(「デマこいてんじゃねえ!」2013年6月16日付の記事を転載しました)
日本社会の荒廃を、貧困層のせいにする人がいる。いわく、貧乏人は無計画に子供を作り、しかも教育にカネをかけないので、バカが増えるという。本当だろうか?
あるいは教育コストの高騰で「豊かな人がますます豊かになる」という。本当だろうか?
どちらも間違っていると、私は思う。
一般的に、所得が増えると出生率は下がる。これは世界中で観察される現象だ。
ところが日本のように豊かさが飽和した社会では、「金持ちでなければ子供を作れない」という状況が成立する。極端な例を想像してみよう。もしも生まれてくる子供たちが「金持ちの子」だけだとしたら、数世代後には全人口が金持ちの家系の子孫になるはずだ。反面、所得格差がなくなるとは考えづらく、人口が入れ替わっても貧富の差は残り続ける。つまり大多数の人が「没落」を経験することになる。
現実には、こんな極端な状況にはならない。が、「高所得なほど子供をたくさん作る」という傾向があれば、これに近い現象が起きるはずだ。相対的な所得階層が親より高くなる子供よりも、低くなる子供のほうが多くなる。大多数の子供たちが「プチ没落」を経験するのだ。日本の若者たちが閉塞感を覚えるのは、成功の可能性よりも没落の可能性のほうが高い――、絶えず下向きの圧力にさらされているからだ。
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では「高所得なほど子供をたくさん作る」という傾向が、本当にあるのだろうか。
目次:
1.世界の常識
2.世帯の所得と子供の人数
3.世代交代と人口の流動
4.絶望の国から抜け出す
1.世界の常識
昔から「貧乏人の子だくさん」と言うが、たしかに所得が増大すると出生率は低下する。
これは世界の常識だ。おそらく一番の要因は乳幼児死亡率の低下だろう。産んだ子がほぼ間違いなく大人になると予測できるようになってはじめて、女性は生涯の出産人数を決め、家族計画を立てられるようになる。社会の豊かさが医療を身近なものにし、女性は「生む作業」から解放された。これは国際的な統計に如実に表れている。
※世界各国の所得水準と出生率との相関(154カ国、2005年)
上の散布図のように、豊かな国ほど出生率が低く、貧しい国ほど出生率が高い。
ところが先進国だけでグラフを作り直すと、興味深い結果になる。所得の高い国のほうが出生率も高くなるのだ。
世界全体では子供を5人作るか2人作るかという選択であるのに対して、先進国では子供を2人作るか1人作るか、あるいはまったく作らないかという選択になる。なぜなら先進国では教育費用など子育てのコストが高く、充分な社会保障と、それを支えられる一定以上の所得水準が必要だからだ。
著しく貧しい状況では、所得の増大は出生率の低下をもたらす。しかし豊かさが一定の水準を超えると、所得の増大は出生率の増加をもたらす。
では日本はどうだろう。出生率におよぼす所得の影響が低下から増加に転じる点があるとして、日本はその水準を超えているのだろうか。
「先進国では、所得の高い人ほどたくさんの子供を作る」
この仮説が日本では成り立つだろうか。上掲の資料は「国」という大雑把なくくりで所得と出生率との関係を見ている。しかし私たちが知りたいのは世帯ごと、個人ごとのデータだ。
2.世帯の所得と子供の人数
「日本では所得の高い人ほどたくさんの子供を作る」
この仮説を検証できる資料を探したのだが、どんぴしゃりなデータが見つからなかった。Google先生に尋ねてみても、出てくるのは所得と学力の関係を論じた資料ばかりだ。こういうとき、専門の研究者の方がうらやましくなる。独自の調査計画を立てられるだけでなく、データのありかについて情報を共有できるからだ。ネットはなんでも調べられるが、調べ方を知らなくては意味がない。力不足を実感しつつ、「就業構造基本調査(平成19年度)」という資料に行き当たった。
