最近女性の生き方についての議論が活発に行われているような気がします。
バッド・フェミニスト ロクサーヌ・ゲイ(著), 野中モモ(翻訳)
そうした記事や本、映像などに触れるうちに、人間として当たり前の権利を望む女性が、この社会で「フェミニスト」「生意気な女」というレッテルを貼られ、時にうとまれることもあることに気付き、歯がゆく思うようになりました。
そんなある日、9歳の娘に「大人になったら何になりたい?」と尋ねると、「パティシエとしてケーキ屋さんに雇ってもらって、昼間一生懸命働いて、16時か17時に帰ってきて、ご飯の準備をしたり、子どものお世話をしたりする」という答えが返ってきて、家庭と仕事の両立は難しいという現実を今伝えるべきなのか迷いました。
私自身は現在フリーランスの北欧語翻訳者として家で子育てしながら仕事をしています。翻訳専業になってから現在までの9年間で、44冊の北欧の書籍を翻訳しました。年平均すると4.8冊。2ヶ月半に1冊訳書が出ている計算になりますが、夫の収入がなかったら仕事を続けるのは難しいぐらいの額しか稼げません。自分自身、今の仕事の状況に満足できていないのに、娘に一体どうアドバイスしたらよいのでしょう?
私がこのような苦しく情けない状況にある背景には、もちろん能力不足もありますが、出版翻訳の特殊性も影響しているように思えます。翻訳出版の仕事は今でも不足しているぐらいなのに、「家事と育児の合間に翻訳の仕事をしてみませんか」とさらに多くの人を翻訳出版の世界に誘う翻訳学校があったり、仕事がなくて困っている新人翻訳者に、「デビューのチャンスがありますよ」と謳ってオーディション費用を徴収。
実際に仕事を提供できるのは、ほんの一握りの人だけ、というオーディション・サイトがあったり(翻訳者は合意の上でオーディションを受けているので、騙されているわけではありませんが)、出版不況で販売部数が減っている上、翻訳志望者の多くが夫を持つ主婦で十分な報酬を得られなくても路頭に迷う人は少ないという安心感からか、労働時間に見合わないわずかな翻訳料しか支払わない出版社があったり、翻訳者と出版社の間に入って、契約書を事前に交わすことなく、驚く程たくさんの仲介料、チェック料を翻訳印税から中抜きしたり、支払額の明細をはっきりと明かさなかったり、増刷部数の通知を怠ったりする翻訳会社があったりするようなのです。また翻訳印税の未払いの話も時々耳にします(※こういう出版社、翻訳会社は一部で、良心的なしっかりとした会社もたくさんあることをお断りしておきます)。
ただ翻訳者が被害にあったことを余り声高に叫ぶと、面倒臭いからこの人にはもう頼まないでおこうと思われたり、あなたの能力が低いからと言われたりしかねないという現実もあります。それでも翻訳志望者は後を絶ちませんので、状況が改善される日は遠そうです。
また出版翻訳は長い修行が必要で、もう10年、20年と翻訳の勉強をしているのに、「私はまだ新人です」「私はまだ勉強中の身なので」と殊勝なことをおっしゃる方が立派で勤勉な翻訳者と見なされたり、お金のことを言うのは野暮とされたりする風潮があるのかもしれません。
そんなことを思い悩んでいたところ、ハフィントンポストとプロフェッショナル&パラレルキャリア フリーランス協会による、「フリーランスが保活に思うこと」のイベントが開かれることをSNSで知り、思い切って参加してみました。
イベントでは、保活の際、フリーランスの仕事をしていることを証明するのが大変という話が出ました。役所の対応が悪いところがあるようですし、フリーランスだという理由で点数が下げられるところもあるそうです。
ですが、私の暮らしている埼玉の市役所の子育て支援課の方達は本当に対応がよく、フリーランスだからといって、本当に働いているのか疑われることも、点数を下げられることもありませんでした。判断基準は勤務形態ではなく、主に時間数とのこと。自治体により基準は異なるようです。
あまりにいつも対応がよいので、不思議に思い、市役所で働いている知人に聞いてみたところ、子育て支援課の男性の1人に、率先して育休をとって、他の男性職員も育休をとりやすくなるように配慮したり、市民目線で子育て支援を行う努力したりしている方がいるそうです。私の市は本当に恵まれているのだと思いました。今度子育て支援課に行ったら、目一杯お礼を言いたい気分になりました。
女性が生きやすい社会をつくるには、男性の支え、理解、協力が不可欠なのでしょう。
