今、地球規模での大流行を巻き起こしている
ファレル・ウィリアムズの楽曲「HAPPY」。
70年代ノーザン・ソウルのヒット曲であるヴェルヴェット・ハンマーの同名曲を下敷きにしたレトロソウルをトラックに、「だってボクは幸せなんだ」「手をたたこうよ」と軽やかに歌い上げるこのゴキゲンソング、“伝染のウイルス”は、クール&ファニーなハンドクラップ&ダンスが印象的なMV(ミュージックビデオ)だ。試聴回数は1億8,000万回を突破、世界各地からアップロードされるダンスを模した動画が、日々増殖を続けている。
「HAPPY」に触発された世界同時多発的なファンたちの自発的なアクションに、当のファレルの反応はというと…。米ハフポスト記事でも公開された、米国を代表するカリスマ司会者オプラ・ウィンフリーが司会のトーク番組「Oprah Prime」でのインタビュー動画をぜひ観て欲しい。
世界中の人々が自身の楽曲で楽しそうに踊る映像を見せられたファレルは、「Why am I crying on Oprah」と言葉を失い思わず号泣してしまったのだ。観ているボクもファレルの表情に、涙してしまったよ…。
この男泣きの背景には、アニメ映画『怪盗グルーのミニオン危機一髪』のサントラとして制作された「HAPPY」は、発売当初にラジオの音楽番組などでまったく流してもらえなかったという悔しい過去がある。
ヒットのきっかけは11月21日に公開したミュージックビデオだと本人も語っている。
さて、それでだ。当ブログはヒトの心を動かすコミュニケーションをテーマにしている故、なぜ「HAPPY」が地球規模での“幸せパンデミック”に至ったのかを、仮説を立ててみたいと思う。
まず基本情報として、この「HAPPY」のミュージックビデオは、制作時からエポックメーキングな映像として話題化するように綿密に設計されていたという前提がある。
すべてを視聴するのに丸1日かかる、24時間のミュージックビデオという世界初の試み
・インタラクティブな時計が現れ、視聴者は「日の出」から「日の入り」まで好きな時間帯を選ぶことが可能
・ファレルは1時間ごとのジャストタイムに登場する
素人出演者に混じって俳優やミュージシャンが出演。思わず誰かに教えたくなるシェアラブルな仕掛け
・出演者例:タイラー・ザ・クリエイター、マジック・ジョンソン、ジェイミー・フォックス、ジミー・キンメルなど
つまり、話題化自体は驚きでもなんでもないワケで、ポイントは、先のファレルの号泣が表すように、製作者の狙い・予測を大きく超えたという点にある。インターネットを通じた素早いネタの大流行は、文化の遺伝子(ミーム)になぞらえ「インターネット・ミーム」と言われる。
「インターネット・ミーム」は、ユーモア志向で、悪戯(いたずら)や茶化しの表現で伝播するいうのが定説だが、「HAPPY」が異なるのは、一切の悪意がないピュアなミームとして伝播しているところだ。
では、なぜ、「HAPPY」のミュージックビデオは、地球規模伝播の“幸せパンデミック”にまで発展したのか…。ボクは、テーマが「幸福」であり、表現がノンバーバルなコミュニケーションである「ダンス」だったからだと仮説立てる。
いかにも説得力があるように説明してみよう。
まずテーマの幸福から。
アランの幸福論にも書かれる「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」理論から言えば、「幸福」は、豊かな先進国の人々だけが保有し得る相対的なものではなく、貧困の後進国の人々でも持つことができる絶対的なもの。つまり全人類が自分ごと化できるテーマなのだ。
事実「HAPPY」の映像は、一見幸せでなさそうなイメージの国や地域から多数アップロードされているのが大きな特徴だ。
・巨大台風ハイエンで大きな被害を受けたフィリピン
・反政府派と治安部隊の衝突が続くウクライナ・キエフ
・奴隷貿易の中心地だった悲しい歴史を持つ、セネガル・ダカール
など
次に表現。ノンバーバルなコミュニケーションである「ダンス」だからだ、ということについて。
「HAPPY」現象は、楽曲(歌)としての大流行かというと、若干ニュアンスが異なる。メロディこそ口ずさみやすいが、歌マネがしにくい、テクニックを用する曲であり、「レリゴー♪」と各国で歌われている「アナと雪の女王」の主題歌とは違う。
また、「インターネット・ミーム」となったダンス映像といえば、AKBの「恋チュン」やPSY「カンナムスタイル」も大量増殖はしたが、地球規模までの拡がりにはなっていない。「HAPPY」がそれらと決定的に異なるのは、【振り付けダンス】ではない点だ。
メロディとリズムにノッて身体を動かしているといったイメージに近い、誰でも簡単にできるとてもルーズなダンスなのだ。だから、「HAPPY」のダンスは、幸せを伝えるノンバーバルなコミュニケーションとして国境をまたいで拡がり得た。
※「HAPPY」のミーム(文化の遺伝子)は、松岡正剛がいうところの“意伝子”なんだと思う
最後に、幸福とダンスの組み合わせによる強度を、アランの幸福論と結びつけてもうひと押し。
心身の関連性に着目していたアランは「身体を動かし、身体を心地よく感じさせると感情も変わる」と、身体を動かすことが幸福への鍵であることも指摘している。
結論:「HAPPY」は幸せのメカニズムを図らずも忠実に設計したミュージックビデオである
ちなみに、「HAPPY」は、現代版の「幸せなら手をたたこう」だという人が多いのだが、1964年に坂本九が歌った「幸せなら手をたたこう」が現代にミュージックビデオで発表されたなら、あの名曲「スキヤキ」を超える“地球規模ソング”になっていたに違いない。