母になる私と父になる夫。あまりわからないけれど、妊娠25週の頃。Photo by 梶山ひろみ
妊娠中、女性の身体にこんなにも不調と変化が訪れるということを経験するまで知らなかった。
インターネットで調べれば、その原因と対策がずらりと出てくる時代。でも、妊娠は病気じゃないから、その不調は薬等で直せるものではなく、時が経つのを待つくらいしか対策はない。そして、その原因は大抵「ホルモンバランスの乱れ」で片付けられる。
生まれつき生理と排卵がない私は、常に女性ホルモンが足りなかった。高校時代は飲み薬と注射でホルモン剤を投与し、大学に入ってからは低用量ピルを飲み、結婚してからは排卵誘発剤を使っていた。
薬は副作用を伴うもので、吐き気に襲われたりだるくなったりすることもよくあった。それでもホルモンが足りず、更年期障害のようになることや子どもが産めない身体になることを恐れて、ホルモンを注入することを止めなかった。
常にホルモンが足りなかった私の身体においても、妊娠中は自然とホルモンが色んな働きをして、守るものを守り、乱すものを乱した。妊婦はホルモンの奴隷、そしていいなりになるしかない。
妊娠初期(4〜15週)、悪阻(つわり)
妊娠初期は何と言っても「悪阻(つわり)」。恐ろしい字面だが、文字通りつらい。私が妊娠に気づいたのは妊娠8週と5日。年末年始だったので、それまでよく働きよく呑んでいた。
妊娠発覚の前日なんて、整体に行き、夫と友人とスポッチャでバスケやテニスをし、ロディオマシーンにも乗った。ぐおんぐおんと子宮の中は揺れていただろう。その後赤羽で三軒はしご酒...。その間、インフルエンザに罹った夫と同じ部屋で寝ていたこともあった。自分が妊娠しているとは露ほども思っていなかったのだ。
検査をするために訪れた不妊治療の病院の内診台で股を開き、赤ちゃんを確認した私はすぐに先生に不安を漏らした。
「あの、私、お酒とか運動とか、よくしてたんですけど......大丈夫なんでしょうか......」
「そういう人は大抵大丈夫ですね!」
先生はさらっと笑いながら言った。そういう人がどういう人なのかよくわからないけれど、現時点で我が子が元気なら、ひと安心。それにしてもよくもまあ、我が子は17mmに満たない小さな身体で、母の愚行に耐えてくれた。その生命力、たくましさを誇らしく思うよ。
全く妊娠に気づかなかった私だが、たしかに振り返ればその兆候はあった。常に身体がだるく、鼻水が止まらない。普段風邪を引かない私は、熱もないゆるい風邪が長引いているだけだと思っていたけれど、悪阻が始まりつつあったのだ。
妊娠が発覚した頃、私には悪阻の原因とも言われる黄体ホルモンが足りておらず、いつも通り飲み薬と注射で補うことになった。薬の副作用も相まって、ここから本格的な悪阻が始まった。
まだ安定期に入っていない妊娠初期は周囲にも伝えにくい。妊婦の流産率は15%と言われていて、その80%が初期段階で起こるそう。主な原因は受精卵の染色体異常で母体が原因ではないにせよ、無理をすれば赤ちゃんに負担がかかってしまうし、精神的にも落ち着かない。そんな時に悪阻は容赦なく襲いかかる。
悪阻の症状は人それぞれで、食べ物だけでなく水や空気さえも受け付けず、吐き気が続き、点滴で栄養を補っていた友人もいた。逆に何か食べてないと吐いてしまう「食べ悪阻」の人もいる。
私はどちらかと言えば食べ悪阻傾向にあった。食べたいのか食べたくないのか、コントロールが効かない。無償に唐揚げが食べたくなって、近所の居酒屋に駆け込み、がっついたところで吐き気に襲われる、なんてこともあった。
とにかく身体が動かない。ソファの上に寝転んだまま、一日が終わってしまうことが何度もあった。私、今日、誰とも会ってない...何も生産していない...と自己嫌悪に陥る日々。どんなに意識を向けても、身体は思うように動かない。唇が乾燥したからリップを取りに行きたいと思ったところで実際に身体が動くのは3時間後、とか。
こんなにも意識と身体がかけ離れてしまうことがあるなんて。動けたとしても、常に身体がだるく疲れやすい。眠気に襲われる。仕事中など、不思議と人と会っているときはなんとか元気を保てても、帰ってきてぐったりしてしまう。匂いにも敏感になり、人混みにも酔う。
都会の満員電車なんて悲劇。私は通勤する必要がなかったので極力避けられたけど、たまに遭遇するだけでも憂鬱に。乗り込めないし、乗り込んだところで気持ちが悪くて降りるしかない。
これを毎日続けている妊婦さんを思うと胸が苦しい。これまで自分は妊婦さんに気づき席を譲ることができていただろうかと反省し、これからはちゃんと意識して席を譲ろうと決意した(特に妊娠初期と妊娠後期は立っているのがつらいので、席を譲ってくれる方が神様に思えた)。
