アメリカ人は反省しない?

「アメリカ人は反省しない」。アメリカ人と一緒に働いている日本人ビジネスパーソンを対象に異文化理解セミナーを行うと、必ずと言ってもよいほど聞かれるコメントだ。

これは、アメリカ人と接したことのある日本人なら一度は感じたことのある疑問ではないかと思う。「アメリカ人は言い訳ばかり言う」、「アメリカ人は謝らない」、「アメリカ人は自分の非を認めない」、「アメリカ人は責任をほかの人に転嫁しようとする」、「アメリカ人は反省しない」。アメリカ人と一緒に働いている日本人ビジネスパーソンを対象に異文化理解セミナーを行うと、必ずと言ってもよいほど聞かれるコメントだ。

参加者からの指摘を受けるまでは、アメリカ人のこの傾向について意識したことがなかったが、あまりにも多くの日本人から同じようなことを言われるので少し気にかけるようになった。その結果、確かにアメリカ人は自分のミスでもそれを表立って認めたがらないし、謝罪にあたる表現も日本人ほど使わない。問題が起こった時でも、原因は自分以外にあると指摘しがちだ。

この現象を認識してから、自分もそのように振る舞うアメリカ人に対してイライラした感情を抱くようになった。一度、目につくようになると、日常的にそればかりが目につくものだ。

一番ひどかったのは、私が夫のペンシルベニア大学卒業25周年の行事に参加した時の事件である。イベントの最中、私のかばんが何者かに盗まれた。そのイベントの主催者である同大学の同窓会担当オフィスからはその後も何の連絡もなかったし、私の方から問い合わせをした時にも謝罪の言葉は一切なかった。

それどころか、「ペンシルべニア大学は、キャンパスの安全に関する賞を受賞した実績がある(のだから今回は例外だ)」という高飛車な態度を取られたり、「事件の当日は、バイデン副大統領がキャンパスを訪れていたので警備員はそれどころではなかった」という言い訳だけを聞かされ、まったく腹が立った。

まさにその時、日本人のアメリカ人に対するこのフラストレーションを実感した。アメリカ人と接したことのある日本人なら、誰でもこのような「反省しないアメリカ人」に関するエピソードを一つや二つは持っているだろう。

一体なぜアメリカ人はそのような行動をとるのだろうか?理由はいろいろあり、実はひとことで言い表せるような単純なことではない。また、それは場面や個人によっても異なる。それを頭に留めておきながら、下記に挙げる最も大きな理由と思われるいくつかの項目をご覧いただきたい。

念を押すが、これによってアメリカ人の行動を正当化したり言い訳をしようとしているのではない。あくまでも、アメリカ人の行動の背景にあると思われる事実を客観的に説明したつもりだ。(詳しくは、私の著作『反省しないアメリカ人をあつかう方法34』を参照してください。)

  • 訴訟社会であること。アメリカでは、謝ってしまったら100%自分の責任だと認めてしまったことになり、一方的に責任を負うことになる。そのため、自分の身を守るために、普段からあまり謝るという習慣がない。訴訟だけでなく、例えば会社の中で何か問題が起きた場合でも、それが特定の個人のせいとなるとその人を懲罰したり解雇したりする傾向が強い。そういった環境では、謝ったり「私のミスだった」と簡単に認めるのは危険である。日本の社会や会社なら、謝ることに必ずしもそのような危険は伴わないし、逆に謝らなかった方が非難される。
  • 競争社会であること。法律上の責任やそれから派生する懲罰のことだけではなく、自分のミスを認めることによって自分が弱く見えるのではないかとアメリカ人も心配している。激しい競争社会の中で、いつも自信に満ちた態度をとり、自分の良い側面をアピールしなければというプレッシャーが常にあり、自分の弱みや課題をあまり表に出したくないと思っている。
  • 原因は自分以外にあると考えたい。どんな問題でも、原因は一つではないことが多い。日本人はその中でも自分がした(あるいはしなかった)ことについて重きをおく傾向があるが、一方で、アメリカ人は自分のコントロールが及ばなかったことについて焦点を当てることが多い。例えば、仕事に遅刻したとしよう。日本人は頭を下げながら「遅くなってしまってすみませんでした。もっと早く家を出ればよかったのですが」と自分の責任ととらえるが、アメリカ人は謝る代わりに「高速道路の事故渋滞で大変だった!」と自分以外のところに原因があったと主張する。日本人にはそれが言い訳のように聞こえるのだが、アメリカ人にしてみればそれが直接的な原因であり、だからこそその事情について理解を得ることが大事だと思っている。
  • 前向きな社会であること。ネイティブ・アメリカンや奴隷として連れられて来られたアフリカ人を除いて、アメリカに住む人あるいはその祖先は皆、移民である。移民は、自分のそれまでの人生を全て断ち切って、二度と逆戻りできない大きな賭けをした。その昔、アメリカへ渡る船の切符を買うには全ての財産を投げ打つ覚悟が必要とされていた頃においては特にそうだ。パイオニア(開拓者)たちについても同じで、東海岸での生活を捨て、危険を冒して未知の西部へ渡り新しい生活を築き上げた。移民にせよパイオニアにせよ、成功するためには、過去を振り返るのではなく将来を見据えて挑戦し続ける必要があった。このような環境では、過去にあった問題を分析し解決しようとするよりも、すべてを水に流し、とにかく前進するための楽観的な姿勢とポジティブさが必要であった。
  • 問題を指摘されると自分のプライドへの攻撃と受け取る。過去のことにとらわれたくないアメリカ人は、間違いや失敗について指摘されると、それに慣れていないせいもあり、指摘をある種の攻撃としてとらえる傾向が強い。よく見受けるのは、問題が起きた時、日本人がアメリカ人に対して「なぜそれが起こったか」と原因を追求しようとすると、アメリカ人はそれを個人攻撃ととらえてしまうケースだ。日本人は問題の背景を理解しようとしているだけなのだが、アメリカ人はそれを「恥をかかされた」と受け取るため、不快感をあらわにし、ますます自己防衛的な態度になってしまう。アメリカ人のこの敏感さに驚く日本人は少なくない。

