今井絵理子氏の「批判なき政治」。どう考えたらいい?

批判という言葉は、なぜ「ネガティブ」なのか。

SPEEDのメンバーで、自民党の参議院議員の今井絵理子氏がTwitterで今度の都議選に対して、「批判なき選挙、批判なき政治」をめざすと書き込んだ。

私は一瞬戸惑った。政治は野党や国民からの批判がつきもので、「批判ゼロ」の政治というのはあり得ない。批判があってこそ政策が磨かれ、より良いモノになっていく。政治家なのにそんなことも分からないのだろうか...。

疑問を抱く一方、なんとなくだが、今井氏の気持ちが分かってしまう自分もいた。

今の日本は、どこか空気を壊さない「ノリ」が求められている。また、人口が減り続けて、明るい未来が描けない中、日本の政治はサクサクと物事を決めないといけない。そんな状況の中、今井氏にとって批判という言葉は「すっごい悪いことって意味」で使われているのかもしれない。

「(今の若者や子供達にとって)『批判』は和を乱すとか喧嘩を売るって意味でしかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。」(引用:「はてなの中高年は今井絵理子の発言を理解できない」)。

そう考えてみると、「批判がない日本」の方が良いのかもしれない。今井氏のような次世代の人たちのTwitterを取り上げて、「あーだ、こーだ」と批判をするおじさんたちがいない方がずっと「明るい社会」のように思える。

■安倍首相も批判が嫌い?

ところで、今井氏が所属する自民党のトップの安倍首相も「批判」に対して敏感だ。国会で、安倍首相の友達が理事長を務める「加計学園」をめぐる問題など野党の様々な批判があったとき、ヤジを飛ばすこともあった。憲法に関する質問に正面から答えない姿勢も目立った。

安倍首相は6月19日、先の国会を振り返る記者会見で、「印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、政策論争以外の話を盛り上げてしまった」と語った。批判を「印象操作」としか思っていなく、大人げない対応を自分で認めたようなものだ。

ある閣僚経験者はこんな評価をする。「(安倍首相は)お坊ちゃん、国家主義的な傾向がある、と揶揄されることもあるが、人当たりが柔らかいし、仲良くなれば異なる意見も聞く。ただ、憲法改正など政策などへの思い入れが強すぎて、野党やメディアなど、身近な『お友達』ではない人からの批判が、『クレーム』に見えてしまうというか、アレルギーをもっているところがある」。

■パワーアップした首相の権限

これまで自民党は、派閥や族議員同士で調整したり、政府が法案を出す前に自民党内部でアイデアを揉む制度が生かされたりして、議論を重ねる政党として成長してきた。

そんな中、小泉政権から本格運用が始まった「経済財政諮問会議」や、第2次安倍政権で作られた「内閣人事局」によって、官邸の力が強くなり始めた。

首相の権限が強くなった背景には、何事も素早く、バシっと決めるリーダーを求めた国民の後押しもあった。

さらに、日本の国会は会期制をとっており、会期末までに成立しない法案は、継続審議がなければ、廃案になる。そうした時間的な制約などのため「野党は審議を通じて法案の内容を追及するよりも、審議の引き延ばしなどの日程闘争に傾斜する」(中北浩爾著「自民党」中公新書)という。

日本のトップとしてパワーを最大限に使い、日本を良くしようとしているのに、野党は時間稼ぎやイチャモンばかりの批判をしている――安倍首相の目にはそう映っているのかもしれない。

■イギリスでデモを見てきた

私は先週、日本にとって「政治のお手本」にもなってきたイギリスを訪ねた。

2016年、デイビッド・キャメロン首相は、イギリスがEUを離脱するかどうか決めるための国民投票に踏み切った。キャメロン氏の意向に反し、イギリス国民は 「EU離脱」を選び、キャメロン氏は首相の座を降りた。

その後を継いだテリーザ・メイ首相は、自身が率いる保守党が議会の過半数を占めているにも関わらず、総選挙を前倒しにした。ところが、逆にライバルの労働党を勝たせてしまった。

国民投票と総選挙、どちらも予想外の結果だった。イギリス社会は混乱し、政治家同士の批判が激しくなっている。

「2人の首相は、やらなくてもいい『政治的な賭け』に失敗した」という意見も聞かれるが、別の見方をすれば、いまの政治に対する「不満」を目立たせた、良いきっかけだったとも言えるのではないか。

EU離脱を決めた国民投票によって、グローバル化した経済の流れから取り残された人たちが国内にいることを、イギリス社会は再認識した。総選挙で、保守党がライバルの議席増を許したことによって、緊縮財政で置き去りになったとされる「教育への投資」の大切さが浮き彫りになった。

■「私たちの声が常に聞こえていて欲しい」

イギリスの国会前であったデモ。警察当局が出動して、デモ隊ともみ合いになっていた。泣き出してしまう女性や、カメラを向ける報道陣に罵声をあびせる人も。政治家への文句も叫ばれる。混乱だ。「批判なき政治」からはほど遠いだろう。

しかし、デモに参加していた20代の女性のこんな言葉が印象に残っている。彼女はロンドンに在住。彼女の母親は、元々はアフリカ出身だという。

「デモに参加して政治がいきなり変わると思えない。でも政治家たちの耳には、私たちみたいな反対意見の声が『常に聞こえていて』欲しい」。

■「批判」という言葉をもう1回かんがえる

「批判」と「文句」は違う。批判をするのは相手の人格攻撃をするためでもない。意見を戦わせることで、お互いの考えがさらに高みにいくと信じているからだ。

「批判がない政治」という言葉が出てきたり、批判にイラついていたりする姿を見ていると、「批判」という言葉の狭い意味、ネガティブさだけが強調されているように感じてしまう。

「批判」は、いままで多数の中に隠れていた人たちの意見や、政治家が想像できなかった思いを持った人たちの姿を目の前に浮かび上がらせる尊い行為だ。

政治家も、そして普段言葉で「批判」しているメディアとしても、「批判」という言葉の意味がより豊かになっていくような、日本にしていきたい。

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