四月一日、東京都杉並区から島根県に移住した。
狩猟と、そのお肉に関する事業に携わるためだ。
私が移住した島根県の中央部は、低い山々が連なり、森林・竹林と水田・農耕地との距離がとても近い。
人も動物も、山と山の狭間で、そこに流れる川を囲んで生きているからだ。
中でも、イノシシは、植物の地下茎、果実、タケノコなどの食料が豊富で、水場が多い、山から平地にかけての緩やかな地形を好んで生息する。
だから、ここ、島根県邑智(おおち)郡は、イノシシが生きやすく、増えやすい地域として、人とイノシシが共存してきた歴史がある。
イノシシ肉というと、まず、どんな料理を思い浮かべるだろうか。
たいていの人が、牡丹鍋を思い浮かべるかもしれない。
脂身がたっぷりのスライス肉は、お皿に盛ると牡丹のように美しく、イノシシ特有の脂のうまみを贅沢に愉しむことができる。
また、牡丹鍋に使われることが多いロースという部位は、肉質が柔らかく、キメも細かいので、最も扱いやすく、美味しい(食べやすい)と言われている。
さらに、牡丹鍋に使われるようなイノシシは、越冬に備えてまるまる肥えた晩秋のイノシシだ。
晩秋に獲れた未経産(まだ出産を経験していない)の雌イノシシは、一頭ウン十万円の高値で取引されることもあるという。
このように、牡丹鍋は、イノシシ料理の確固たる地位を築いてきた。
しかし、秋イノシシが牡丹鍋で周知されている一方で、春イノシシの魅力は、あまり知られていない。
鮎やカツオと同じように、イノシシも、春と秋では異なる美味しさがあり、四季を愉しませてくれる自然の恵なのだ。
例えば、春イノシシのバラ肉は、ぐるぐる巻いてからたこ紐で縛り、焼き目をつけたら、醤油ベースのタレで煮込む。
すると、控えめな脂身と赤身の層が綺麗なバラロールチャーシューになる。
秋イノシシでは、角煮のようにこってりとした料理になってしまうけど、春イノシシならサッパリと食べることができる。
モモ肉やヒレ肉などの脂が少なくパサつきやすい部位は、味噌や、オリーブオイル・ハーブに漬け込んでから低温でじっくり火を通すと、しっとりと柔らかく、イノシシの赤身の旨味を十分に愉しめるのだ。
また、豚がそうであるように、脂が少なく、スジがある部位でも、調理・加工次第で、それはそれは美味しい逸品になる。
私も、春イノシシの美味しさを知るまでは、イノシシは冬の味覚だと思っていた。
イノシシの脂は身体を暖めるので、冬、猟で芯から冷えきった身体は、熱燗や焼酎のお湯割りとイノシシの脂身で、ぽかぽかに暖まる。
それが、狩猟の醍醐味だったし、最高の愉しみだった。
だけど、春イノシシは冷えたビールによく合う。
ロゼワインや軽めの赤ワインを、冷やして合わせても美味しい。
春イノシシは、狩猟の新しい愉しみ方を教えてくれた。
ここ、邑智郡美郷町(旧邑智町)では、秋イノシシだけでなく、春から秋にかけて獲れる脂の少ないイノシシを普及させる取り組みを、十年以上続けてきた。
なぜなら、繁殖力が非常に強いイノシシは、狩猟や、越冬失敗などによる淘汰がなければ、適正頭数を簡単に上回り、人間とイノシシの共存バランスを崩してしまうからだ。
そして、春イノシシが出回りにくい要因を、徹底的に解決してきた。
春から秋にかけては気温が高いので、山で獲れたイノシシが処理施設に運搬されるまでに肉や内臓が痛んでしまう。
しかし、捕獲方法を銃猟から罠猟に変えたことで、生きたままのイノシシを処理施設に運搬できるようになった。
屠殺から解体までを施設内でいっきに行うことで、肉だけでなく、内臓や皮につける傷を最低限に抑えることができ、血や内臓をフレンチレストランで使用したり、皮を革製品に加工することも可能になった。
しかし、キャッチーさや規格内商品が求められやすい食品業界で、春イノシシを継続的に販売・加工していくのは簡単なことではない。
それでも、地域住民が続けてきた十年間の取り組みを土台とすれば、春イノシシの、美味しさだけではない魅力を、もっと広めていけるだろうと考えている。
ここには、野生鳥獣を仕留める技術だけでなく、自然を理解し、共存する文化が残っている。