モノを創れないやつらは規則をつくる/たとえば荒れ地に木を植えるように

少し古い話になるが、海外の「日本食」をライセンス制にしようという動きがあった。海外旅行をすると、奇妙な日本料理店をしばしば目にする。

少し古い話になるが、海外の「日本食」をライセンス制にしようという動きがあった。

海外旅行をすると、奇妙な日本料理店をしばしば目にする。看板には「日本」と書かれているけれど、出されるメニューは現地風にアレンジされていたり、中国や韓国の料理と混同されていたり――。そんなのけしからん! と思う人たちが、日本料理の認定試験を設けようとしていた。

<海外日本食>変わった味に"選別"必要?

これ、じつに官僚的な発想だと思う。

要らない規則を増やせば「監視役」の仕事ができる、要らない認定試験を増やせば「試験官」の仕事ができる。実利のない仕事を生み出すことにかけて、官僚たちは天才的だ。

たとえば大麻が世界的に違法になったのは、20世紀の初頭にアメリカが各国に圧力をかけたからだという(※ソース失念、都市伝説かもしんない)。当時のアメリカは禁酒法が廃止されたばかりで、酒を取り締まっていた大量の公務員が職にあぶれてしまった。そこで大麻に白羽の矢が立った。当時、大麻は現在のたばこや酒と同じように一般に浸透していた。フィラデルフィア万博では「大麻をふるまうパビリオン」すらあったという。しかし南西部の州から徐々に禁止されていった。大麻消費者の多くは黒人で、禁止しても反発が起こりづらかったのだ。酒に代わる新たな「禁止品」としてぴったりだった。その後、大麻禁止のムーブメントは世界中に広がり、いまではオランダなどのごく一部の地域でしか合法化されていない。

仕事がなければ、仕事を作ればいい。

発想そのものは立派だが、その「仕事」が公共の利益にかなうものとは限らない。市場の失敗を補い、将来のために公的な財を蓄積するのが行政の役割だ。が、実際には「公務員の失業を防ぐため」という後ろ向きな理由から「仕事」が作り出されてしまう。私見だけど、市バスの運転手はどちらかといえば「必要な仕事」だと思うよ。もっとずっと要らない仕事はあるはずだ、無意味すぎて要不要の判断ができないような仕事が。

たとえば「日本食のライセンスを発行する」という仕事。日本の文化を「正しく広めるため」という理由づけをされたら、なんとなくそんなモンかなぁと思ってしまう。要不要の判断が難しくなる。

けれどライセンスを発行したって「正しい文化」が広まるとは限らないし、そもそも「正しい文化」を広める必要性がない。伝統からの逸脱や、多少の誤解があったとしても、そこから新たなすばらしいモノが生まれるならば歓迎すべきだ。たとえば生ガキを食べる習慣は、江戸時代までの日本にはなかった(※生産地を除く)。生ガキを好んで食していたのはもっぱらフランスやイタリアなどのヨーロッパ諸国だ。日本でカキの生食が一般化したのは明治以降だった。しかし現在、生ガキは日本料理とうまく融合・調和している。

なにより文化は、私たち一人ひとりの感情や習慣によって生み出される。政府や権威的な誰かが生み出すものではない。行政が文化をコントロールしようとすれば、中国の文化大革命のような悲劇につながる。「正しい文化」を定義する権利は、政府にはない。

この「日本食のライセンス制度」は結局、実現されなかったという。当たり前だ、あまりにも無意味なのだから。こういう「無意味すぎて要不要の判断ができない仕事」って、かなりたくさんあるんじゃないかな。

       ◆

たとえニセモノでも「日本文化」的なものが広がるのは、好ましいことだと思う。

大航海時代から20世紀まで、西洋文化は世界中の土着文化を破壊しつくした。ならば次は、東アジア(わたしたち)のターンだ。武力ではなく圧倒的な創造力で、世界を席巻してやろうじゃないか。

1000年後、ニホンゴは地球上から無くなっているかもしれない。私たちが生み出したモノを残すチャンスは今しかない。たとえニセモノであっても「日本っぽいもの」が広まるのはいいことだ。そこから「本当の日本」に興味を持ってもらう可能性が広がるからだ。そして「日本っぽい文化」が他の文化と融合し、すばらしいモノへと昇華されるのなら、もはや「日本」というラベルなんて要らない。

ライセンスを発行して「正しい日本」を認定する?

