豊かさとは何か?
科学ジャーナリストのマット・リドレーは、豊かさとはより単純な生産活動で、より多様な消費活動ができるようになることだと定義した[*1]。「よりわずかな生産活動」と言い換えてもいいだろう。旧石器時代の人々は、森を一日中歩き回らなければ必要充分なカロリーを得られなかった。しかし現在ではアルバイト1時間分のカネで、カロリー過多な食事を取れる。これが豊かになったということだ。
これほど明快な「豊かさ」の定義を、私は他に知らない。この定義の強みは、時代や地域を超えて、社会の豊かさを比較検討できることだ。
19世紀後半にはイギリスの識字率は80%に達し[*2]、読書が庶民の娯楽になった。『二都物語』や『オリバー・ツイスト』には当時の庶民の憧れが描かれているし、隣国の『三銃士』は現代日本の少年マンガや剣客小説にそっくりだ。膨大な数の「文字を読める庶民」がいなければ、大衆娯楽小説は成立しない。産業革命がなければ『シャーロック・ホームズ』は生まれなかった。
20世紀半ばにはフォーディズムが始まり、世界は本格的な大量生産・大量消費の時代に突入する。さらに戦後のインフレにより富裕層の資産が毀損され、所得格差が大幅に是正された[*3]。庶民の可処分所得が増えたことで、サブカルチャー、ポップカルチャーが爆発的に発展した。ビートルズ、ボブ・ディラン、スタンリー・キューブリック......。
現在まで続く、庶民が文化の主人公になる時代の幕開けだ。文化や芸術は特権階級のものではなくなった。私たちが映画やマンガ等の多様な消費を楽しめるのは、産業革命と経済発展のおかげだ。
インターネットを眺めていると、「経済発展が豊かさをもたらすとは限らない」という言説をしばしば目にする。私に言わせれば、ネットに繋がる端末を購入できることこそが豊かさの証拠だし、そもそも産業革命以降の飛躍的な経済発展がなければ、「豊かさとは何か?」と思索を巡らせる余暇さえも生まれなかった。
豊かさとは、よりわずかな生産活動で、より多様な消費活動を楽しめることだ。
この定義に照らすと、日本の労働者は豊かさを失いつつあるように思える。長時間労働や過労死のニュースが飛び交い、低賃金がしばしば問題として取り上げられる。もしも日本人の労働時間が長くなり、収入が下がっているとしたら、「日本は貧しくなった」と言えるはずだ。
では、実際にはどうなのだろう?
調べてみた。
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上記はOECD主要国の年間平均労働時間のグラフだ[*4]。
インターネットは魔法の鏡だ。どんな疑問を投げつけようと、欲しい答えを返してくれる。(※欲しい答えが、正しい答えだとは限らないけれど......)上図ではデータが欠けているが、おそらくアメリカの上に韓国が来る。かの国は、いわばバブル以前の日本のようなもので、労働時間がきわめて長い。
このグラフを見ると、たしかに日本は、労働時間が長いグループに入っているように見える。そしてイタリアと並んでいるのが印象的だ。景気低迷が長く続いていることや、膨大な政府債務を抱えていること等、日本とイタリアの経済には似ている点が多いらしい。労働時間でも似たような水準にあるようだ。またかよ、お前。いつも日本のすぐ隣にいるよな──って感じだ。
このグラフはあくまでも目安程度のものだが、日本が「労働時間が長め」のグループっぽいことは分かった。問題は、所得だ。労働時間の長さに対して所得がわずかなら、それは「豊か」とは言えない。
金銭的な豊かさを調べるには、購買力平価の一人あたりGDPという指標がよく使われる。一人あたりのGDPを、物価やインフレ率を補正して1990年のUSドルで表現したものだ。オランダのフローニンゲン大学マディソンプロジェクトが作成したものが公開されており[*5]、Excelでダウンロードできる。もちろん無料だ。インターネットってすごい。
私の手元に2010年のデータがあったので、さっそく散布図にまとめてみた。上図はその結果だ。
これを見ると、「労働時間の長い国ほど金銭的に豊か」とか、「短い国ほど金銭的に貧しい」とは言えなさそうだ。当然だ。GDPは、金利や貯蓄率、政治情勢など、様々な要因によって決まる。労働時間は無数にある要因の一つに過ぎないため、明白な相関関係・因果関係は現れないはずだ。
日本の位置を見るとグラフの真ん中あたり。いたって普通の国という印象だ。アメリカの労働時間は日本より長いものの、一人あたりGDPは目立って高い。極端な例は韓国で、一人あたりGDPは日本と同程度だが、労働時間は2200時間に迫ろうとしている。一方、優等生はノルウェーだろう。労働時間は短く、一人あたりGDPは高い。
この手の話題では、いつも「北欧ってすごいね」という結論になりがちだ。今回も例外ではなかった。というかノルウェーは、オランダ、デンマーク、ドイツとともに短時間労働国のグループを作っているようにも見える。ゲルマン人は働くのが上手いのかもしれない。イタリアについてはノーコメント。
一人あたりGDPと労働時間を調べると、日本はまだ「貧しい国」とは言えなさそうだ。ニュースでは長時間労働や若者の低賃金が話題になっているにもかかわらず、だ。テレビや新聞の報道から受ける印象と、実態はかなり違う。
では、日本人の労働時間は長くなっているのだろうか?
