「私が愛し愛されたいのは私自身だった」摂食障害やDV、依存症からの回復

今回は、死の瀬戸際を経験してようやく前向きに生きていこうと決意し、自助グループに通って回復の途を辿り始めた話です。

医療問題ジャーナリストの熊田梨恵と申します。私は2015年、長男を出産後に「産後うつ」を経験し、初めてその苦しみと孤独を思い知りました。

仕事柄「産後うつ」という言葉は産婦人科医から聞いたことはありましたが、まさか自分がそうなるとは思いませんでしたし、妊娠中は誰からもそんな大変なことがあるとは聞かされませんでした。

私の場合は、産後うつや睡眠不足、片頭痛などから日常生活が送れなくなりました。そんな私がどうやって産後うつの苦しみと向き合い克服していったのか。このブログでは、産後うつ経験者として一つの体験談をお伝えしたいと思います。

私が産後うつになる土台には両親の愛を求める子どもの頃の自分がいて、そのために数々の依存症が引き起こされていたのです。

今回は、死の瀬戸際を経験してようやく前向きに生きていこうと決意し、自助グループに通って回復の途を辿り始めた話です。

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私は自分を立ち直らせるために、心療内科やカウンセリング、自助グループ、セラピーなどを探し始めた。

都内で探して色々と訪れたが、相性が合わなかったり、逆に私が気を遣う羽目になったり、どうも今一つここだと思えるところがなかった。

でも、どこかにあるはずだと思っていた。

自分が求めている、「私の中にすっぽり抜け落ちている何か」を知るヒントになるところが。

そして出会ったのが、「アダルトチルドレンと摂食障がい・DV被害者の自助グループ ACOA(アコア)」。インターネットで検索して見つけた。

他にも摂食障害の自助グループは色々あったので出かけてみたものの、雰囲気が自分とは合わないかなと感じたり、長く通っている人が我が物顔をしていたり、摂食障害の内容でヒエラルキーをつけられるようなところもあったりしたので(たまたまその時がそうだっただけかもしれません)、なかなか心地よく通えるところを探すのは難しいなと思っていた。

ACOAのサイトは押しつけがましくなく、同じ悩みを持つ人への優しさに溢れ、自律している感じがした。

「摂食障害やDVの人のため」と書かれていたので、自分にぴったりだとも思った。

当時はまだ依存症について理解できておらず、摂食障害とDVの共通性もあまり分かっていなかっためどういうことかは分かっていなかったのだが。

ACOAを主宰する女性が、摂食障害やDVのカウンセリングも行っていた。直感でこの人に受けてみたいと思い、私は両方に通うようになった。

自助グループACOAは、心から落ち着ける場所だった。初めて心の底から安心して話すことができた。摂食障害のこと、彼氏のこと、仕事で嫌な思いをしたこと、両親との関係...。

ファシリテーターが上手に采配してくれたし、参加者はその時によって違い、人数もまちまちだったので、参加者の顔ぶれを気にしなくてよかった。

でもお互いがそれぞれの問題で苦しんでいて、そこに共通しているものがある。それだけで仲間だと思えた。今この瞬間、同じように苦しんでいる仲間がいる、その仲間が目の前にいるということは、とても心強いことだった。

基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしなので、誰からも評価されないし、意見を言われない。そのまま、あるがままを聞いてもらうだけ。聞くだけ。

そんな場は一般にはほぼないので、すごく気持ちが楽だった。誰からも何からも裁かれないというのは、本当に安心した。

私が参加していた時の参加者は、皆本当に真面目で、優しく、律儀で、丁寧で、繊細で、敏感で、一生懸命な、そんな方々ばかりだった。

だからこそ、つらさを引き受けてしまうのかな、しんどいことにもきちんと目を向けて、余計につらくなったりするのかなと思った。

私自身もそうなのかもしれないと、なんとなく思った。

もっと適当に、いい加減に、どうでもいいやとできたら楽なのに、そういうことができなくてつらくなってしまっている。

そして皆、今の状況を何とかしたいと、こうして自助グループに電車に乗って、歩いて、通ってきている。

苦しんでいるけど生きている、力強さがあった。

ACOAで必ず最初に皆で唱和する「平安の祈り」というものがある。

多くの自助グループで使われていて、私はこれが大好きなので、ここにも転載する。

 ≪平安の祈り≫

 神さま 私にお与えください

 変えられるものを変える勇気を

 変えられないものを受け入れる落ち着きを

 そしてそのふたつを、見分ける賢さを

アメリカの神学者が作ったと言われ、アルコール依存症の自助グループAAや薬物依存症の自助グループNAが使うようになり、広まったそうだ(聞いた話なので違ったらごめんなさい)。