就業構造基本調査は統計局が5年おきに行っている大規模な調査で、各世帯の所得、就労形態、子供の人数など事細かなデータが公開されている。歴史は古く、1956年から続いているらしい。次回調査は今年の10月に予定されており、現時点での最新版は平成19年度のデータ、ということになる。日本の現在について調べるには微妙に古いかもしんない。ともあれ、今回は世帯の家族類型,子供の数と在学状況,妻の就業状態,世帯所得別世帯数という資料を参考にした。
平成19年就業構造基本調査>世帯単位で見た統計表>217 世帯の家族類型,子供の数と在学状況,妻の就業状態,世帯所得別世帯数
調査対象は、指定された調査区のうち総務大臣の定める方法により市町村長が選定した15歳以上の世帯員だという。日本全国の世帯数はおよそ5000万世帯ほどだが、それを網羅しているわけではない。世の中の「傾向」を知るための調査であって、「実態」を調べたものではない。
まずは各世帯の所得階層がどのような分布になっているか、そのまま棒グラフにぶち込んでみた。
所得が1000万円を超えたところで世帯数が跳ね上がっているのは、横軸の刻みが変わっているからだ。それまで100万円刻みで集計していたものが、ここでは250万円刻みになっている。(いきなりつまずいたよ分布を調べる意味ねーよ)
と、ともかく、所得100万円未満の極端な低所得層は少なく、年収500万~599万円をピークに高所得に向かってなだらかな斜面を描くことが推測できる。
この調査に限らず、所得の分布は「涙型」を描くことが多い。
低所得層から中間層へと世帯数(または人口)が一気に増え、高所得層に向かってゆるやかに逓減していく。極端な貧困者は少なく、そこそこ貧しい人やそれなりに豊かな人がたくさんいて、富裕層は小金持ちから大富豪まで幅広く分散している。この調査でも同様の分布があると推察できる。
また上述のグラフでは、各階層の世帯を「完了世帯」と「未了世帯」とに分けた。これは15歳以上の子供の有無を示している。
長子と末子の平均年齢差は4年以内に収まる場合が多いらしい。たしかに私の経験から言っても、兄弟姉妹の年齢差は10年以内である場合が多く、15歳以上歳の離れた兄弟はかなりのレアケースだと思われる。したがって15歳以上の子供がいる家庭は、もうこれ以上子供を作らない――家族計画を完了した世帯だと考えられる。そこで、15歳以上の子供が1人でもいる世帯を「完了世帯」と名付け、そうでない(子供が全員15歳未満)の世帯を「未了世帯」とした。
未了世帯のピークは400万~499万円、全体の分布よりも若干低く、高所得になるほど減っていく。これは未了世帯が比較的若いからだと思われる。年功序列が崩壊したといわれて久しいが、職務に熟練していない若い世代の所得は全体的に低くなるはずだ。子供が全員中学生以下の未了世帯は、親の年齢も若いため、所得の低い層に集中する。
一方、1人でも15歳以上の子供がいる「完了世帯」は、わりとまんべんなく散らばっている。これは「完了世帯」の年齢が比較的高いからだと思われる。噛み砕いた言い方をすれば、"出世レース"の結果が出ている世帯なのだ。
では、所得階層ごとの子供の数を確認してみよう。
今回参考にした資料では「子供が1人/子供が2人/子供が3人以上」という大雑把な情報しか分からない。が、4人以上子供のいる家庭はいまではイリオモテヤマネコぐらい珍しい。「カネ持ちほどたくさん子供を作る」という傾向を調べるうえで、深刻な影響はないと判断した。
このグラフは、各階層での「一人っ子世帯」「二人兄弟(姉妹)世帯」「子だくさん世帯」が、それぞれどれぐらいの割合なのかを示している。
たとえば三人以上の子供がいる「子だくさん世帯」は、所得200万円~299万円の層では10%に満たない。しかし高所得になるほど割合が増していき、1500万円を越す層では15%以上が「子だくさん世帯」だと分かる。