上図のグラフを見れば一目瞭然だが、じつは日本の労働時間はバブル期をピークに下がり続けている[*4]。グラフの「全就業者」にはパートタイム等も含まれており、雇用者のみのデータよりもやや短くなる。が、さほど大きな差はない。このデータは事業所の申告に基づくもので、サービス残業や自営業者の労働時間は含まれていない。とはいえ、日本全体としては、労働時間は短縮される傾向にあると言っていいだろう。
日本の労働組合は賃金の増額をあまり求めなくなり、代わりにゼロ年代半ばから「ワーク・ライフ・バランス」を推進するようになった[*6]。その成果が現れているのかもしれない。ニュースを賑わせるような超長時間労働やブラック企業は、日本の平均的な労働環境から見れば例外だ。(※もちろん、例外であることが、それを肯定することにはならない。たとえば殺人被害者は交通事故死者よりもはるかに少ないが、だからといって殺人は肯定できない)
この折れ線グラフを見た瞬間、ピンとくるものがあった。
見慣れたグラフにそっくりだったからだ。
上図はサラリーマンの平均年収の推移だ[*7]。国税庁の民間給与実態統計調査の結果をもとに、年収ラボが集計したものである。平成20年(2008年)の秋にリーマン・ショックが起こり、世界中が不況の底に突き落とされた。翌年から給料が大幅に減少し、現在でも元の水準には戻っていないことが分かる。
このグラフの形、先のどの折れ線グラフによく似ていないだろうか?
なので、重ねてみた。
もはや説明は不要だろう。日本の労働時間とサラリーマンの平均年収は、ぴたりと足並みを揃えて推移している。たとえば2006~07年のように平均年収が微増傾向だった時期には、労働時間も長くなっていた。世界同時不況の影響を受けた2009年には、労働時間は大幅に減少している。企業が労働時間を用いて人件費を調整してきたことは明らかだ。
日本では解雇規制が厳しいため、不況時に社員のクビを切って人件費を削減することができない。そのため経営者たちは、労働時間を短縮する方向に努力を傾けたのだろう。また労働者側は、リストラされるくらいなら賃金が下がるほうがマシだと考えていた。人件費を抑えたい企業側と、雇用を守りたい労働組合の利害が一致した結果が「ワークライフバランスの推進」だった。
リーマンショック以降、しばしば「ワークシェアリング」が話題になった。世の中の仕事の数は一定ではなく、景気が悪くなると、仕事の数は減ってしまう。失業者を出すくらいなら、一人あたりの労働時間を短くして仕事を分け合いましょう──。これがワークシェアリングの発想だ。上図の2008~09年におけるリーマンショックへの対応を見ると、少なくとも日本のサラリーマンの間ではワークシェアリングに成功していたようだ。
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豊かさとは、よりわずかな生産活動で、より多様な消費ができることだ。
日本人は過去20年で労働時間の短縮に成功した。が、一方で賃金も下がってしまった。これでは「豊かになった」とは言えない。私たちが豊かになるためには、労働時間が短くなるだけでなく、年収も増やす必要がある。
なぜ日本人の賃金は上がらないのだろう?
