■「BE TOGETHER」するが、「SHAKE MY SOUL」しなかったタモリ
「笑っていいとも!」が来年3月で終了する。1982年から続いた長寿番組の終焉をポータルサイトのニュース速報で知った時、同ページの「話題なう」欄に「鈴木亜美 イチゴ栽培」というキーワードが上がっていることに気付いた。デビュー15周年にちなんでイチゴ(15)栽培を始めたという。鈴木は1982年生まれ、「笑っていいとも!」開始年に生まれた同級生だ。「いいとも!」の長寿っぷりを讃えるためにやや酷な書き方をするが、一人のうら若き少女が大物プロデューサーに見出され、ひ弱な歌唱力で突っ走るもやっぱり限界が来てフェイドアウトしたと思ったら再復帰して云々、気付けばイチゴ栽培......をしている間じゅう、タモリはずっとアルタで「明日来てくれるかな?」と客席にマイクを向け、茶の間と共にあったのだ。「BE TOGETHER」とは、鈴木亜美ではなくタモリのためにある言葉である。しかしタモリは続けて「SHAKE,SHAKE,SHAKE MY SOUL」しなかった。マイ・ソウルを持ち出さずに、とにかく淡々とこなすのが「いいとも!」でのタモリだった。タモリのソウルは「タモリ倶楽部」や「ブラタモリ」にある、というのは、タモリを語りたがる人の挨拶代わりになっている。案の定、「いいとも!」終了の報を受けた後の反応として、「これからはタモリ倶楽部とかに専念して、やりたいことだけやってほしい」というような意見をあちこちで見聞きした(それにしても「ミュージックステーション」でのタモリの振る舞いに言及が少ないのは不思議だ。こちらで言及しているので参照してほしい)。「いいとも!」がタモリにとってやりたくないことだったのかどうか断定すべき材料はないが、ソウルが注がれていないように見えた、とは言えるだろう。
■タモリの「髪切った?」よりも最新ヘアメイクを知りたい
新聞にせよネットニュースにせよ、「いいとも!」終了の要因を、総じて「視聴率低迷」としている。asahi.comには、フジテレビ関係者の談として「理由は金属疲労。視聴率は、なかなか10%にいかない。終了しなければ新生フジは生まれない」とあるから、局全体の視聴率が第3位に甘んじてしまっている現状を打破するための(クビ切り、ではなく本来的な意味での)リストラクチャリング=再構築なのだろう。とはいえ、89年から24年間、同時間帯の視聴率でナンバーワンをとってきたが全体的に落ち込んできたから、との弁は、(通俗的な意味での)リストラを行使した残酷さも漂う。それに、金属疲労というのは予測できうる「症状」であって、それをたった1つの「理由」にするのはいかがなものか。使えないからダメなのではなくて、使えるだけ使っておいてそろそろダメになってきたから、を理由にサヨウナラするのは、どこかの居酒屋チェーンと変わらない。
「いいとも!」の視聴率を奪い取ったのは日テレ「ヒルナンデス!」とTBS「ひるおび!」だ。メインMCは前者が南原清隆、後者は恵俊彰、決して目新しい存在ではない。これらの番組にあって「いいとも!」に無かったのは、ズバリ「情報」だ。それぞれの番組のキャッチコピーを確認してみる。「面白くて...タメになる!笑いながら...使える情報ゲット!!」「大人の女性たちに贈る大型情報バラエティ」とある。「いいとも!」には、ゲットしたり贈ったりすべき「情報」が無い(番宣を除く)。情報を得たい人たちは、タモリの「髪切った?」よりも最新ヘアメイクを知りたいし、タモリの「おぉ、花、たくさん届いてますよー」よりもフラワーアレンジメント教室を始めた主婦の副業ライフを知りたいし、タモリの「前にお会いしたのは......3年くらい前でしたっけ」よりも、先を見越した最新トレンドファッションを知りたい。「ヒルナンデス!」と「ひるおび!」はそれに応えていく番組なのだ。
■サラリーマンの昼食時間の平均は、「いいとも!」放送の30年間に4割も減った
コーナーも含めて「いいとも!」には惰性がはびこっている。でも、その惰性、新しい情報がとりわけ含まれていないあの惰性が、たとえば、大衆食堂にお昼を食べにやってきたサラリーマンの肩を長年ほぐしてきた。たいして似てない郷ひろみの素人モノマネを浴びたり、「この中にニューハーフが一人」をそれなりに考えてみたりする作業が、かしこまって言えば、この情報社会においては不要とされてしまったのだ。