一人っ子の世帯はさらに特徴的だ。所得500万円未満の層では一人っ子世帯が半分を超え、所得が低いほど一人っ子率が高くなる。一人ぐらいは子供を残したいけれど、二人目は経済的に無理......という判断をしている家庭が多いのだろう。
これだけでも「貧乏人は無計画に子供を作るから~」という説が誤りだと分かる。子育てのコストが極めて高い日本では、貧乏人ほど慎重に子供を作るのだ。避妊や堕胎のコストは、子育てのコストよりもはるかに安い。
しかし、このグラフは世帯の年齢・年代を考慮していない。子供が全員幼稚園児という若い夫婦も、子供が全員高校生という壮年の世帯も、一緒くたになっている。
すでに書いたとおり、若い世帯は全体的に所得が低い傾向にあると思われる。つまり同じ「所得400~499万円」の層であっても、10年後には800万円台になっている世帯と、一生そのままの世帯とが混ざっているのだ。将来の所得増が――出世が見込まれる世帯ではたくさんの子供を作るだろうし、そうでない世帯は子作りをひかえるだろう。富裕層予備軍とそうでない層とが混ざってしまうため、家族計画未了の世帯だけで集計すれば、所得の影響は観測できなくなるはずだ。
結果はご覧のとおり、全体で集計したときよりも所得の影響がマイルドになっている。
一方、家族計画の完了した世帯で集計するとどうなるだろう。15歳以上の子供が一人でもいる世帯は年齢層が高いと予想され、将来の所得増減が期待されない。出世の結果だけでなく、家族計画の結果も決しているはずだ。本当は二人目、三人目を予定していたけれど、所得の伸び悩みからそれを断念した世帯もあるだろう。結果は次の通りだ。
なによりも目につくのは「一人っ子世帯」の割合だ。年収400万円未満の層では、一人っ子世帯がじつに7割に達する。「カネ持ちがたくさんの子供を作る」というよりも、「貧乏になると子供を作らなくなる」と言ったほうがよさそうだ。
以上のことから、「日本では所得の高い人ほどたくさんの子供を作り、所得の低い人はあまり子供を作らない」という傾向が明らかになった。
なお、年収300万円以下の層では未婚率が急増する。この資料では「子供のいる世帯」だけが登場しているが、実際には結婚できないし子供も作れない人がたくさんいる。「カネ持ちはたくさんの子供を残し、貧乏人は子供を作らない」という傾向は、今までのグラフから推測できる以上に強いだろう。
3.世代交代と人口の流動
所得階層の高い世帯がたくさんの子供を作り、低所得層はあまり子供を残さない。人口の供給源が一定以上の所得水準の世帯に限定されれば、空いた「低所得層の椅子」に一部の子供たちが座らざるをえなくなる。すべての子供たちに下向きの圧力がかかり、プチ没落の可能性が生じる。これが日本の若者たちの閉塞感の原因であり、不幸な空気の原因だ――。
この主張に対して、「そもそも高所得層は少ない」という反論が考えられる。
なるほど、たしかにカネ持ちほど子供をたくさん残すかもしれないが、そもそも高所得になるほど世帯数は減っていく。「富裕層」と呼べる世帯は、全体から見ればごくわずかだ。だからカネ持ちほど多産だという傾向があったとしても、世代交代の際に下向きの流動を引き起こすほどではない......。じつに理にかなった反論だ。
では、実態はどうなっているだろう。
それを検証できるデータをここで提示できればよかったのだが、残念ながら私の検索能力では見つけられなかった。たとえば全国の中学生の親の所得を調査した資料などがあれば、かなりハッキリと「カネ持ちは多産という傾向」の社会的な影響を確かめることができたはずだ。金持ちの親を持つ子供の割合は、日本全体の金持ちの割合よりも高くなるだろう――それを検証できるデータが欲しかった。(そういう資料をご存知でしたら教えてください)
しかし、先ほどの資料から類推はできる。
たとえば「一人っ子世帯」では世帯数がそのまま子供の人数になるし、「二人兄弟(姉妹)世帯」の世帯数に2をかければ、「二人兄弟(姉妹)世帯」の子供の総数になるはずだ。「子だくさん世帯」では3をかけて子供の人数ということにした。4人兄弟や5人兄弟の世帯も含まれているはずだが、レアケースとして目をつぶる。
