テニスの全米オープンで優勝した大坂なおみ選手が9月13日、横浜市内で記者会見を開きました。その中で、私が大坂選手のアイデンティティや日本人観について尋ねたことについて、ネット上ではさまざまな意見が出ています。
なぜあの質問をしたのか。その背景をこのブログでは振り返りたいと思います。
会見場でのやり取り
会見には通訳の方が同席し、日本語の質問は逐次訳で大坂選手に英語で伝え、大坂選手の英語の回答を日本語で通訳するという流れでした。
私が司会者にあてられたのは、会見終了する間際でした。以下は、一連の質問のやり取りです。
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私:「海外の報道などで、大坂選手の活躍や存在が古い日本人像を見直したり考え直したりするきっかけになっているという報道があるのですが、ご自身のアイデンティティも含めて、そのあたりをどう受け止めていますか?」
通訳:「Foreign media--they're saying that your performance and victories remind us of old-style Japanese. How do you think of those comments or what do you think of your own identity」
(和訳:海外メディアは「あなたの成績や勝利が、古い日本人像を想起させる」と伝えている。それらの指摘についてどう思いますか。また、あなた自身のアイデンティティをどう考えますか?)
大坂選手:「Wait, me? I'm old-style Japanese?」
(和訳:待って、私が古いスタイルの日本人なの?)
通訳:「No, well, you remind everyone of the old Japanese-style of --」
(和訳:いえ、古い日本人のスタイルなのはあなたの--)
大坂選手:「Tennis?」
(和訳:テニスのこと?)
通訳:「I haven't really seen the article」
(和訳:私は記事を見ていないので)
大坂選手:「Wait, tennis?」
(和訳:待って、テニスのこと?)
通訳:ごめんなさい、その報道はテニスに関してそういう風に報道されているのでしょうか?
私:テニスというよりも、いわゆる古い日本人像っていうものが、日本人の間に生まれた人が日本人っていうような古い価値観があると思うんですけれども、大坂選手の活躍で、大坂選手のバックグラウンドなどが報道される中で、そういった価値観などが少し変わろうという動きが出ていると思うんですけれど。
通訳:「(冒頭は不明) reminds us of an old value of an old Japanese virtue」
(和訳:あなたのテニスは、古い日本人観や価値観を想起させる)
大坂選手:「Like...」
(和訳:それは...)
通訳:「In your tennis, actually」
(和訳:あなたのテニスのスタイルです)
大坂選手:「Ok....is that a question?」
(和訳:OK、それって質問ですか?)
通訳: 「He wants to know how you feel about that and how you think of your own identity as Japanese」
(和訳:そのことをどう思うのか、それから自分の日本人としてのアイデンティティについてどう考えるかを教えてほしいという質問です)
大坂選手:Firstly, ありがとうございます。And then, I mean, I don't really think too much about my identity or whatever. For me, I'm just me. And I know that the way that I was brought up. I don't know, people tell me I act kind of Japanese so I guess there's that. But other than that, if you were talking about tennis I think my tennis is very--not very Japanese.
(和訳:まず、ありがとうございます。そして、私は自分のアイデンティティについてそこまで深く考えることがなくて、私にとって、私は私としか思っていません。私は、自分がどのように育ってきたか分かっています。自分で意識していませんが、私の振る舞いが日本人らしいと言う人もいるので、きっとそう言う部分もあるのでしょう。でもそれ以外で、もしテニスの話なら、あまり日本のスタイルらしくないという風に思います)
通訳:まず、私はあまり自分のアイデンティティに関しては特に深く考えることがなく、私は私である、という風にしか思っていないのです。あるいは、私が育てられてきた、その方法の通りに私はなってきているなと思っています。また、私のテニスに関しては、あまり日本のスタイルらしくないという風に思っています。