私はいつも、自分が変えられるものとはなんだろう、変えられないものはなんだろう、と自問していた。

今すぐに過食嘔吐している自分をやめることはできない。だから今はこれでいいのだと受け入れよう。そうしてしまっている自分も、そうする必要があるからしているのだと。過食嘔吐も必要なのだからこれでいいのだと。

おかしな言い方かもしれないが、過食嘔吐が私を生かしてくれていた、過食嘔吐を私の友人ともいえるのかもしれない、というように考え方が変わっていった。

それまでは過食嘔吐を抹殺してしまいたい忌むべき相手として見ていたが、私の隣に並んで笑っているような感覚だ。

ACOAに行った帰りに食べ物を買って帰り、家で過食嘔吐したこともあった。

だけど、今までとは何かが違った。

今までは過食のための買物をする時は罪悪感でいっぱいで、投げやりな気持ちでコンビニ内をを人目を避けるように歩いていた。

それがACOAに通っているうちにほんの少しだけ胸に温かいものができ、なんだか少し余裕ができて「せっかく過食するんだから美味しいものを買おう」と思ったりするようになった。

十分に滅茶苦茶だし破綻しているが、少しだけ自分への優しさ、明るさが灯り始めた。

仲間がいる。

それがこんなに心強く、温かいものだとは。

カウンセリングを受けるようになって、自分を客観的に見つめられるようになってきた。

摂食障害とは何なのか、DVや恋愛依存とは何なのか。これらが「依存症」という一つの線でつながり、そこに買い物や向精神薬、自傷行為も乗っていて、その線の根元には親の愛の渇望があったということが分かった時には、目から鱗が落ちた。

そういうことだったのか、と目が開かされた。

私は幼少期に得られなかった親の愛を得たくて、その代わりに買い物をし、向精神薬を飲み、刃物で腕を傷付け、多数の男性の愛情を欲しがり、食べ物を貪っていたのかと。

そして自尊心と自己肯定感が育たなかったため、お互いを尊重するという人間関係を知らずに大きくなった。相手から支配され傷付けられることが当然で、私は愛されないという強固な信念体系を作り上げてしまっていたため、同じことをDVという形で繰り返してしまっていたのだと。

(「相手から支配され傷付けられることが当然で、私は愛されない」と思い込んでいる潜在意識が強力にそういう現実を引き寄せていた、ともいえる)

そして一体私は誰に愛されたいのか?

もちろん彼氏に。

掘り下げると、その奥には父と母がいた。

それをもっともっと掘り下げていくと、

そこには、

私自身がいた。

父に叱られ、母に放っておかれ、一人で泣いている小さい頃の私。

小学校低学年ぐらいの私だ。

私は膝を抱えて、好きだったぬいぐるみを抱えて、小さくなって泣いていた。

その私に私は声をかける。

私はびくっと震えて、怖々と大人の私を見上げる。

小さな私のその目に、大人の私は愕然とする。

なんて冷たい。

全て諦めてしまったような、冷たい冷たい、底冷えするような目だった。安心や信頼や、そういったものが欠片もない。でもその奥に、不安と恐怖に怯え、助けをほしがっている色も、わずかながら見え隠れしている。

私は小さい私に声をかけた。

「梨恵ちゃん、どうしたの?」

小さい私は、私を一瞥してまた下を向く。

返事はない。

「梨恵ちゃん」

しばらく返事はなかったが、少しすると、笑顔の私が私を見上げていた。

にっこりと可愛い笑顔で、私を見ている。

私は一瞬ほっとしたが、瞬間「これは違う」と分かる。

これは私がよくやっていた、「大人向けの顔」だ。

本心を出すと相手がネガティブな態度をとってくるのが分かっているので傷付きたくない。そしてそういうことが何度かあると面倒くさくなってしまって、相手に合わせて笑うようにするクセがついた。子どもなりの精一杯の防御。

小さい私は笑顔で、大人の私に遊ぼうと誘う。

そう、いつも私はこうやって「子どもらしく」振舞っていた。大人が安心する子どもを演じていた。本当は楽しくないことも楽しいと言い、興味ないことも興味を持ったふりをし、無邪気なふりをした。

大人の期待する「屈託のない無邪気な子ども」になろうと、一生懸命だった。

私はいつも、大人の期待に応えようと頑張っていた。

大人の私は、小さい私としばらく遊んだ。

そして「梨恵ちゃん、いいよ、そんなに無理しなくて。笑わなくていいよ」と言ってみた。

小さい私の動きが止まる。

顔から、表情が消える。

しばらく無言のまま、お互いに見合う。

小さい私が、ふと大人の私から目をそらす。

そして言った。

「大人は嫌いだ」

大人の私は「そうなんだ」と言う。

「大人は、自分の都合ばっかりだ。自分がしたいようにして、自分がやりたいようにするばっかりで、子どものことなんて何も考えない。私が本当に何をしてほしいのか、どうしたいと思ってるかなんて関係ないんだ。自分が思うように私が動いていれば、それで満足なんだ。自分勝手な大人なんていなくなればいいのに」