また100万円刻みでは所得階層が多すぎて煩雑なので、単純な収入ではなく生活実態に即した分け方に変えたい。
たとえば所得300万円未満の世帯は、フリーター夫婦、もしくは低賃金な職業につくシングルマザー(ファザー)の世帯だと推測できる。この層を「低所得層」としよう。
続いて所得300万円以上600万円未満の世帯は、中小企業の正社員やあまり儲かっていない個人事業主、大企業の若年社員の世帯だと仮定する。この層を「中間層(下)」としよう。
さらに所得600万円以上900万円未満の世帯は、中小企業の管理職や普通の個人事業主、大企業の中堅社員などの世帯だと想像できる。この層を「中間層(上)」とする。
そして所得900万円以上からは「高所得層」と呼んでいいだろう。中小企業の社長・役員や、繁盛している個人事業主、大企業の基幹管理職などがこの層に含まれる。ただし上には上がいて、大企業役員や社長、資産家などいわゆる「富裕層」と呼ばれる人々と区別したほうが良さそうだ。ここでは上限を1500万円としようかな? 900万円以上1500万円未満が「高所得層」、それ以上を「富裕層」とする。
以上5つの分類で集計したグラフが、以下のものだ。
「低所得層」......300万円未満
「中間層(下)」......300万円以上600万円未満
「中間層(上)」......600万円以上900万円未満
「高所得層」......900万円以上1500万円未満
「富裕層」......1500万円以上
未了世帯は「中間層(下)」に集中している。一方、完了世帯は中間層~高所得層にまんべんなく散らばっている。最初に提示したグラフと同じ結果だ。
で、各世帯に子供の人数をかけてみた。
この結果だけを見ると、「高所得層は世帯数が少ないため人口の供給源にはならない」という反論が信憑性を帯びてくる。ボリュームゾーンである「中間層(下)」の親を持つ子供がいちばん多いという結果になった。
しかし、「中間層(下)」には未了世帯がたくさん含まれている。
未了世帯は全体的に年齢が若く、将来的な高所得層とそうでない層とが入り混じっている。出産・育児は、生物学的な選択と経済的な決断に左右される。いまは所得が低くても、将来的に増大する見込みがあるのなら、若いうちに産んでおきたいという生物としての判断が働くはずだ。「カネ持ちの家に生まれ育った子供のほうが多くなる」――この仮説を検証するには、未了世帯を抜いて集計し、潜在的高所得層の影響を取り除いたほうがいい。
完了世帯だけで集計したグラフは以下のとおりだ。
壮年の親たちの世帯――所得増大と出産人数の結果が固まった世帯――だけで集計すると、子供たちの人数は上記のようなグラフになる。中間層の親を持つ子供たちの人数と、高所得の親を持つ子供たちの人数とが逆転している。一定以上の所得水準の世帯が人口の供給源になっているであろうと想像できる。
あくまでも調査対象となった世帯では、だ。
注意したいのは、そもそもこのデータは「傾向」を知るためのものであって、実態を調べているわけではないということだ。さらに世帯数にいいかげんな子供の人数をかけるという、怪しげな計算でグラフを作図している。「高所得の親を持つ子供のほうが、低所得な親を持つ子供よりも多い」という実態の有無を確認できたとは言い難く、あくまでもそういう傾向があるかもしれないと思惟できるだけだ。
「日本では、所得の高い世帯ほどたくさんの子供を作る」という傾向は明白だった。しかし、その傾向が子供の人口構成にまで影響し、世代交代の際に下向きの人口流動を引き起こすかどうかは、より適切なデータを使った検証が必要だろう。
4.絶望の国から抜け出す
ここから先は、「高所得層のほうがたくさんの子供を作る/所得の高い親を持つ子供のほうが多い」という前提にもとづいて書く。