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ハフポスト日本版が音源を確認すると、大坂選手が「古い日本人像を変えるきっかけとなっている」と伝えるつもりが、「古い日本人像・スタイルを想起させる」と伝わっていました。(※当該シーンは動画の25分9秒あたりから)
大坂選手が「テニスのこと?」「それって質問?」という反応を示したり、終始戸惑ったり、怪訝な顔をしたりしていたのは、自分の試合ぶりが、古い日本人のようだ、と言われていると受け取っていたからかもしれません。
この点については、私の質問があいまいで抽象的だったことが、本来の意味とは異なる訳の一因だった、と考えています。
もっと具体的で分かりやすい質問をするか、直接英語で聞くべきだったと、反省しています。
それでも大坂選手は質問に対して「アイデンティティについてそこまで深くは考えていません。私にとって、私は私なのですから」と丁寧に答えてくれました。大坂選手の真摯な対応に、心から感謝しています。
質問の意図
なぜ、この質問をしたのか。そもそもどんなことを聞きたかったのか。
その背景には、外国人と日本人との間に生まれた「ハーフ」と呼ばれている人たちをはじめとする、海外にルーツを持つ人たちの存在があります。彼らは、日本で生まれ育ったり、日本国籍を持っていたりするのに、容姿や言葉を理由に外国人扱いされることも少なくありません。
中には、部屋を貸してもらえないなど日常生活で不便を被る人もいます。私も取材を通して、「自分は一体何者なのか」などと所属意識やアイデンティティをうまく形成できずに悩む人たちと出会ってきました。
もちろん、「ハーフ」の人全てがそのような経験をしているわけではありません。ただ、多様なルーツを持つ人たちが増え、社会が寛容になる一方で、根強い偏見が残っているのも現実です。
日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親の間に生まれ、3歳の時にアメリカに移住した大坂選手は、3カ国の文化的バックグラウンドを持っています。
大坂選手をはじめ、昨今のスポーツ界では多様なルーツを持つ選手の活躍が目立っていますが、彼らに対して「日本人じゃない」と心無い言葉を浴びせる人たちもいます。
大坂選手の活動拠点であるアメリカでは、大坂選手の多様なルーツが注目されています。全米オープンの記者会見でも、文化的なバックグラウンドやアイデンティティについて質問されて答えています。私も含めて、みんなで考えるよいチャンスになればと、今回の会見で質問しました。
聞きたかったこと
会見の質問では「海外報道」という曖昧な言葉を使ったことも後悔しています。頭にあったのは、ニューヨークタイムズ紙の報道。具体的にいうと、大坂選手の家族やバックグラウンド、これまでの軌跡などについて特集した8月23日付記事と、日本の「ハーフ」問題について書いた9月9日付の記事です。
・「In U.S. Open Victory, Naomi Osaka Pushes Japan to Redefine Japanese」(大坂なおみ選手の全米オープン優勝で日本人の定義は変わるのか?)
・「Naomi Osaka's Breakthrough Game」(大坂なおみのブレイクスルーゲーム)」
記事の中で、記者は大坂選手について「全米オープン・シングルス部門で優勝した初の日本人プレイヤーになったことで、血統を重視する日本の伝統的な考え方に異を唱えることに一役を買っている」などと伝え、「日本人像」を変えうる存在として紹介していました。
記事ではさらに、大坂選手が自身の多様なアイデンティティについて「おそらく、私が何者なのかみんな正確に示せないからでしょう。だからそれは、誰からでも応援してもらえるということです」と語ったと取り上げています。
一連の報道から、大坂選手はアイデンティティや日本人観への考えを話してくれるものだと、私は考えたのです。
とはいえ、アイデンティティの話は、パーソナルでとてもセンシティブです。報道や発言があっても、本人が語りたいと思っているかは分かりません。それで、私なりに言葉を慎重に選んだつもりが、逆にあいまいで抽象的な分かりづらい表現になってしまいました。
スポーツは、私たちの生き方を振り返るきっかけを与えてくれる
「テニスに関係がない」という批判もありました。
スポーツは、プレーや勝敗も大切ですが、私たちの生き方を振り返るきっかけを与えてくれるものだと私は信じています。アスリートには、人を突き動かすパワーがあるからです。
大坂選手の全米オープンでの活躍やテニスへの姿勢は、私たちに勇気や感動を与えてくれました。同時に、13日の会見で「私は私である」と答えた大坂選手は、国籍やアイデンティティを乗り越えた存在だと示したように思いました。
大坂選手の発言が、アイデンティティに悩む人にとって何らかのメッセージとなり、彼らが生き方を考えるきっかけにもなったのだとしたら、取材をした私としても、これ以上の喜びはありません。
スポーツ報道に私は大きな可能性を感じています。アイデンティティに限らず、スポーツを入り口にすることで、例えば教育やジェンダー、テクノロジーなど、普段は敬遠してしまうかもしれないテーマにも耳を傾けやすくなるのではないか。そんな風に私は考えています。
今回の騒動の反省を踏まえて、スポーツの多様な側面に注目しながら、スポーツやアスリートの情報を発信していきたいです。