17歳のころに学ぶべきこと/無遅刻・無欠席を礼賛する風潮はどうかと思います

教師や親たちは、私たちを信頼してくれた。高校生は大人じゃない。幼稚なことを平気でするし、ここには書けないようなバカもたくさんやった。だけど高校生は子供じゃない、「自由」と「野放し」との違いを理解できるはず。そう信じてくれた。

ひさしぶりに母校のことを調べていたら、教育理念に驚いた。

・創造的で個性豊かな人になろう。

・生涯を通じて学び続ける人になろう。

・国際社会の一員としての自覚と責任のある人になろう。

若干の改変は加えてあるけれど、だいたいこんな感じのことが書かれていた。いまの私の目指していることが書いてあった。私がいつも心がけていること。私が「美しい生き方」だと思うこと。それが、この三つの警句に凝縮されている。「創造」という言葉をいちばん最初に掲げているのも素晴らしいと思う。

在学中、この教育理念を復唱する機会なんてなかった。生徒手帳の片すみに書き込まれていただけだ。完全に忘れていたはずなのに、この三つの教育理念を私はきちんと内面化していた。あの学校ですごした3年間は、私の原点になっている。

      ◆

復唱の機会がなく、目を通すことも滅多にない――。そんな教育理念をどうして内面化できたのだろう。それはたぶん、生徒も教師も親たちも、みんなこの理念に従って行動していたからだ。言葉にして確認するまでもなかったのだ。

たとえば私の高校には、制服がなかった。

いちおう「標準服」という名前のブレザーはあったけれど、ダサすぎて誰も着ていなかった。校則はあってないようなもので、たとえばアルバイトについては「推奨しない」という控えめな文言が生徒手帳に書かれていた。スカート丈も髪の長さも、もちろん自由。唯一の校則らしい校則といえば「バイク通学の禁止」だけど、駅もバス停もすぐそばにあるので不便は感じなかった。「窮屈さ」を一切感じない高校生活だった。

当時の私はベリーショートの金髪にしてみたり、チェ・ゲバラの顔写真がプリントされたTシャツを着たりしている高校生だった。当時のアニエス・ベーがアイコンとして多用していたのだ。資本主義の権化たるファッション業界にチェが利用されてしまう――そんな皮肉にも気づかない頭空っぽな生徒だった。このイケメンなおっさん誰?みたいな。制服について思うところは以前にも書いた。あと部活で歌とか唄ってた。

学業よりも行事へと力を注ぐことが許され、「規則」を押し付けられることもない。そんな学校だったのは、きっと大人たちが生徒を信じてくれたからだ。バイトに精を出す生徒もいれば、隠れて酒やたばこを嗜んでいる生徒もいた。けれど「ヒトとして絶対に踏み越えてはいけないライン」を自分たちで見つけられるはず。周囲の大人たちは、そう信じてくれた。だから私たち生徒も、その信頼に応えようとした。縛るものがないのなら、自分で自分を律するしかない。

「自由」

「自主」

「自律」

――そんな言葉の意味を、在学中、何度も考えた。

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合唱祭というものがあった。

文化祭、体育祭とならぶ「三祭」のひとつで、クラス対抗で歌のうまさを競うのだ。音大進学したOB・OGが審査員となり、全クラスに順位が割り振られる。この高校では音楽系の進路を考える生徒も珍しくなかった。合唱祭は、三祭のなかでもとくに盛り上がる一大イベントだった。

2年生のころ、クラスにMさんという女子がいた。

遅刻日数ゼロという、この学校では奇跡的に真面目な生徒だった。ほかの女子が派手なファッションを覚えていくなか、地味めな服装ばかりを着ていた。クラスの中心でみんなを引っ張るというよりも、教室の隅で読書でもしていそうな、そんな女の子だった。

ところが彼女は「合唱祭のクラス委員」に選ばれてしまう。

合唱部に所属しているというだけの理由で、なかば押し付けられるように委員へと選出された。たしかに歌は上手かったし、練習方法のノウハウもたくさん持っていた。けれど「クラスをまとめる」という部分でMさんは力不足だった。