この前提はそこそこ当たっちゃってそうだ。まず、年収の低い層では未婚率が極端に高くなることが知られている。したがって、一生を低所得のまま過ごす人は子供を残さない場合が多いはずだ。では数十年後その人が死んだ後に、いったい誰が空席を埋めるのだろう。また所得が低くなるほど一人っ子世帯の割合が増すことが分かった。しかし親は二人だ。世代交代をしたときに空席が生じるけれど、誰がそれを埋めるのだろう。
もちろん、一つ上の階層の子供たちだ。
人口がほぼ横ばいであり、なおかつ所得階層の構成が一定である限り、「プチ没落者」が生じるのは避けられない。低所得の子供が少ないのなら、中間層の子供たちが将来の低所得層になるだろう。中間層の子供たちが少ないのなら、高所得層の子供たちが将来の中間層になるだろう。所得の高い層ほどたくさんの人口を供給するのなら、すべての子供が下向きの圧力にさらされる。
放っておけば低所得層の人数は減っていく。それを移民で補うことができれば、多くの日本人がプチ没落をせずに済むだろう。しかし最初から貧民になってもらうことを前提とした移民受入れが成功するとは考えづらいし、正義にかなうとも思えない。なにより移民の効果は一時的で、五十年、百年という長期的な――移民が「日本人」になるのに充分な期間で考えれば、もとの状況と同じになる。
また所得階層の構造を変えるのは、おそらく不可能だ。所得の分布は「涙型」になるのが普通で、万人の平等を目指した中国やロシアでも同じだった。ボリュームゾーンがどこになるかの違いがあるだけで、貧民と中間層、そして散在する高所得層~富裕層という所得階層の構造はほとんどの社会で共通のものだと思われる。
乳幼児死亡率が低く、また労働集約的な産業が廃れた社会では、親たちは少ない人数の子を計画的に産み、育児・教育に多額の投資を行うようになる。カネ持ちでなければ子供を育てられない、作れないという状況に陥る。所得の高い世帯ほどたくさんの人口を供給するので、その子供たちの多くが所得階層を下向きにスライドする「プチ没落」を経験する。
ある少年が父親よりもいい大学に入り、いい会社に就職する可能性は低い。彼は自分よりも多額の教育的投資を受けた同級生と競争する羽目になる。あるいは、ある少女が父親よりも所得階層の高い男を夫にする可能性は低い。彼女は自分よりも教育・教養・美容に多額の投資を受けた同級生と競争しなければならない(※1)。三人以上の兄弟姉妹は、高所得層の家庭に多かった。しかし親は二人だ。三人目以降の子供たちが親と同じ所得階層に居座るためには、ほかの誰かを蹴落とさなければならない。社会のあらゆる階層で同じことが起こる。かつては高卒者の仕事だった作業を、いまでは大卒者がやっている。
人口の供給源と再配置という視点に立った場合、すべての子供たちにとって「成り上がる可能性」よりも「没落する可能性」のほうが高い。それは高所得層でも同じだ。所得による教育格差は確かに存在しているが、それは「豊かな人がますます豊かになる」から問題なのではない。豊かな家に生まれた子であっても、豊かになれるとは限らない。むしろ生まれた階層にしがみつくための熾烈な競争にさらされる。所得による教育格差は、貧しい子供の可能性を潰すからこそ問題なのだ。
この絶望の国に「幸福な若者」がいるとしたら、その人は「没落ルート」をまぬがれたか、価値観の再構築に成功したかのどちらかだ。
カネよりも大切なものがあると口で言うのは簡単だ。けれど心から実践するのは難しい。所得の金額は幸福感に直結するものではないが、持っていたものを失うのは、それがどんなものであれ哀しい。日本の閉塞感は、所得階層が下向きに再配置されることから生じている。
この閉塞感を打破する方法は、身もふたもないが「豊かになる」しかない。