小さい私の目は、怒りに燃えていた。先ほどと違ってエネルギーに溢れている。

「そうだね」

大人の私は続けて言う。

「そうだね。大人なんて本当に勝手でわがままで、あなたのことなんて何も考えてないよね。ひどいよね。ごめんね」

小さい私は、大人の私を見ている。

「本当に、ごめんね」

大人の私は、涙が出てきた。

「悲しい思いをさせて、本当に、ごめんなさい」

小さい私は大人の私をしばらく見ていて、ふっと息をつく。

「別にいいよ。大人なんてそんなもんだと思ってるから」

そして別の方向を見ながら言った。

「いいから、遊ぼうよ」

大人の私は顔を上げて、小さい私を見て言った。

「大人の私と、遊んでくれるの?」

「遊んであげるよ」

小さい私は、少しだけ笑って言った。

そしてひとしきり遊んだ後、小さい私は大人の私に言った。

「ねえ、明日も来てくれる?」

「うん、来るよ」

「本当? 大人はすぐ噓をつくから信じられない。こっちが本気にしていることを平気ですっぽかすし誤魔化すから最悪。大人の都合で嘘をつく」

「私は来るよ」

「来なかったら、もう大人は信じないよ」

「来なかったら、信じなくていい。でも、私は来るから」

「ふーん。分かった。じゃあね」

小さい私は、大人の私に手を振った。

大人の私も、小さい私に手を振った。見えなくなるまで、手を振った。

私が本当に話したいのは、本当に分かり合いたいのは、彼氏でもない、父でもない、母でもない、

自分自身だった。

いつも自分を責め続けた自分、いつも自分を追い立てた自分、苦しめて、悲しめた自分。

だけど、とても頑張っている自分、努力し続けている自分、諦めずに、負けずに、どんなにつらくても悲しくて苦しくても悔しくても、生き延びてきた自分。

今、ここに、生きている自分自身。

頑張ってきた私を、つらかった私を知っているのは、父でも母でもなく、私。

誰より自分の頑張りを知っている自分に、すごいね、頑張ってるねって、誉めてもらいたい。

私は私と、分かり合いたい。

一番欲しいのは、それだった。

自分を認めること、受け入れること、許すこと。

自分を誉めて、愛すること。

それは、自分にしかできない。

私に空いた穴は、これだった。すっぽり抜け落ちているもの。どれだけ食べても、他人から好きだと言われても、買い物をして物が増えても、ちっとも満たされなかった部分は、自分が自分を好きだというその気持ちだった。

自分の中にあるものだったから、いくら外に求めても見付からなかったのだ。

やっと見つけた。

こうして私は自助グループやカウンセリングの助けを得て、ようやく回復への道を歩き始めた。

しかし今までずっと自分の中で繰り返し上書きされ続けた「自分は愛されない」という信念体系は非常に強固で、これを変えるのはそう容易いことではなかった。

各種心理学を勉強したり、自律訓練法、認知行動療法、催眠療法、ほかの各種セラピーやワークなど様々なものを受けた。

おかげで依存症を繰り返す自分を客観的に把握でき、その理論も分かった。対人関係で自分に足りなかった相手と自分との「境界」も繰り替えし意識しているうちになんとなく分かってきた。

共依存ではない健全な人間関係とはどういうものか、ということも分かってきた。

理論が分かると、かなり楽になった。実際に自分がすぐに健全な人間関係を作れるようになったかというとまったくそうではないし、日々のトレーニングが必要なのだが、「自覚」が生まれたことが大きかった。

「さっきの自分は他人からの侵入を許してしまっていたな。支配されそうだった」「相手の問題を自分の問題とごっちゃにしかけてたな。相手と自分を同一視しかけてた」と分かって立ち止まることができると、次に似たような場面があると、少しは感度が上がり、対処が早くなる。

特に他人の人間関係を見ていると、他人のことなので非常によく分かる。ちょっと注意してみると、上手に境界を持てる人の方が少ないのではないかと思う。

大体の人間関係トラブルはこの「境界」のせいで起こっているし、そこに職場や近所づきあい、親戚、子どもの学校、恋愛など、別の要素が入り込むとこじれて分かりにくくなる。

こうしていつも冷静な自分が頭の隅にいるようになると、相手に巻き込まれるということは少なくなってきた気がする。まだまだトレーニングは必要だが。

(2017年5月25日「ロハス・メディカルブログ」より転載)

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