結果、私たち2年B組は惨敗を喫する。2年のなかで最下位というだけでなく、1年生のトップのクラスよりも得点が低いという完全敗北だった。技術の有無はリーダーシップの良し悪しとは無関係だ。どんなに歌がうまくても、メンバーをまとめることができなければ「合唱」は成り立たない。

三年生への進級時にはクラス替えがなく、私たち2年B組はそのまま3年B組になった。

私たちの合唱祭へのモチベーションは、ハッキリ言って最低だった。どうせ自分たちのクラスは大した結果を残すことはできないだろう、練習する時間があるなら受験勉強でもしていたほうがマシだ――。そんな投げやりな気分に支配されていた。ほかのクラスが練習を始めるなか、私たちのクラスは歌う曲すら決まっていなかった。(どうでもいいよ)(かったりぃし)そして私たちは、再びMさんに合唱祭委員の仕事を押しつけた。私たちは何一つ成長していなかった。

けれどMさんは、1年前のMさんではなかった。

去年の雪辱を晴らしたい――。大人しい表情や口調の裏側で、きっと熱い闘志をたぎらせていたのだ。どうやってクラスをまとめるのか、モチベーションを復活させて「合唱」を成立させるのか。Mさんは必死で考えたはずだ。

綿密な練習計画を作る?

予定表を準備して、その通りにクラスメイトを行動させる?

練習を欠席したり遅刻したら、罰ゲームを設ける?

そんな「決まりごと」では意味がないと、Mさんは気づいていた。なにしろこの学校では、「規則」を守るような生徒は半分ぐらいしかいない。勉強だって「しなければいけない」とは考えず、「する必要がある」から授業を受けている。必要性を感じる科目には真剣に取り組むけれど、そうでない科目では授業中に平気でポケモンで遊んでしまう(※一部の生徒だけです)。教科の魅力を伝えることが苦手な教師にとっては、仕事のしづらい学校だったろう。合唱祭も同じだ。仲間たちが自発的に「やりたい!」と思わなければ、このクラスは絶対にまとまらない。「規則」で人の心は動かない。そのことをMさんは理解していた。

そしてMさんは個別撃破戦術を選んだ。

まずメールの一斉送信をやめた。ホームルームでのアナウンスも、ほとんどしなくなった。「リーダー対みんな」という構図では、誰も耳を貸さないからだ。もちろん重要な情報についてはメーリングリストで流していたけれど、後から必ず、一人一通のフォローアップのメールが届いた。とくにモチベーションが低い仲間には、電話や個別面談もしていたらしい。40人学級だ、面倒くさいけれど不可能な人数ではない。そうやって「一対多」の構造を崩し、「一対一」の関係を作り上げていった。

40人もいれば、いろいろな性格の人がいる。

合唱祭は大事な行事だし、本当はみんな思い出を作りたかったのだ。一人、二人とMさんの味方が増えていった。練習への参加率が上がっていった。そしてなにより、Mさんは「歌を教える」のがめちゃくちゃ上手かった。一人ひとりの歌い癖を見抜き、丁寧に矯正していった。高音が出ない? それなら姿勢をよくしよう。リズム感が悪い? それならテンポを取る特訓をしよう――。そんな感じで、一人ひとりの実力を底上げしていった。

Mさんの指導を受ければ、たしかに歌がうまくなる。

私たちはそう気づいた。この気づきはMさんへの信頼につながり、クラスメイトたちのやる気に火をつけた。最低だったはずの私たちのモチベーションは、いつの間にか、めらめらと燃え上っていた。

そして迎えた合唱祭の当日。

私たちが選んだ曲は、武満徹『島へ』。

これが映画やドラマなら、私たちは優勝して、感動的な結末を迎えたのだろう。

しかし現実はそんなに甘くない。結果は全24クラス中の4位。1位~8位までは三年生が独占しており、上位3組に食い込むことすらできなかった。ちなみに優勝したクラスはその後、音大進学者を何名も輩出するような超実力派だった。チートだ。私たちは中途半端な結果しか残せなかった。