このように、私たちには大きく異なる価値観が深く根付いている。日本の取引先から聞いた面白いエピソードを紹介しよう。

彼がアメリカに赴任した際、彼には息子さんが生まれたばかりで、その子どもは幼少期のほとんどをアメリカで過ごすことになった。ある土曜日、彼は4歳だった息子さんと一緒に彼のお気に入りのビデオ「Blue's Clues」を見ていた。「Blue's Clues」はアメリカの幼児に人気のテレビ番組だが、父親の彼にはあまりなじみがなかった。

息子がビデオに合わせて歌を歌う姿がとても愛らしいと思って聞いていたところ、ショッキングな歌詞が耳に入った。「If something goes wrong, don't give up, just go on(もし何かがうまくいかなかったら、ギブアップしないで、とにかく進み続けよう)」という部分だ。

父親は少しパニックに似た感情を覚えたという。息子がアメリカ的な考え方に完全に洗脳される前に日本に早く戻らなくては、と思ったというのだ。それはなぜか?日本では、何かがうまくいかなかったら、『とにかく進み続ける』のではなく、なぜうまくいかなかったか分析し、原因を突き止め、対策を打って、そのあとに前進するというのが当たり前だからだ。

確かに、彼の息子が好んでいたこの歌と同じように、アメリカの子ども向けの歌や絵本には、I think I can! I think I can!(私にはできる!)やPick yourself up, dust yourself off, start all over again(転んだら、起き上がり、ほこりを払ってまた初めからやり直そう)のように、ポジティブ思考を強調するものの、問題の原因分析については全くふれていないものも多い。

こんなに考え方と価値観が異なっているアメリカ人とうまく仕事をするには、どのように対応すればよいのだろう。ここにいくつかの提案を挙げたい。

  • 謝罪の言葉を期待しない。謝ることに対しての抵抗があまりにも強いため、100%本人のミスでない限り、アメリカ人が日本人のように素直に謝ることを期待しても無理。
  • 前向きなアプローチを取る。ポジティブな雰囲気で、今回の失敗から何を学べたかという話し方をするのが効果的。例えば、What can we learn from this?(このことから何を学べますか?)。また、過去形で話すよりも、将来に視点を当てた言い方のほうがアメリカ人の思考に合う。例えば、How can we do better next time? (次回、もっとうまく進めるためには、どうすれば良いでしょうか?)やHow can we prevent this happening again in the future?(どうすれば再発を防止できますか?)なら、協力的な反応が期待できる。
  • アメリカ人に日本の問題分析方法を教育する。日本の企業では、問題が起きた時、その原因を分析して対策を打つための素晴らしいプロセスがあり、それは日本的品質管理において重要な役割を果たしている。日本の文化の中で大切にされている「反省」というコンセプトに基いているため日本ではスムーズに受け入れられているが、上記に説明したように普通のアメリカ人には反省の概念があまりないし、その問題分析の方法を学んだこともない。このプロセスの共有は、日本人や日本の企業がアメリカに対して貢献できるものの一つだと強く思う。例えば、日本企業のアメリカ人社員に対して問題分析の方法を教育し、社内で共通して使えるツールとして利用すれば、原因について追求しても、アメリカ人社員にそれを個人攻撃と受け止められる可能性はずっと低くなるはずだ。

さまざまなケースを見てきて言えることは、アメリカ人と日本人の間ではお互いに教え合えることがとても多いということだ。考え方があまりにも違っているからこそ、お互いに学ぶべきことが多いとも言える。反省に関するケースもその一つ。アメリカ人は日本人から、問題を認め、言い訳をせずに原因追求に取り組む姿勢を学ぶことができる。一方、日本人は、問題に直面した際のアメリカ人のポジティブなアプローチについての重要性を認識することができる。

双方の良い側面をうまくかけあわせることができれば、よりよい結果が期待できるだろう。アメリカ人の行動に対して疑問に感じることがあっても、お互いに学び合えるチャンスだと考えればよいのだ。

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