なにそれ、超ウケるwww

Minecraftというゲームがある。レゴのようなブロックでできた世界を舞台に、それらブロックを採取して好きなモノを作るというゲームだ。自由度の高さとゲーム上の制約とのバランスがすばらしく、世界中で爆発的なヒットを飛ばしている。

このMinecraftを開発した通称"Notch"ことマルクス・A・ペルソン氏は、海賊版を容認するような発言をして波紋を呼んだ。Minecraftの正規版はダウンロード販売されているが、違法なコピーが広く出回っている。「お金がないので(Minecraftを)無料で遊べるようにしてほしい」というツイートに対して、「海賊版で遊べよ。それでもし将来、ゲームを買うお金ができて、まだ僕のゲームが好きだったら買ってくれればいい。もちろん、罪の意識は忘れずにね」と回答したそうだ。

違法ダウンロードは悪ではない?「Angry Birds」「Minecraft」開発者の発言が話題に - ねとらぼ

Youtubeやニコニコ動画を開いてみれば、Minecraft のプレイ動画が大量にアップロードされている。単なる「商品」と呼ぶにはあまりにも人気が高い。だからこそNotch氏は、海賊版で遊ばれても平気な顔をしていられる。違法ダウンロードは悪いこと。である以上、本当に好きになってくれたユーザーはいつかホンモノへと帰依する――Notch氏はそれを理解しているのだ。彼は単なる「商品」ではなく、Minecraftという「文化」を創った。

目先の利益を求めてニセモノを取り締まるのではなく、真贋を問わず広く親しまれること。

それが将来の利益につながり、その文化を永く愛されるものにする。

       ◆

『木を植えた男』という絵本がある。

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木を植えた男

作者: ジャンジオノ,フレデリックバック,寺岡襄

出版社/メーカー: あすなろ書房

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1913年フランス・プロヴァンスの荒れた高地で、一人の男がどんぐりの種を植えていた。周囲の村はどこも貧しく、住人たちは神経をいらだたせて争いが絶えない――。そんな場所で、羊飼いの男は悠然とどんぐりを植え続けていた。作者ジャン・ジオノが若いころに実際に出会った人物だとされており、名前はエルゼアール・ブフィエという。

やがて第一次世界大戦が始まり、作者ジャン・ジオノは兵役についた。ブフィエ氏のことを思い出す余裕も失ってしまった。そして終戦、無性に新鮮な空気を吸いたくなったジャンは、ひさしぶりにブフィエ氏のもとを訪れる。すると荒れ果てていたはずの土地に、青々とした若木が葉を茂らせていた。カシワやカバの木立がよみがえり、小川のせせらぎが流れを取り戻していた。

やがて第二次世界大戦が始まるが、そんな時代にもブフィエ氏は黙々と木を植え続けた。1945年7月にジャンが訪れたとき、かつての荒れ野は姿を変えていた。深緑の樹林にはかぐわしいそよ風が吹き、豊かな水がこんこんと湧き出ていた。周囲の村には若い夫婦たちが戻っていた。訪れた役人は、自然の力がもたらした奇跡だと評した。まさか一人の男が半生をかけて成し遂げたことだとは、誰も思わなかった。

ブフィエ氏の尊い行為は、まさに神の行いにも等しい「創造」だ。

そして1947年、ブフィエ氏は養老院で安らかに生涯を閉じる。

文化をつくるということは、たぶん、木を植えるようなものなのだろう。

目先の利益のためにつまらない規則を作ったり、不必要な認定書を発行したり――。それらは一時的な儲けをもたらすかもしれないが、そんなことをしても「文化」は育たない。井戸を汲みつくして、荒れ地を広げるだけだ。

たとえすぐには利益につながらなくても、将来の――若い世代に豊かな土壌を残すこと。それが「文化」をつたえるということだと、私は思う。大人として生きるということだと私は思う。「クリエイティブ」と評されるような派手さはなくていいし、「イノベーティブ」と呼ばれる奇抜さがなくてもいい。地味で、地道な生き方でも、「創造的な生き方」はできるのだ。

アーティストになろうという意味だけではなく。

モノ創るひとになろう。

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Minecraft - Volume Alpha

アーティスト: C418

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※このPVに登場する家や街灯、敷石、調度品などはゲーム開始時には存在しない。これらの素材になるブロックをプレイヤーが採掘して、独創性のおもむくままに作り上げていくのだ。

(2012年2月27日「デマこい!」より転載)

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