人口の供給と再配置で引き下げられるのは、あくまでも"相対的"な所得階層だ。したがって自分の所得階層が親より低くなっても、絶対的な豊かさが増していればネガティブな感情は緩和される。相対的な階層の下落よりも絶対的な豊かさの増加が上回っていればいいのだ。昭和30年代に自動車整備会社の社長の息子だった人物が、昭和50年代に自動車メーカーのライン工になっていたとして、絶望感や閉塞感にさいなまれることはなかっただろう。絶対的な生活水準が向上していたからだ。
同様に、いまの私たちが自分の親よりも相対的な所得階層を落とすとして、それ以上に生活の「豊かさ」が増していれば不幸な気分は緩和される。しかし日本経済の停滞は20年を数え、すでに世代交代に充分なほどの時間が過ぎてしまった。「豊かさ」の顕著な増大が見られない状況で所得階層の下落だけがおきれば、「親よりも貧しくなった」という実感は強烈なものになる。いちばん身近な比較対象である親世代よりも豊かさを失ってしまう。
「豊かさ」がこれ以上増さないとしたら、日本の若者はこれからもずっと不幸なままだ。私たちは赤の女王のように、「豊かさ」を目指して走り続けるしかない。
しかし、絶望ばかりではない。
産業革命の前夜、17世紀のイギリスでは相対的な富裕層は相対的な貧困層よりもたくさんの子供をもうけていた。当時のイギリスではカネ持ちから貧乏人まで「遺書」を残す習慣が根付いており、「ある人の残した遺産の額と子供の数」が法的文書として残っているのだ。(それこそ食器ぐらいしか残すもののない人でも遺書を作成している)
平均すると£1000の遺産がある商人は4人ほどの子供を残しているが、£10の遺産しかない労働者は2人ほど(※2)。生活水準はほぼ横ばいだったため、富裕層から低い階層への人口流入があったはずだ。そして産業革命が興る直前には、貧困者の大部分がもとは富裕層の家系という状況になっていた。彼らは貧困層に、富裕層の習慣や常識――識字能力や計算・家計管理、勤勉さや貯蓄など――を持ち込み、爆発的経済発展の土台を作った。
いまの日本でも同じだ。
大卒者の割合は増え続けている。しかし一方で、貧しい家庭には「学問をしたほうがいい」という発想そのものがない――という意見も目にする。であれば、大学進学率が50%を超えたのは少子化の影響だけでなく、「学んだほうがいい」という考え方が一般化した証拠だ。その背景には人口の供給と所得階層の再配置という現象が多少なりとも影響しているだろう。
現在、日本の若者たちは高い知的生産能力を保持している。
ここでいう「知的生産能力」とは、知的産業のための能力という意味ではなく、もっと広い意味だ。技術や文化、私たちをとりまくあらゆるものは、ヒトの知的活動によって生み出された。かつては親から子に伝えられた「富裕層の習慣」が、現在では横向きに共有されている。学識と、それを身につける勉強の方法。アイディア、アイディアの生み出し方、その発表の仕方、マネタイズの方法――。情報化の恩恵を受けて、現在の私たちはかつてないほどの知的生産性を蓄えているはずだ。まるで煮えたぎるマグマだ。18世紀のイギリスのように、爆発的な豊かさを生み出すときが来るだろう。
豊かさとは「単純な生産活動と多様な消費」ができることだ。かつての狩猟採集民たちは武器造りから家屋の建築、衣服の縫製まですべて自分たちの手で行っていた。多様な生産活動をしながら、衣食住という単純な消費活動しかできなかった。現代までの人類の経済史は、これを逆転させる試みだった。より簡単な仕事、より多様な楽しみ......。
この試みは、まだ終わっていない。
※1.ただし女性の場合、所得を配偶者に頼るのではなく自ら稼ぐことで、母親よりも豊かになれる。最近では「肉食女子と草食男子」のように女性の「元気さ」が強調されるが、実際、この可能性が残っていることで男性よりも絶望感が浅いからかもしれない。
※2.グレゴリー・クラーク著『10万年の世界経済史』より。
今回のエントリーでは所得と出生率との関係をかなり単純化してしまったが、実際には風が吹けば桶屋が儲かる的に、もっと複雑でたくさんの要因が絡み合っている。
(「デマこいてんじゃねえ!」2013年6月16日付の記事を転載しました)