「現代」を知るためにこれだけは読んどけっていうWikipediaの記事

教養を身につけるには、相応の本を読むのがいちばんだ。が、いまの私たちは膨大な文献を読めるほどヒマではない。そこで威力を発揮するのがWikipediaだ。今回は「現代」を理解するために読んでおくべきWikipediaの記事をピックアップしてみた。

 日本で最初の神前結婚式は、明治33年(1900年)に東京大神宮で行われた。神道は日本古来の伝統的なものだと考えられがちだが、組織宗教として体系化されたのは明治以降だ。現代の私たちにとって当たり前の常識や習慣は、ほんの少し昔まで常識でも習慣でもなかった。

 「現代」を理解するためには、過去を知ることが欠かせない。

 病気にならなければ健康の大切さが分からないように、過去と照らし合わさなければ現代がどのような時代か分からない。現代を理解するための過去の知識のことを、教養という。

 教養を身につけるには、相応の本を読むのがいちばんだ。が、いまの私たちは膨大な文献を読めるほどヒマではない。そこで威力を発揮するのがWikipediaだ。たしかにWikipediaの情報は正しいとは限らないし、どんなに読み込んでも「つまみ食い」程度の知識しか身に付かない。しかし、聞きかじりの知識であっても、何も知らないよりはずっといい。

 今回は「現代」を理解するために読んでおくべきWikipediaの記事をピックアップしてみた。

 1.科学的な思考を身につける

 ■創造論

 創造論を巡る議論は、科学的な思考を身につける良いトレーニングになる。創造論者は数々の「科学的な証拠」を持ち出して、進化論や現代科学を否定しようとする。そうした「証拠」が、なぜ非科学的だと言えるのか。それを理解すれば、科学と非科学の境界が見えてくる。

 ■生気論

 ■機械論

 生気論VS機械論の議論も、科学と非科学の境界を知るのに役立つ。現代の自然科学では機械論が主流となり、生気論はいわゆる「トンデモ」になった。なぜ、そうなったのか。過去の経緯を知ると、「科学的思考とは何か」が分かってくる。

 創造論や生気論VS機械論が「問題編」だとしたら、いわば「解答編」に当たるのがオッカムの剃刀だ。自然科学の世界では、なぜ創造主の存在を仮定しないのか。なぜ霊魂や神秘的なエネルギーの存在を仮定しないのか。自然科学の思想的な根底には「オッカムの剃刀」という考え方がある。

 2.どのように「現代」が生まれたのかを知る

 近世はイタリアで始まった。中世ヨーロッパの暗黒時代はイタリアのルネサンスで終わりを告げ、現代まで続く思想・文化・芸術・科学技術の巨大な潮流が生み出された。

 ルネサンスと呼ばれる大転換を語る際に、コンスタンティノープルの陥落と東ローマ帝国の滅亡は外せない。コンスタンティノープルの学者や知識人は、古代ギリシャやローマ時代の史料を保存・研究していた。都市の陥落にあわせて、彼ら知識人が西欧へと亡命し、ルネサンスに大きな影響を与えた。

 ルネサンスはカトリックへの懐疑をもたらし、それが宗教改革とプロテスタントの誕生につながった。これは単なる新興宗教の誕生ではない。当時の人々は気づいていなかっただろうが、人類史上の大きな転換点だった。

 ルネサンスから数百年後、カトリックへの懐疑はイギリスにピューリタン革命をもたらす。こうした市民革命は王権神授説の否定につながり、共和制誕生の母胎となった。

 現代的な自由主義を、机上の空論ではなく、実践的な政治体制に昇華したのはアメリカだ。背景には清教徒革命から連綿と続く思想的基板がある。

 アメリカ独立戦争はヨーロッパの思想に決定的な影響を与え、フランス革命へと続く大きな潮流を生み出した。フランス革命により、人類は史上初めて「国民国家」を発明する。国民が国家を統治するようになって初めて、人類は国民としての自覚を手に入れた。国家への帰属意識や現代的な愛国心──いわゆるナショナリズムは、18世紀のフランスで誕生した。

