▪日本人の心の荒廃
バブル崩壊後の失われた20年から反転、アベノミクスによる経済浮揚効果、東京オリンピック開催に伴う景気浮揚期待もあって、多少なりとも好転の兆しが見えかかっていた日本経済も、消費税によるマイナス効果、欧州ショック、中国ショック等相次ぎ、一転また暗雲が漂ってきている。しかも、これから仮になんらかの神風が吹いて、好景気が訪れるようなことになったとしても、少子高齢化、貧富の格差の拡大、貧困層の拡大、人口減少による地方の衰退(2020年以降くらいからは首都圏でも人口は減少方向へ)、日本企業の競争力の弱体化等、深刻かつ構造的な問題は解決の道筋ひとつ見えてこない。
こんな中で、男女共生涯未婚比率も上がり、独居は拡大する一方だ。地域コミュニティも企業コミュニティも衰退の一途、伝統宗教の基盤も弱いとなれば、何を心の拠り所にすればいいのか。物的な困窮やインフラの劣化もさることながら、日本人の心の荒廃こそ何より心配だ。荒廃の結果として、自殺、暴走(暴力)、精神的な病(ひきこもり、うつ病等)等、ネガティブな想像ばかりが膨らんでしまう。排外主義が強くなったり、怪しいカリスマに煽動されやすくなったり、というようなことも心配になる。
こんな時こそ宗教の出番のはずなのだが、オウム事件のトラウマが強いこともあってか、日本人の宗教アレルギーはかつてないほど高いと言わざるをえず、話題にすること自体はばかられるような空気がある。そもそも日本の伝統的な宗教、特にマジョリティの仏教など、衰退しつつある『檀家システム』の維持管理が精一杯で、『衆生救済』に乗り出すような積極的な話はほとんど聞こえて来ない。結局この問題は袋小路に詰まってしまって、誰も出口が見出せないでいるのが現状と言える。
▪薄められたスピリチュアル
だが、本当に出口はないのだろうか。日本人は心の拠り所なく皆うずくまったまま呆然としているのだろうか。そういう方向に問いを向けると、この数年必ず出てくる、それこそ『定番』の回答には日本人の宗教心の発露としての『パワースポット』の興隆がある。 パワースポットというのは、地球に点在する大地の『不思議な力=科学では解明されていないが経験的に存在を信じる人が多い力』がみなぎっている場で、そこに行くと身分性別を問わず誰でもその力を得ることができるとされる。
『見えないもの』『科学では証明されていないもの』を扱っているという意味では、スピリチュアル(宗教的/心霊的/精神的)の範疇に入るものの、宗教の戒律のような締め付けもなく、特別な修行をせずともご利益がある、という意味では神社仏閣等へのお参りに近いと言えるのかもしれない。スピリチュアルではあるが、極めて薄められたスピリチュアルだ。ただ、昨今、パワースポットに行くための旅行が大流行する等、ブームであることは確かだろう。同列とも言える、スピリチュアル系『癒し』サービスも非常に流行っている。
ただ、この程度であれば、『ご利益があれば儲け物』というくらいの軽いノリの関わりとも考えられ、特に宗教心の高まりとか、人生や世界を考え直す哲学のようなものに繋がるとも思えない、という意見も出てきそうだ。心の拠り所になるかと言えば、なったとしてもさほどの拠り所ではなさそうだ。
▪輪廻転生を信じる日本人
では、もっと人の世界観をひっくり返すような、生き方を見直さずにはいられないような『スピリチュアル』との接点はないのか。その点について参考になる大変興味深い調査レポートがある。2008年に、国際比較調査グループ(ISSP: International Social Survey Programme ) が行った、『ISSP国際比較調査(宗教)』の結果に基づき、2009年5月にNHK放送文化研究所により出されたレポート、『宗教的なものにひかれる日本人』だ。全体に読みどころの多い好レポートだが、何より私の目がとまったのは、『目には見えないが、宗教上は存在すると考えられているもの』について回答者が『絶対にある』および『たぶんある』と回答した7つの項目の比率だ。
大変驚いたことに、祖先の霊的な力:47%、死後の世界:44%、輪廻転生:42%等、4割超が『死後の世界』や『輪廻転生』というような、まさに人生観、世界観に大きく関わるような内容について、あると答えており、7つのうちどれもないと回答したのは、全体のわずか14%しかいない。『日本人は宗教に関心がなく、科学で証明されていないものは信じない』という意見を聞くことも少なくないが、このアンケート結果を見た限りでは、まったくの誤解と言うしかない。しかも、このトップスリーは、若年ほどあると答える人が多く、年齢が上がるほど比率は低い(宗教そのものの信仰は年齢が上がるほど多い)。16歳から39歳までの女性に限定すると、なんと70%前後が『死後の世界』も『輪廻転生』もあると答えている。
もちろん、この答えだけで信仰心や宗教哲学の浸透等をはかれはしないだろうが、それでも、人生が一回限りと考えるのと、死後の世界や輪廻転生があると考えるのとでは、生き方の根幹が変わってくる可能性は大きい。ただ、少なくとも素地は十分にあることは示唆していると言ってよさそうだ。
