■少女をウナギに見立てるグロテスクさ
火事とケンカは「江戸の華」と言われたが、インターネットメディアを運営していると、毎日あちらこちらで、不用意な表現で批判を浴びる「炎上事案」を目にする。特にテレビ番組や企業CM、自治体のPRで、女性が差別的に描かれることが少なくなく、燃える。
地元のウナギの養殖をアピールするため、ウナギに見立てた少女を「飼育」する動画(上記写真)を作った鹿児島県の志布志市。そのグロテスクな発想に批判が寄せられた。
テレビをつければ、LGBT(性的マイノリティ)のうち、ゲイの男性などを「オネエ」と呼んでお笑いの対象にしている。
最近では、ユニ・チャームのおむつブランド「ムーニー」の動画広告に対して、母親ひとりが負担を背負って育児に取り組む「ワンオペ育児」を肯定しているのでは?という指摘が相次いだ。
ユニ・チャームのおむつブランド「ムーニー」の動画広告
批判の声が上がる一方、こんな「典型的なぼやき」を私は言われたことがある。発言者は、バラエティー番組の制作経験もある大手民放テレビ局の50代男性社員。
「いつもネットメディアが騒ぐから、テレビもCMも作りにくくなった。昔はもっとテレビは自由だった」。
私たちは「うるさすぎる」のだろうか。5月20日に東京大学(東京大学大学院情報学環 林香里研究室主催)で開かれた「第1回 メディアと表現について考えるシンポジウム」に登壇して考えてみた。
■学校で再生産される「オネエ」
小島慶子さん
「おばちゃん」「顔、怖い、怖い」「更年期〜!」----。シンポジウムの登壇者のひとりで、エッセイストの小島慶子さんはテレビ番組などに出演すると、こんな「冗談」を言われることがあるという。あるいは、小島さんに対してではないが、出演者の肌の色の違いを指して「おまえ、タイから来たんかぁ!」「ガイジン」などもよく聞かれるフレーズ。
まぁまぁまぁ。こんなのはテレビの冗談だし、みんな分かって見ている。目くじら立てなくてもいいんじゃない?そんなテレビ局の「意識」に対して小島さんはこう言った。
「メディアの会話は再生産されるんです。たとえばテレビを見ていなくても、翌日学校や職場に行けば、特定のギャグや物言いが笑いになり、知ることになる。テレビの文脈とは切り離されて表現が広がっていくのではないでしょうか」。
アナウンサーやお笑い芸人が「オネエ」で笑いと取り、次の日小学校で男子児童が、誰かをからかう。息苦しい日本の小学校の教室で、なんとなく想像できるシーンだが、7.6%がLGBTという調査もある中、教室で笑っていない児童もいるはずだ。
■オチが良くなかった
イメージ写真
小島さんと一緒に登壇した、大妻女子大の田中東子・准教授は企業CMなどで、働く女性や母親が、作り手側の意図として、一見、美しく描かれている点を指摘した。
先ほど紹介した、おむつブランド「ムーニー」の動画CMも育児中の女性の苦労を表現しているのも確かだ。制作側のユニ・チャームもハフポスト日本版の取材に「本来の意図はリアルな日常を描き、応援したいという思い」と話した。
泣いてばかりで寝てくれない赤ん坊に戸惑う。お風呂からあがってすぐ子供の相手をする。かわいいのに、なんだかイライラしてしまう。他のママが立派に見えてしまう----。
育児の苦労をうまく描いているが、「オチがよくなかった」(小島慶子さん)。女性が常に一人で育児に向き合う状態が、何も解決されないまま、この種の時間が「いつか宝物になる」という言葉で終わったのだ。
田中准教授は、美しく母親が描かれる動画などについて、女性が日々対面しているディストピア(理想郷の反対で、地獄のような状態)を変革するのではなく、「もっと頑張れ!」というメッセージを代わりに送って、こうした日常を肯定・補完する「強力なイデオロギーとして機能してしまう」と指摘した。
とはいうものの、田中准教授の話で印象的だったのは、インターネットのプラスの側面として、女性がSNSを通して「違和感」を発信しやすくなったという点だ。
「ムーニー」の動画広告について、私はレギュラー出演している、インターネットテレビ局AbemaTVの「けやきヒル`s NEWS」で取り上げた。一緒に出ているキャスターの徳永有美さんは番組中、「男性が一人で育児に取り組んでいる別のバージョンの動画広告もつくったら良かったのでは」と問題提起した。面白がるだけ、あるいは差別をはらんだ批判ではなく、別のアイデアを示す「対話」だった。
もちろん、男性が育児に取り組む「余裕」が社会にないのも分かる。残業や早朝出勤に苦しむ男性、職場の事情で育児休暇を取れない男性、会社の都合で単身赴任中の男性もいる。
「男性も育児参加を!」という言説はどこか、意識が高くて優等生的。実際は動画のように「女性の一人育児」というのも現実なのだろう。
しかし、「女性が生活の中で感じる不安を解消したい」という思いで、1963年に日本ではまだ珍しかった生理用ナプキンを製造販売した「先駆者」のユニ・チャームだからこそ、時代の先を行く動画を作って欲しかった気持ちがある。
■ディズニー映画は変わってきている
『美女と野獣』 配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン © 2017 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
この前、9歳の長男と一緒にディズニー映画「美女と野獣」を見に行った。男性といっしょに女性の地位向上をめざす国連の「He For She」を牽引する俳優(「女優」ではない)のエマ・ワトソンが主役ということもあり、面白い作品だった。
映画では、エマ・ワトソン演じるベルが「洗濯機」を発明して、家事から解放されるシーンや、勇敢に悪に立ち向かう場面も多数見られた。同性愛とみられる男性が出てくるシーンもある。「弱い女性がキラキラ王子様の助けを待っている」というステレオタイプ的な「ファンタジー映画」ではなかった。
女性、LGBT、障害、宗教、人種。多様なアイデンティティを持った人がソーシャルメディアで発信できるようになり、昔の表現者にとっては窮屈な時代になったのかもしれない。言ってはいけない言葉、気をつけないといけない表現など「制限」も増えたのかもしれない。
しかし、絵を描くために四角いキャンバスがあるように、どんな壮大な音楽にも終わりの静粛があるように、あるいは珠玉の原稿にも締め切りがあるように、真のクリエイティビティとは、「制限」(昔とは違う新しい条件)の中でこそ発揮できると私は思っている。女性やLGBT当事者のことを理解したうえでの新しい表現をすれば良いのだ。「今の視聴者や読者はうるさいから、何も出来ない」とは甘えに過ぎない。分からなければ聞けばいい。
そういえば、私もこのシンポジウムに登壇していたが、司会・パネリスト計9人のうち男性は私一人だった。時代は変わっている、表現も変わらないといけない。
ネットは今日も燃えている。しかし火の中からこそ、新しい時代に合った企業CM、テレビ番組、ネット記事、映画が生まれてくる。
【訂正】「テレビをつければ、ゲイやトランスジェンダーなどのLGBT(性的マイノリティ)当事者を「オネエ」と呼んでお笑いの対象にしている。」という表現を「テレビをつければ、LGBT(性的マイノリティ)のうち、ゲイの男性などを「オネエ」と呼んでお笑いの対象にしている。」に修正しました。LGBT全体を「オネエ」と呼んでいると誤解を与える表現だったためです。(2017/5/21)