 宗教改革以降の合理的な思想は、科学技術の発展をもたらし、18世紀のイギリスで「産業革命」として結実した。技術革新とそれにともなう産業構造の変化は、人々の生活を大きく変えた。現在の私たちの常識や習慣には、産業革命のころに生み出されたものがとても多い。たとえば身近なものでは、学校教育や食パンなどである。学校教育は均質な工場労働者を育てるという目的で発明された。また食パンの原型はイギリスパンであり、労働者に安価な食事を大量供給するという要請から発明された。

 日本の近代は19世紀後半、明治維新から始まる。

 現代の私たちにとっては当たり前で、古来から日本にあったと考えがちなものでも、じつは明治以降に持ち込まれたものが少なくない。たとえば小学校で飼育されているウサギ。あれはアナウサギを品種改良して家畜化したものだ。しかし、かつて日本にはノウサギ、ナキウサギ、アマミクロウサギだけが生息しており、アナウサギはいなかった。イナバの白うさぎ伝説に登場するウサギはノウサギであり、私たちのよく知るアナウサギではない。アナウサギが日本に持ち込まれ、広まったのは明治以降である。

 思想史と経済史をつなぐ重要な書物。現代の私たちが生きる資本主義経済は、プロテスタントの思想を土台として生み出されたことを分析している。

 ルネサンスと宗教改革がプロテスタントを生みだし、また清教徒革命やアメリカ独立戦争、フランス革命などの市民革命をもたらした。合理的な科学主義を発展させ、産業革命へとつながった。それら近現代の思想や文化、技術は、明治以降に日本に一気に流れ込んだ。ルネサンスは遠い過去のできごとではなく、今の私たちの生活に直接影響を与えた事件なのだ。

 3.「現代」の思想的な土台を知る

 現代社会において「個人の自由な選択」が制限される場合は、大きく分けて3つある。

 1つは、他者の権利を侵害する場合。

 2つ目は、自由を制限したほうが本人のためになる場合。

 3つ目は、自由な選択に見えて本当はそうではない(※騙されている等の)場合だ。

 とても雑な説明をすると、ミルはこのうちの1番目を思いついた人だ。彼の著した『自由論』は、明治初期の日本でベストセラーになったらしい。庶民が福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んでいたのに対して、インテリ層は中村正直の訳した『自由之理』を読んでいたという。日本の自由主義はミルから始まった。

 現代社会では、「個人の自由な選択」が制限される場合が3つある。そのうちの2つ目は、自由を制限したほうが本人のためになる場合だ。極端な話をすれば、私たちはヘルメットをせずにバイクに乗る自由や、シートベルトを締めずに自動車に乗る自由を生まれ持っているはずだ。では、いったいどんな理由からこれらの自由は制限されるのだろう。答えはパターナリズムにある。

 適度なパターナリズムは社会に有益だが、それが強くなりすぎると個人の自由の侵害でしかなくなる。たとえばポルノのイラストを描く自由や、それを鑑賞する自由について考えてみよう。えっちなイラストは、いつどんな場所で鑑賞しても許されるものだろうか。あるいは、そういうイラストを描くこと自体を制限すべきだろうか。えっちなイラストは、どの程度まで制限するのが「適度」だろう?

