酔っていた。
笑いながら、言った。
「......ほら、私ってバカだから!」
彼はビールのグラスを置いた。
「バカだから?」グラスのなかで、茶色いスタウトの泡が咲く。「バカだから、だって?」
いつものアイリッシュパブで、いつもの仲間と飲んでいた。フィッシュ&チップスに伸ばしかけた手をひっこめて、私は口ごもる。
「いや......えっと、その......」
まずい謙遜を言ってしまったな、と反省しつつ、酸っぱいスタウトを舐めた。
彼は高卒で、私は大卒だった。
彼は非正規雇用で、当時の私は正社員だった。
◆
あらゆる差別は、「記号化」と「レッテル貼り」から始まる。
記号化されたイメージから、ある人物を憶測で判断すること。黒人は、犯罪をためらわないだろう。女郎は、淫らで卑猥な性格をしているだろう。そんな一般的なイメージを押し付けて、個性から目を逸らすこと。そこから、あらゆる差別が始まる。
たとえば、黒人のモラルが低いと信じられていた時代のように。
たとえば、売り飛ばされた寒村の娘が「女郎」と罵られ、男を堕落させる悪鬼のごとく扱われていた時代のように。
いまの日本では「低学歴」という言葉が、そういうレッテルになっているようだ。
少なくとも、高卒の友人にコンプレックスを植え付ける程度には、私たちの社会は学歴差別に満ちている。
恵まれた人たちは、学歴なんて関係ないよと言う。
人間の価値はそんなものでは決まらない。仕事ができるかどうかも関係ない。だから、みんな胸を張ろう。そう言ったのと同じ口で、低学歴はモラルが無いと嘆く。中卒者、高卒者の履歴書をシュレッダーにかける。
私たちが生きる社会には、歴然とした学歴差別が存在している。
しかも、合理的な「区別」と見なされて野放しにされている。
いい企業が経理担当者として雇うのは、商業高校を卒業した真面目で簿記に長けた少女よりも、大学で遊んでいた生物学科卒の男だ。
男で、大卒だからだ。
IT企業が正社員として雇うのは、高専で情報技術を学んだ少女よりも、大学で六法全書を学んでいた男だ。
男で、大卒だからだ。
人は弱虫だ。
かんたんに変えられない現状を目にすると、現状を肯定しようとする。すっぱいブドウを愛したイソップ物語のキツネのように、たくさんの言い訳を重ねて現状を維持しようとする。
「そうは言っても、どうせ女は出産したら辞めちゃうでしょ?」
「そうは言っても、やっぱり大卒者のほうが、要領がよくて適応力も高いでしょ?」
言うまでもないが、大卒者だからと言って適応力が高いとは限らない。女だからといって出産するとは限らないし、そもそも子供ができたら辞めざるをえない職場は男女どちらにとっても不幸だ。これらの言い訳は、付け焼き刃にすぎない。
付け焼き刃の言い訳で維持される現状は、安定しているかもしれないが、希望がない。
現実を変えようとする勇気がない。
未来に向かう創造力がない。
すでにたくさんの人が指摘している通り、コンビニの冷蔵庫に入るかどうかと、低学歴であるかどうかは、相関も因果もない。たしかに世の中には、モラルに欠けて非常識で、ときには暴力的な人たちがいる。そういう人たちを「低学歴」と呼び捨てるのは、記号化・レッテル貼り以外のなにものでもない。
モラルのない人間を指して、「低学歴」と言うべきではない。
「モラルのない人」と呼ぶべきだ。
暴力的な人間を指して、「低学歴」と言うべきではない。
「暴力的な人」と呼ぶべきだ。
常識のない人間を指して、「低学歴」と言うべきではない。
「非常識な人」と呼ぶべきだ。
無用なレッテル貼りを氾濫させるのは、ラーメンの食材をかじることやゴキブリをフライヤーで揚げることと同じぐらい、非常識で無遠慮で、恥ずべき行為だと私は思う。
学歴ぐらいしか誇れるもののない人ほど、学歴にすがる。
(※この記事は2013年8月10日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)