理由の一つは、雇用の流動性の低さだろう。バブル崩壊とともにリストラが横行し、終身雇用は幻想になった。にもかかわらず、いまだに「1つの会社に勤め上げる」という時代の価値観に拘泥している人が多いようだ。転職が一般的ではない社会では、労働者は企業と一蓮托生になってしまう。
企業側から賃下げを求められたときに(※より給与のいい会社に移るのではなく)要求を飲まざるをえなくなる。
雇用流動性が高まれば、賃金は上がる。なぜなら転職がありふれた社会では、ある企業が人材を集めるために給与水準を上げた場合、他の企業は人材の流出を防ぐために賃金を同水準まで上げるしかないからだ。賃金を高くする方向に競争が起きるので、結果として労働者の収入は増えるはずだ。
今の日本では、雇用流動化を阻む規制が二つある。
一つは同業他社への転職禁止、もう一つは副業禁止だ。日本では、この二つの規定を雇用契約に含めるのが慣習になっている。しかし、これらの規制は雇用の流動化を進めるうえでは重たい足かせになる。
退職後3年間は同業他社への就職を禁じる──。これが典型的な転職禁止規制だ。どんな業界であれ、3年も経てば事業環境は大きく変わる。労働者は、それまでの就労経験で身につけた技能を活かして転職することができなくなる。
企業側からすれば、自社のノウハウが流出するのを防ぐためにこのような規定を盛り込むのだろう。しかし、優秀な人材の流出を防ぎたいのなら、他社よりも高い賃金を準備すればいい。この規定は健全な賃金の競争を阻害して、日本人の収入を引き下げてしまう。経済全体にとっては有害ですらある。
また、副業禁止規定も問題だ。収入源が一つ(自分の勤めている会社)しかない労働者は、その収入源を死守しようとする。結果として、企業側の要求をすべて受け入れざるをえなくなる。収入源の分散が可能であれば、このような状況は起こりづらい。さらに、起業促進の観点からも副業禁止規定は無いほうがいい。現在の日本では、起業は人生を賭けたバクチになりがちだ。
雇用流動化を進めるために、解雇規制の緩和を求める人がいる。が、これは「仕事の数は一定だ」という誤解にもとづくものだろう。もしも世の中の仕事の総数が一定だとすれば、クビを切られやすくなっても、そのぶん新しい仕事を見つけやすくなる。
ところが現実には、仕事の数は景気動向によって増減する。不景気のせいでクビを切られても、新しい仕事が見つかるとは限らない。失職の恐怖から、労働者たちは今以上に自分の仕事に固執するようになるかもしれない。解雇規制の緩和では、雇用流動化は進まない。
むしろ解雇規制は「不景気に強い社会」の実現に役立っている可能性が高い。
先ほどのグラフで見たとおり、2008~09年の世界同時不況の際にサラリーマンたちはワークシェアリングに成功していた。解雇規制のせいでレイオフが難しく、労働時間の短縮で対応せざるをえなかったからだ。不景気が来るたびに大量の失業者が町に溢れて、窃盗や強盗が横行する──。日本がそんな社会にならずに済んでいるのは、強力な解雇規制のおかげかもしれない。
日本は貧しくなったのか?
豊かさの定義を「よりわずかな生産活動でより多様な消費活動をできること」だと定義すれば、先進国のなかで日本は「普通」だ。バブル期のピークに比べて、日本人の労働時間は大幅に短くなった。反面、サラリーマンの年収もあわせて下がってしまった。日本をもっと豊かにするためには、労働時間はより短く、収入はより高額にする必要がある。
日本のサラリーマンの収入が増えないのは、雇用の流動性が低いために企業間の賃金競争が起こらないからだ。この状況を改善するには、「同業他社への転職禁止」「副業の禁止」等の規定を無くすのが効果的だろう。一方、解雇規制は、不況に強い社会を実現するうえで有益であるため、緩和すべきではないと言えそうだ。
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インターネットを使えば、欲しい情報は何でも手に入る。テレビのコメンテーターや新聞の社説が正しいかどうか、元データをダウンロードして検証できる。これって、すごいことだ。
先日、姉から電話があった。ちょっとした副収入があったので、確定申告をして源泉徴収された税金を取り戻したいという。懇切丁寧に教える代わりに、私は国税庁のホームページを案内した。税理士のブログや、会計事務所のホームページなど、国税庁のページだけでは分かりにくい部分を解説した記事も山ほど見つかる。
ネットで検索することが当たり前になった社会では、知識を持っていることよりも、知識を見つけてくる能力のほうが重要だ。スマホを開けば、もはや消費しきれないほどのコンテンツが私たちを待っている。産業革命以前の人々の一生分の情報を、私たちはわずか1日で目にしてしまう。
よりわずかな生産活動で、より多様な消費活動ができること。
これが豊かさだとすれば、今ほど豊かな時代は過去にないだろう。
(2016年1月8日「デマこい!」より転載)
【参考文献等】
[*1]マット・リドレー『繁栄』早川書房(2010年)
[*2]グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』日経BP社(2009年)
[*3]トマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房(2014年)
※出典はOECDの調査による。
※なお、調査元のOECDは、このデータは国際間の比較には適していないと注意を喚起している。集計方法を統一することが難しいからだ。あくまで目安だと考えてほしい。