このレポートには、オウムのトラウマについても、すでに乗り越えられたと判断できるデータが載っている。『仏』を信じる人の比率を時系列にみると、1993年には44%だったのが、1995年のオウム事件の後の1998年では、39%へと減っている。レポートでは、これはオウム事件後の一種の主鏡アレルギーの可能性が強いと分析している。しかしながら、2008年には42%に回復している。宗教アレルギーも薄らいできていること見ていいのではないか、というわけだ。
▪宗教の新たな様式
ただ、しばらく前に私のブログでも取り上げたように、日本では葬儀の簡素化が進行中で、通夜や告別式を行わない『直葬』や近親者だけで執り行う『家族葬』が急増している。相応に檀家システムも崩壊の危機に瀕しているように見えてしまう。『死後の世界』や『輪廻転生』があると答える人が多いことと矛盾するようにも見える。実際、地縁血縁を基盤にしていた伝統宗教は機能しなくなってきているのは間違いない。だが、それは日本人の宗教心の衰退を意味せず、宗教心の変化と捉えるほうが正鵠を射っているように思える。これはどういうことだろうか。
先に、『スピリチュアル』という用語を少々安易に使用してしまったが、宗教人類学の研究家である竹倉史人氏は、著書『輪廻転生』*1で、『スピリチュアル』『スピリチュアリズム』という用語は日本では、1990年代以降、特に2000年以降にその使用が急増した新しい言葉/観念なのだという。竹倉氏によれば、『スピリチュアリズム』は宗教学的な文脈では『かならずしも特定の宗教、教団にはコミットしないものの、神仏や霊魂といった目に見えない存在を否定せず、日々の生活を通じてみずからの霊性を高めることを目指す態度や実践』という意味合いだとする。そして、この『私宗教』の性格をもつスピリチュアリティの台頭は、従来の『公宗教』の後退に対する補償作用と見ることができるという。だから、スピリチュアリティ文化は個人主義のライフスタイルに適応した、宗教の新たな様式の一つ、というのが竹倉氏の見解だ。
▪共同性/社会的紐帯を創出
しかも、この『スピリチュアリティ』文化の中心的な役割を果たしている現代の『輪廻転生』思想は、物理的な地縁・血縁とは異なった原理で、人々のあいだの共同性(=つながりの感覚)を創出するという。それはそうだろう。自分とは未来の誰かであるかもしれず、隣の誰かは過去にも何かの縁で一緒にいたかもしれない。それが『輪廻転生』を信じるということだ。
輪廻転生思想自体に種類があり、現代の日本では祖先・先祖の生まれかわりが強調されるのではなく、輪廻転生を通じて、個々の魂が進化する、と考えるタイプの思想が主流なのだそうだ。だから、従来の地縁・血縁は薄くなり、檀家システムは衰退するかもしれないが、現代人、特に若年層は、宗教的な紐帯を無くしてしまったのではなく、新しい、現代的な、人々の間の社会的紐帯(さらには大いなる存在=神・仏との紐帯)を維持し強化するための物語を創造し、我が物としてきているといえそうだ。
加えて言えば、竹内氏が本書で紹介しているように、ISSPの調査によれば、輪廻転生を信じる人の比率は世界的に見てもかなり高い。そして、高くなってきているという。アジア圏内では、そもそも輪廻転生を信じる比率が高そうな、インド、ネパール、チベット、タイ等の調査データがないが、それでも、スリランカ(68.2%)、台湾(59.4%)、フィリピン(52.0%)と軒並み高い。中南米でも、メキシコ(44.8%)、チリ(42.9%)、ドミニカ(41.7%)と高率だ。(ブラジルのデータもないが、別のデータではブラジルも高率と言われている。)別の調査で見ても、アフリカでも平均40%近いという。
さらには、公式には輪廻転生を否定しているキリスト教国であるアメリカでさえ31.2%というから驚きだ。公式宗教の影に隠れて見えにくいが、『輪廻転生』、というより、新宗教としての『スピリチュアリズム』はグローバルに拡大しており、そういう意味ではグローバルな紐帯の可能性もありうるとさえ言えそうだ。シリコンバレーを生んだ西海岸のカルチャー(カリフォルニアン・イデオロギー)も背景には濃厚にこの『スピリチュアリズム』の影響が見られるが、西海岸のIT企業の文化が世界中で熱狂的に受け入れられる理由の一つには、グローバルにこの『スピリチュアリズム』を受容できるメンタリティが存在するからとも考えられる。
▪社会問題を考えるにあたっての前提条件
強調しておきたいのだが、私は『死後の世界』や『輪廻転生』が実際に存在すると主張しているわけではない。あくまで、グローバルに信じる人の比率が高く、しかも増えていることが重要なのだ。日本はその中でも信じる人の比率が高い国の一つだ。日本人には宗教心がないのでも、なくなったのでもなく、形を変え、表出の仕方が変わったと見るべきだろう。少なくともそのような仮説が成り立つ。これは日本の社会問題全般を考えるにあたっても、非常に重要な前提条件だ。
昨今の日本の言説は未だに、宗教心や宗教に関わることについては、完全に無視を決め込むのが普通だ。だが、その結果、いかにも表層的で本質に迫る迫力を欠くことが多い。このようなものを安易に信じてしまう危険を一方で忘れることはできないにせよ、『羹に懲りて膾を吹く』ばかりでは進歩は望めない。竹内氏のようなチャレンジ精神に富む研究者が増えてくれることを期待してやまない。
(2015年10月4日「風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る」より転載」)