私は割りと教科書通り、安定期になれば悪阻は治まったけれど、この症状が出産間近まで続く人もいると言うから恐ろしい。悪阻の症状も期間も本当に人それぞれ。自分はこうだったから......は決して通用しない。
妊娠中期(16〜27週)、便秘と食欲
妊娠中期に悩まされたのは「便秘」。ただでさえ普段から便秘症の私。こんなに踏ん張れなくて、赤ちゃんを産むことができるのかと不安になるくらい、力めない。
通常時は漢方やハーブティーや硬水、時に便秘薬を飲んで乗り切っていたが、妊娠中はやたらと頼れない。それなのに、通常時よりも数倍出ない。1週間出ないこともあった。なんという頑固者!苦しいぞ。この時期のぽっこりお腹の正体は、赤ちゃんではなく便だったかもしれない...。
自然に解消するしかないと思い、プルーンやヨーグルトや豆乳、納豆など便秘にいいとされる食べ物を積極的に摂取し、運動(と言ってもひたすら散歩)をした。すると病院でお腹が張り気味なので、運動を控えるようにと言われる。お腹の張りは切迫流産の兆候なのだとか。安定期に入ったからと言って無事に生まれるまで、たしかな「安定」はないのだ。
この時期は自分の食欲と体重増加・体型変化にもぎょっとした。妊娠前に読んでいた、川上未映子女史の妊娠・出産・子育てエッセイ『きみは赤ちゃん』で、パイの実5箱を平らげたエピソードがあって、嘘でしょ!? と思っていた。でも妊娠中期はそれくらいいけそうな食欲がメラメラ湧いてきてしまうのだ。
妊娠前はあまり食べたいと思わなかったポテチなどのスナック菓子や、ハンバーガーやラーメンなどのジャンクな食べ物を身体が欲する。今までお酒で補っていたと思われる糖質や炭水化物も身体が求める。そして、美味しい。
でも欲に従えば、いつも以上に、目に見えて体重が増加する。まだ赤ちゃんは1kgにも満たないのに、私の体重はあっという間にその時点で7kg増加!羊水を含めてもそれ以外は私の脂肪となっているわけです。
それでも「母乳と子育てでちゃんと戻る」という経験者の言葉を信じて、私は特に制限することなく、食欲に従った。食いしん坊なので、我慢するほうがストレスになり良くないと言い訳をして。
また、この頃は眠りが浅くなるのか普段はあまり見ない夢をよく見た。夫は女の子を抱いている夢を見た(実際に女の子だった!)というのに、私が見るのは妹がおっとっとになってしまう(!)夢とか、現実離れしたものばかり。
そんな夢にうなされながら(?)、なぜか毎日決まって朝4時に目が覚めた。妊婦の睡眠が浅くなるのも、赤ちゃんが生まれた時に眠れなくなる予行練習として、ホルモンが試しているという話を聞いたことがある。そんなに厳しくしないで、今くらい寝かせておくれよ...ホルモン様。
胸はありがたいほど大きくなるけど、乳輪は広がり乳首は濃くなる。お腹もぼっこんと膨らんで、毛が渦巻き、お臍の周りが黒ずみそこから上下に線が伸びる。脂肪とむくみで足が太くなる。お尻もボンっと丸くたくましくなる。ほかにも、肌質も少し変わったようで、それまで使っていた化粧水が合わなくなったり、血液量が増えるせいで身体が痒くなったり。はじめて虫歯にもなった。
本当に色んな身体の変化と発見がある日々。そして、これらの原因のほとんどが「ホルモンバランスの乱れ」なのだとか。おそるべしホルモン様の影響力。
妊娠後期(28週〜)、逆子
妊娠後期になると、我が子は「逆子」認定された。頭が上にあり、足が下にあるのでこのままでは自然分娩は望めない。産み方に特にこだわりはないし、帝王切開でもいいけれど、初産だし、下から産む経験もしてみたいという好奇心もある。
逆子認定された28週から、「逆子体操」が寝る前の日課となった。四つん這いになり、腕と胸をべったり床につけ、お尻を突き上げる。この姿勢を15分保つことで、赤ちゃんが骨盤から外れて動きやすくなるという。
その後、ぐるんと私の場合は右に回り込んで1時間以上横になる。その時に赤ちゃんは頭の重みで下を向くのだとか。かなり原始的なこの体操、簡単そうに思えて地味につらい。15分同じ姿勢をキープするのが難しいし、お腹も張ってくる。
逆子体操の姿勢。病院で渡された資料より
1週間続けても我が子はびくともしなかったため、切迫流産や切迫早産の時に飲むという張り止めの薬を飲みながら、体操を続けることに。
先生は「副作用として動悸がしたり手足が震えたりすることがありますけど、赤ちゃんには全く問題はないのでね」と言う。朝昼晩その薬を飲むと、先生の言う通り、身体は素直に反応。運動をした後のように動悸が高まり手がわなわな震えた。
