用意されており、主にハローワークが窓口になって助成金の申請を受け付けていて、実際に多数の事業主が助成金を申請している。
ハローワークやその上位機関である労働局では、助成金の支給決定をするにあたり、賃金台帳や出勤簿を審査書類として提出させ、残業代の払い漏れがないかということや、最低賃金を下回っていないかということなどを、非常に厳しくチェックしている。
法令違反があれば助成金が不支給になることは当然であるが、ハローワークや労働局もかなりの時間と人員をかけて審査をしているので、審査の中で見過ごせない法令違反を発見したら、労働基準監督署に連絡するような仕組みを構築するなど、役所間の連携で効率的に法令違反を取り締まっていくというようなことが考えられるのではないだろうか。
先行事例で言えば、日本年金機構は平成27年度より、国税庁から情報提供を受けることで、社会保険未加入事務所のあぶり出しを効率的に行い、加入勧奨を強化していくという施策を実行に移している。
2つ目は、労務監査や「労働決算」の義務化である。
上場企業であれば決算の適正さを担保するために、公認会計士による会計監査が行われているが、これと同じような考え方で、少なくとも一定規模以上の企業に対しては、弁護士や社会保険労務士よる労務監査を義務付けるということが考えられよう。
また、全ての企業は納税のために税務署に決算の申告を行うが、これと同様に、労働時間や残業時間、支払った残業代など、いわば「労働決算」の申告を労働基準監督署に行うような制度を検討することはいかがであろうか。
3つ目は、ITの活用である。 昨今はITの進歩により、36協定なども電子申請ができるようになっているが、国策として電子申請をどんどん進めていき、上述した「労働決算」も電子申告を行うことを原則とすれば、申告されたデータ内容を、コンピュータがAIで解析し、法令違反の可能性が高い事業所を自動でピックアップすることが可能となるであろう。
ピックアップされた事業所に対して、労働基準監督官は立ち入り調査を行うなどの仕組みを構築すれば、限られた人員で効率的な法令違反の取り締まりを行うことができるのではないだろうか。
■労働者の方にこそ労働基準法を知ってもらう
第3は、労働者が労働基準法等の法令を知る機会の確保である。
労働基準法が労働者の権利を守るために改正されたとしても、それを労働者自身が知らなければ恩恵を受けることができないし、「勉強しない労働者が悪い」と全てを自己責任論にしてしまうのも酷である。
実際、法的な前提知識がなければ官報を読んで法改正の内容を理解することは困難であるし、市販の書籍などでも、どちらかといえば専門家や会社の人事担当者を読者として想定したものが多いので、一般の方が労働基準法を体系的に学ぶ機会というのは、なかなか存在しない。
そうであるから、これは私自身も社会保険労務士の1人として考えなければならないことであるが、行政や社会保険労務士会などが一般の方向けの労働基準法の勉強会を企画したりとか、You Tubeのような媒体でWeb講座をアップロードしたりとか、様々な角度から啓蒙活動を図っていかなければならないであろう。
これから社会に出る大学生や高校生に対しては、労働基準法の出前授業なども効果が期待でき、実際に各県の社会保険労務士会ではこの取り組みが始まっている。
こういった取り組みをさらに推し進めて、義務教育に労働基準法を組み込むといった、国策レベルでの取り組みも検討に値するのではないだろうか。
■まとめ
今回審議される働き方改革の法案は、高度プロフェッショナル制度を除き、労働者にとっては恩恵を受ける法改正が大半である。
しかしながら、その恩恵が「絵に描いた餅」にならないようにするためには、法律が成立して「以上終了」ではなく、どうすればその成立した法律に「魂」を入れて、実効性を持たせた運用ができるのか、行政も、私たち専門家も、そして労働者の方々も、真剣に考えていかなければならないであろう。
加えて、経営側の立場の方々も、人材不足・採用難である現代において、「どうやって法の抜け穴を探すか」という消極的な対応ではなく、「どうやって法律を守って優秀な人材に気持ちよく働いてもらうか」を積極的に考えていくほうが、人材に恵まれて、長期的な会社の維持・発展につながっていくのではないだろうか。
《参考記事》
■働く人が労災保険で損をしないために気をつけるべき"3つのウソ" 榊 裕葵 http://sharescafe.net/41626385-20141030.html
■国民年金保険料2年前納制度のメリット・デメリット 榊 裕葵
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■働き方改革第一弾として、ホワイトカラーが今すぐ無くせる5つの残業 榊 裕葵 http://sharescafe.net/50496544-20170123.html
榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー 特定社会保険労務士・CFP