 現代社会では個人の自由な選択が制限される場合が3つあると私は書いた。では、その3つ以外に自由が制限される場合はありうるだろうか? 候補の1つとして、ベンサムの提唱した功利主義があげられる。

 すごく雑に説明すると、ベンサムは「再大多数の最大幸福」という考え方を提唱した人だ。社会全体の「幸福の総量」が高まるなら、個人の自由は制限されうると彼は考えた。社会の幸福のために個人の犠牲はどこまで容認できるのか? これは現代社会で今まさに問題になっている論点だ。

 功利主義の危険なところは、過激な解釈をすれば個人の犠牲をどこまでも許せてしまうことだ。たとえば敵の戦艦を沈めるためなら青年1人の命が失われてもかまわない、結果として社会全体の幸福度は高くなるのだから......といった極端な解釈も不可能ではない。ベンサム本人の望みではないだろうが。

 時代遅れになってしまったベンサムの議論を、現代的に再生したのはミシェル・フーコーだと私は思っている。彼の著した『監獄の誕生』はスゴ本。必読だ。権力とは何か。権力は、なぜ、人々に「刑罰」を課すことができるのか。歴史的な経緯をふまえて分析している。

 4.経済について知る

 学生時代、生態学の教科書の冒頭にこんなことが書かれていた:

 生態学とは、生物同士の相互作用を対象とした経済学である。

 社会人になり、教養レベルとはいえ経済学を勉強した今なら、これが逆だと分かる。経済学とは、ヒトの活動を対象とした生態学だ。経済のことが分かれば、ヒトがどんな生き物か、どのような生態を持っているのかが見えてくる。ヒトの現代社会を理解するのに、経済学の視点は欠かせない。

 現代的な経済学はアダム・スミスから始まったと言っていいだろう。「神の見えざる手」の発見は、経済学の根幹を塗り替えてしまった。

 20世紀の経済思想に決定的な影響を与えたのはマルクス経済学だ。たとえば「上部構造」「下部構造」といった発想は、経済学の枠を超えて、現代でも日本の知識層に巨大な影響を与えている。

 マルクス経済学が独自発展した特異な経済思想だとしたら、現在の経済思想の「王道」は何だろう?

 それは、ケインズ経済学だ。

 経済学部の学生は、大学に入ってまず最初にケインズの経済学を学ぶらしい。また最先端の経済学研究者であっても、ケインズの理論を発展させるか、否定するか、ほぼ必ず言及を求められるという。要するに、いまの経済学の軸になっているのがケインズの理論なのだ。

 ケインズ経済学をひも解けば、現代の経済を理解するために必要な要素を一通り学ぶことができる。

 ケインズ経済学は「王道」だが、批判がないわけではない。その急先鋒はハイエクだろう。80年代からゼロ年代にかけて経済政策を席巻したネオリベラリズムに、ハイエクは多大な影響を与えた。

 現在いちばん人気のある経済学者だと理解しておけばだいたいオッケーだ。雑な説明で申し訳ない。

     ◆

 まず科学的な思考を身に付け、そして「現代」がどのように生まれたのか歴史的な経緯を学び、さらに現代社会の哲学的な土台と、経済学的な視点を知る。そうすれば、世の中の見え方はきっと変わる。

 たとえば私は、社会人になってから経済学を勉強した。が、そこにはセンス・オブ・ワンダーがあった。小学生のころに恐竜の化石を見たときのような驚きがあった。なぜシマウマが白黒なのかを知ったときと同じ納得感があった。ペットボトルを凍らせて破裂させた──水が氷になると体積が増えることを発見した──ときのような快感があった。知らないことを知り、分からないことを理解する。その喜びは何歳になっても子供のころと変わらない。

 Wikipediaを読むときは、必ず、頭の片隅で「これは間違った情報かもしれない」と考えておかなければならない。どんなにWikipediaを読み込んでも「つまみ食い」程度の知識しか身につかないし、本当のことが知りたければ参考文献を当たった方がいい。しかし「まず疑ってみる」→「他の文献で検証する」という習慣を身につけることが、そのまま知的な習慣になると私は思う。

 ※あわせて読みたい

 1.科学的な思考を身につける

 2.どのように「現代」が生まれたのかを知る

 3.「現代」の思想的な土台を知る

 4.経済について知る

(※この記事は2013年12月9日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)

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