高速道路の料金所をETCでサクサク通り過ぎると、そういえば、この手の料金所で自分のペースで捌いていたベテランのオッサンたちはどこへ行ったのだろうと思うことがある。そりゃあオッサンたちはETCに比べれば遅い。でも、「ここから袋田の滝ってどれくらいかかりますかね?」と聞けば、「まー50分くらいかな」と答えてくれた。カーナビだって所要時間を教えてくれるかもしれないが、「近くまで行くと混んでっから、ここら辺で食べてったほうがいいんじゃない」とカーナビは言わない。「いいとも!」そしてタモリとは、こういう「高速道路の料金所のオッサン」的な存在だったのではないか。つまり、惰性の中にある、ちょっとした情報。他の番組のように「情報!!」とビックリマークが付く情報ではない。余計なお世話に近い情報。でもそれはもう要らない、ということだ。もうそれは、金属疲労を起こしちゃったのだ。お昼くらいはどうでもいい番組を観てどうでもいい情報を知る、という余裕すら無くなったのだ。
こちらの調査記事によると、サラリーマンの昼食時間の平均は1983年=33.0分、1993年=27.6分、2012年=19.6分と、この30年、つまり「いいとも!」が稼働してきた30年で4割も減っている。共働きも増加したし、自宅にいる専業主婦の時間的余裕も間違いなく減っている。こうなると、極めて限られた時間にわざわざ情報の薄いテレビ番組をゆったり浴びる、という選択肢がどうしても選ばれなくなってしまう。テンション高めに情報をグイグイ押し付けてくる番組に、体を覚醒させたまま預けていくのである。わかりやすく言い切ってしまえば、「いいとも!」の否定は、ワーカホリックの肯定なのだ。みんな、「いいとも!」観てるヒマなんて、無くなっちゃったのだ。そんなことよりやることがある。上司からのフェイスブック申請に悩む会社員も多いと聞く。「いいとも!」観てる暇があるならば、上司のフェイスブックの「いいね!」を押さなきゃいけない時代なのだ。大げさな例えだが、間違いではないだろう。
■「ごきげんよう」がいつまでサイコロを振り続けられるか、にかかっている
かつて「いいとも!」と張り合っていたのが、みのもんた司会の「おもいッきりテレビ」だった(1987年〜2007年)。最近、逮捕された彼の次男は、具体的な生年はわからないが多くの報道に「31歳」と記載があるから、おそらく「いいとも!」と同級生だ(鈴木亜美とも)。みのもんたが息子の不祥事を受けて報道番組のキャスターを辞めたことについては色々な意見があるだろうが、この一件を「いいとも!」という座標軸に置いてしまえば、ギネスを記録したほどの長寿番組の開始期に生まれた子どもが30年後の終了期になって起こした不祥事って、やっぱり親ではなくその個人のみが責任を負うべきだ。30年というスパンを考える時に、「1:『いいとも!』というとんでもない長寿番組」「2:親はいつまでも子の親だから責任をとれ」という選択肢が与えられているわけだが、やっぱり、私は「1」を選んで「2」に首をかしげたい。30年とはそういう長大な時間なのだ。
昼からタモリが消え、かつての昼のライバル・みのもんたが消え、こうなると期待したくなるのは「いいとも!」放送終了後に続く、小堺一機の「ごきげんよう」だ。91年に放送開始、この8月に放送5555回を迎えたあの番組にも、独特のヌルさがある、情報の無さがある。例えば先週の放送回をHP掲載「OA情報」で振り返れば、「ショック!!私はコレでキレられちゃいました!」と題して新山千春が、調味料やシャンプーのフタを締めないことを夫に怒られた、とある。これだ、この、どうでもよさ、だ。明らかに実生活に要らない情報だ。これからどこまで、転がったサイコロの行方を追い、出た目の文言を観客に略させる余裕を持ち続けていられるかどうか。「いいとも!」の終焉とはつまり、「ニッポンの余裕」が更に薄まったということだと思う。でもまだ、サイコロは振れている。いつまで振れるのか。来たる「サイコロが振れなくなった日」を先んじて想像して、なんだか寂しくなってくるのだった。