けれど、私たちは変わった。

合唱祭を経て、クラスメイト一人ひとりの性格や考え方が共有された。平たく言えばクラスがまとまったのだ。その後の体育祭や文化祭にクラス一丸となって取り組むことができた。一度きりしかない高校三年生という時間を、最大限に味わうことができた。

すべてはMさんの功績だ。

彼女は「リーダー対みんな」というピラミッド構造を崩し、一対一の関係で私たちを結びつけた。ネットワーク状の人間関係が、私たちのクラスの団結を生み出した。自発的な団結だ。卒業してからずいぶん時間が経ったいまでも、私はMさんに感謝している。

      ◆

古代において「法律」は道徳倫理と深く結びついていた。あらゆる規則は神の言葉の延長線上にあり、それに背くということは、つまりヒトとして踏み越えてはいけないラインを超えるということだった。

しかし現代では違う。

異なる思想信条を持った多様な人々が共存していくために、法律はある。法はいわば社会というゲームを動かすためのルールブックにすぎず、あらゆる規則は道徳倫理とは無関係だ。もはや私たちは「規則」を盲信できない。すべての「規則」が、従うに足るものかどうか検証される。

ヒトは規則ではなく、心に従って生きている。

だから「決まりごと」では意味がない。

対話をするしかない。

合唱祭におけるMさんの行動は、このことを如実に示している。

3年B組の私たちは、合唱祭をテキトーにこなすこともできた。人によってはボイコットすることだってできた。しかしMさんの働きにより目的を共有し、当日はクラス全員が力を出し切った。

縛るものがない環境で、どのように自分たちを律していくのか。目的に向かって団結していくのか。彼女の行動はまさに「自由」の実践である。一人ひとりの自主性と自発性を掘りだして、主体的な一体感へと昇華させた。全員の自由を担保すること、つまり民主主義の実現だった。

しあわせの必要条件は「自由」であることだ。

自主的で自発的で主体的で、なにより自律的であることだ。そうでなければ、私たちは本当のしあわせには触れられない。たしかに私たちは、一体感や団結によろこびを感じる生き物だ。が、そこにわずかでも強制が伴うのなら、それはニセモノだ。よろこびやしあわせのマガイモノだ。無遅刻無欠席のニュースを見て、私はそう思う。

達成なるか、クラス全員年間無欠席 東海大四高3年5組

(編集部注:現在はリンク切れとなっています)

普通はクラスを選ぶことはできず、私たちは強制的に割り振られる。である以上、無遅刻・無欠席は美談でもなんでもない。醜悪なだけだ。同調圧力と全体主義とを教え込まれても、人生はぜったいに豊かにならない。東海大四高の教育は、自由からも民主主義からもほど遠い。最低最悪の教育だ。

この国のエリートたちは、すぐに「規則」を作って従わせようとする。彼らはヒトの心というものが分かっていない。彼らの洞察眼は女子高校生以下なのだ。たとえば唄わせたい歌があるのなら、規則を作っても意味がない。「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」というお言葉は、とにかく対話をすべきという意味だ。規則なんかに頼るなという意味だ。すぐれたミームは、規則がなくても伝播する。真摯な対話を続ければ、心は届く。

・創造的で個性豊かな人になろう。

・生涯を通じて学び続ける人になろう。

・国際社会の一員としての自覚と責任のある人になろう。

制服も校則もない。そんな環境を、当時の私たちは当たり前のものとして享受していた。けれど他の高校の話を聞くと、かなり特殊な事例だったようだ。

教師や親たちは、私たちを信頼してくれた。

高校生は大人じゃない。幼稚なことを平気でするし、ここには書けないようなバカもたくさんやった。だけど高校生は子供じゃない、「自由」と「野放し」との違いを理解できるはず。そう信じてくれた。「自由」という言葉のほんとうの意味を――現代社会においてなによりも尊いモノの価値を、高校生なら学ぶことができる。そう信じてくれたのだ。

その信頼に私たちは応えられただろうか。

そして、これからも応えつづけられるだろうか。

生きた時間が長いだけでは、ヒトは大人にはなれない。

(※この記事は2012年2月28日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)

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