そうまでして逆子体操を毎晩続けたのに、29週でも我が子は定位置のまま。次第に逆子体操にも薬の副作用にも慣れていったが(逆子体操の姿勢で寝てしまうこともあるくらい←意味ない)、どうやら我が子もその状態に慣れてしまったらしい。一週間逆子体操は休憩し、薬を飲みながら回ってほしい方向である右向きに寝転ぶという方法をとり、その間、逆子に効くとされるお灸にも通った。
我が子はよく動いているけれど、ぐるんという感覚は一向にない。30週目、背骨の位置は変わっていたけれど、頭の位置は変わらず。惜しい! 逆子体操をまた再開することとなった。その効果もあってか、我が子は夜眠る時にとにかくよく動いた。動きすぎて一回転しちゃうんじゃないかと思うくらい。正しい位置がいまいちわからないから、逆子体操をやめることはできない。そして、その激しい胎動のせいで眠れない日々が続く。7月という暑さのせいもあるだろう。
逆子認定されて1ヶ月以上、常に同じ右向きで寝ているため、骨盤がゆるくなっているせいで歪むのか、右の股関節やお尻、腰が痛んだ。足を引きずるレベルで痛い。それでも「右に回転するんだよ、頭が下だよ」と我が子に言い聞かせながらひたすら右を向いた。
結局、胎児の位置が固定されてしまうと言われる33週になっても、我が子は逆子のままであった。骨盤に対して、我が子の成長は順調らしく、動ける隙間がほとんどないそうだ。頭を上にして骨盤の上にちょこんと座り、足をばたつかせて、私の膀胱を刺激する。たださえ頻尿だというのに。でもなんだか、その姿を想像して愛おしい気持ちになったりもする。
予定日が2週間違いの友人たちと。32週の頃。
立会い出産の絶対条件となる両親学級に参加するため、夫に仕事の合間に東京から愛知(里帰り先)に来てもらった日の検診で、帝王切開で出産する予定日が決まった。
我が子は成長が早いため生産期に入ってすぐの37週目には産んだほうがいいだろうと。予定日よりも20日ほど早い。前日までに逆子が直ればキャンセルして、陣痛を待って自然分娩での出産に切り替えるらしい。
この時点で私は、直前でも逆子は直るというし、自然分娩の可能性も捨てたくはなかった。が、しかし、その日の両親学級でその気持ちは揺れに揺れた。陣痛にはじまるお産の様子を股下からばっちり映した映像を見た時の衝撃たるや。子宮口がぐにーんと伸びて、白い膜のようなものを纏った赤ちゃんの頭が見えたと思ったら、ぬるんと血に包まれた身体までが飛び出し、へその緒が切られる。その直後に大きなレバーの塊のような胎盤がどろんと出てくる。その間鳴り響いていたのはお母さんの雄叫び...。
感動の出産シーンなのであるが、実際に出産を間近に控えた妊婦にとっては、正直ホラーだった。身体に力が入り嫌な汗をかき、直視できず隣にいる夫と目を合わせて固まった。
子宮口の開きが尋常じゃない。ノー麻酔でこれはそりゃあ痛いに決まっている。痛い痛いとは聞いていたけれど、産み終えたお母さん方は、「みんな経験してるから大丈夫よ」と口を揃えて言う。いや、大丈夫なんだろうけど、出産は、い・の・ち・が・け。そのことを出産直後にして、まじまじと感じた。
帝王切開だって、お腹を切るわけで、個人差はあれど、その痛みは何年も続くこともあるという。切腹。これまで自分の身体を切ったり縫ったりした経験のない私には、その痛みも想像はできない。痛みを回避できるなら無痛分娩だってありだと思う(私が通う病院にその選択肢はない)。
妊婦は妊娠中だって、ホルモンに振り回され、色んな痛みや不調を経験しているし、どんなお産のかたちも、いのちがけで赤ちゃんをこの世に生み出す立派な行為だから。
「切迫流産」や「切迫早産」、「前置胎盤」や「高血圧症候群」、「感染症」など妊婦は常にリスクと隣合わせで、自分以外の小さな命を守るために、緊張もする。ささいなことで不安になったり、イライラしてしまったり。もちろん不思議なくらい幸せを感じる瞬間だってある。胎動を感じて、まだ見ぬその存在がきゅんと愛おしくなることも。
こうして色んな感情の起伏や身体の変化を体験しながら、自分の身体に、別の命が宿る、心臓が2つある、我が子と一心同体の時期はあっという間に過ぎていった。
父と母と、京都にて。34週の頃
いよいよ34週、あと1ヶ月も経たないうちに我が子と対面することになるかもしれない(帝王切開の場合37週で出産予定)。
仮であっても出産の予定日が決まると背筋が伸びる。やり残したことはないか、迎え入れる準備はできているだろうか(実際は入院準備すらまだできていない)と、どきどきそわそわもする。
はたしてどんなお産になるんだろうか。どんなお産のかたちでも、無事、元気に産まれてきてくれればそれでいい。そのためなら、母になる私はホルモンの奴隷にだって、いいなりにだってなるし、どんな痛みにだって耐えるよ!