人事管理の根本的見直し迫られる日本

日本企業のマネジメントスタイルは、中途半端な人事管理アプローチの寄せ集めになってしまった。
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sozaijiten/Datacraft via Getty Images

終身雇用や年功序列、頻繁な人事異動などに代表される人事管理への伝統的な日本式アプローチは、1960年代および70年代の高度成長期を頂点に、長年にわたって非常によく機能してきた。それにより安定した環境が構築され、企業と社員双方が雇用関係に投資することに意義が見出された。雇用主は、必要に応じて配置を管理できる安定した労働力を享受し、社員教育に投資して企業に特有の技術を育成することができた。社員は、いつ職を失うかもしれないという心配なしに仕事に集中し、社内でのネットワークを構築することができた。根回し、合意に基づく意思決定やQCサークルといった伝統的な日本式のマネジメント技術は、長年一緒に仕事をしてお互いをよく理解している人々の間で上手く機能した。安定した雇用関係は長期思考の促進にも貢献した。どちらかというと柔軟性に欠け、適合性を重視する傾向があったが、全般的に見てこのシステムは、企業と社員の双方に有益なものであった。

しかしこの状況はいつまでも継続維持できるものではなかった。問題の兆候は1990年代に入ってから具体化し始めた。この時期、3つの大きな環境の変化があった。その第一は、60年代と70年代の急激な成長が衰え始めたことである。 成長の衰退により上級の職務ポストが不足し、すべての社員が出世することは難しくなってきた。

第二の変化は、非関税障壁をはじめ閉鎖的な市場環境と1980年代半ばまでの円安が海外企業の日本市場への進出を阻んできたことと関連している。多くの日本企業が海外の様々な企業を打倒し始めると、海外企業の締め出しはいつまでも継続できるものではなくなった。日本市場の開放と関税および非関税障壁の撤廃が強く要求され、国際競争の風が日本でも吹き荒れた。第三の変化は、1991年のバブル経済崩壊とそれに続く長期不況である。このような状況下で政府と「日本株式会社」はもはや、大規模な労働力の継続を含めて安定した環境を維持することが不可能となった。

このような厳しい環境に直面して、日本企業の多くは人件費の確保が困難となり、人員縮小の方法を探り始めた。早期退職制度や一時解雇の実施、非正規社員(パートタイム社員、アルバイト、契約社員、および派遣社員)の雇用増加などがこれにあたる。日本企業にとって、マネジメントスタイルに関するこれらの変化は避けることの出来ないものであったと言えよう。しかしながら、ここで問題が生じた。それは、従来の人事管理慣行の一部のみを変更し、その他(正社員を対象とした伝統的な人事管理のモデル)は固守しようとしたことである。これによって日本企業のマネジメントスタイルは、中途半端な人事管理アプローチの寄せ集めになってしまった。

従来の定年より早期に退職させられる年上の社員を見て、若い社員は会社がずっと面倒を見てくれるという信頼を失い始めた。非正規社員はもはや、景気の浮き沈みに応じた一時的な対策ではなく、社員構成に大きな割合を占める準社員として新しい階層を確立している。不安定と競争の要素が持ち込まれたが、アメリカのように転職の機会を当然とする流動性のある労働環境は殆ど整備されていない。従って社員は活力を失い、おびえてリスク回避的となってきている。また、目標や個人評価を取り入れた「アメリカ式」な評価管理システムの導入は、個人の貢献を評価するという肯定的なものよりも、社員から絞れるものはすべて絞ろうとするマネジメントの手段と見なされている。過度の残業を強要したり、休息や休暇を取ることを禁じたり、ハラスメントや言葉による虐待を行ったりという社員を対象とした悪質な待遇で最近焦点があてられている「ブラック企業」は、この傾向の顕著な兆候のひとつに過ぎない。さらに、社員の能力開発に関して未だに、人事異動と高度にカスタム化された企業独自の教育を用いた「自給自足」のアプローチが強調され、必要なスキルを持った人材を公開市場で探して採用することが少ない。どうしても必要がない限り解雇をしない習慣が持続され、業績の悪い社員に対する段階的懲罰などの西洋で利用されている方法が確立されていない。業績の向上が必要な社員は、企業が不満に思っている内容や何を向上すればよいのかを具体的に知らされないまま、「追い出し部屋」に送られるか、悲惨な待遇で辞職に追い込まれるかのどちらかとなる。

もちろん、現状について日本企業を非難するだけでは公平ではない。日本企業は労働法によって厳しく規制されており、社員の解雇は非常に困難である。日本が経済的に繁栄するためには、柔軟性に欠ける労働法と古くからの慣行を改正することが必要である、と多くの経済学者が指摘している。実際、安倍総理大臣は経済改革パッケージの一環として労働法の見直しを提唱している。しかし、強い反対に直面してその計画を断念せざるを得なくなったというのが実情である。いかなる状況下でも安定した雇用を提供するのが雇用主の責任である、というのが未だに日本での一般的な見解である。加えて、企業は法律によって義務付けられない限り社員を大切に扱うはずがないと考えている人が多いのも悲しい現実である。更に、企業が上手く活用することの出来ない社員を解雇できる方が、多くの人々および経済全体にとってより賢明であるという考え方は、日本人の多くにとって受け入れる準備ができていないものである。

ここで最も重要なのは、日本企業の人事管理が企業自体にとって、もはや上手く機能していないという事実を受け入れるということだ。日本の人事管理の方法は、社員が仕事と人生に求めている期待にますますそぐわなくなってきている。社員のやる気と生産性が低迷している。精神衛生上の問題やストレスに関連した健康問題が増加している。前途有望な若い社員や女性社員が企業を離れている。全般的な倦怠感が社員を襲っている。日本企業はこれらの問題に起因する悪影響を毎日体験している(詳しくは私の著書『日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?』を参照)。

日本企業は危機感を感じていながらも、人事管理方法の大幅な変革に対し、色々な理由を挙げて抵抗している。例えば 多くの日本企業は、人材に費用がかかりすぎていると懸念している。これは人材を自由に解雇できないことに起因している。そこで、コスト削減が強調され、少ない人員により多くの仕事を割り当て、それがストレスと疲労につながっている。また、非正規社員の採用が増え、それが社内における二階層システムを作り出し、不平等の文化を助長している。 ネガティブなアプローチが社員の士気に悪影響を与え、やる気、効率、生産性、創造性の低下につながり、それによって売り上げが減少し、結果として更なるコスト削減が強要される、といった悪循環が続くことになる。

好循環への変換を遂げるため、日本が必要としているのは、人事管理を根本から見直すことではないか。社員を置き換え可能な歯車のひとつとして扱う代わりに、個人に焦点をあて、それぞれのニーズと願望と能力を尊重する新しいアプローチが必要だろう。そして、仕事の内容と勤務場所に関して(時によりまったく任意と思われるような)企業の願望に個人が合わせるという要求を撤廃することも必要だ。社員が仕事の内容を深く理解し、より専門的なスキルを身に付けられる環境を推進しなければならない 。社員がやりたい仕事の内容に夢と志を持ち、それを実現することのできる環境を作る必要がある。時代遅れの人事管理法にしがみついていたら、このまま取り残されてしまうだろう。

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