出版翻訳の現状をグループワークで少しだけお話ししたところ、同じテーブルにいらした社労士で保育園経営者でもある菊地加奈子さんという方が最後の総括のところで力強いメッセージをくださり、とても嬉しく思いました。
「私は主婦だから」「夫に養ってもらえるから」「私はまだ未熟だから贅沢言える立場ではない。仕事をいただけるだけでありがたい」と、財布を開く翻訳者さんもいるのを私は気持ちはよく分かるけれど、あまりに謙虚すぎるのではないかと感じています。こんなことを書いたら生意気な世間知らずだと思われるのかもしれませんが・・・・・・。
会の終わりに、保育園に0歳児で預けている人は全体のわずか12.5%で、3人に対して保育士が1人必要だけれど、保育士不足はすぐには解消させそうにないこと、0歳児1人を保育所に預けるには、月30万円以上の税金がかかるというお話をうかがって、0歳児が皆保育所に入れるようにすることを目指すより、まずはフリーランスが育休、産休をとれるようにしてもらう方がよいかもしれないと思いました。
ただ仕事によっては長期間休むと仕事がもらえなくなってしまうこともあるようですので、希望する人は0歳でも預けられる環境が必要だとも思います。下の記事にあるような、多様な預け方があればいいな、とも思いました。
参考:「フィンランドだって、国会前でデモしてた」子育てしやすい国の保育園はどうなってるの? https://www.huffingtonpost.jp/2016/04/15/finland-kindergarten_n_9698914.html?ncid=engmodushpmg00000004
以前ノルウェー人の翻訳者さんから、日本にもノルウェーの翻訳者協会のように労組の役割を果たす協会をつくった方がよいと言われたのですが、私にはそんな力はないとお返事することしかできませんでした。「私は半分主婦で半分翻訳者です」と自嘲気味に言う私にその翻訳者さんは、「いいえ、あなたは翻訳者ですよ」と力強く言ってくださいました。
ノルウェーは小さな国で、社会が国民同士の信頼の上で成り立っていて、悪いことは仕方ないと諦めずに皆で変えていこうという能動的な姿勢を持つ人が多く、また翻訳者協会のような団体が労働者を守る仕組みがしっかりしているので、日本の翻訳者の状況はノルウェー人から見ると信じられないようなのです。
今の私にできるのは、フリーランスの子育て、労働環境の整備に力を尽くしてらっしゃる政治家の方に投票すること、また今回の会を主催されていたプロフェッショナル&パラレルキャリア フリーランス協会https://freelance-jp.org/の活動を見守ったり参加したりすること、またhuffington postをはじめとする各媒体の記事を読んで、シェアすることぐらいかもしれませんが、フリーランスママのことを思って、行動されている皆さんがいることを知り、本当に嬉しく思いました。ありがとうございました。
それにしてもキャリアウーマンで生き生きと自信を持って働いているように見える参加者の皆さんの中にも、「小さいうちから預けてかわいそう」「今しか子育てはできないんだよ」という周囲の言葉に悩まされている方がいることが分かり、心が痛みました。3歳児神話があったりと、子育てについては客観的な研究が不足しているような気がします。できれば北欧の子育ての研究者が描いた本を翻訳したいと思っています。
またノルウェーに以下の作品もあり、女性の社会進出についての議論の発展の一助となるよう、できれば将来訳してみたいと思っています。
『私は今、自由なの?』ノンフィクション、296ページ
(内容)
ノルウェーで70年代に行われた女性解放運動の変遷と今のノルウェーの女性の生き方について書いた本。大多数の女性がフルタイムで働くノルウェーに暮らす女性である著者は、出勤前、子どもが保育所に行きたくないと泣く姿を見ていると、ノルウェーの女性は自由になったと言われるけれど、本当に私達は自由なの? と考え込んでしまう。今ノルウェーで最も重要とされる女性の生き方について書かれた本。資本主義の観点からもフェミニズムが論じられている。全ての人の労働時間を6時間にしてはどうかなどといった働き方についての提言も。アラビア語にも翻訳された。
また既に邦訳の出ているデンマークの本、『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』は子育ての悩みを抱える敏感な心を持つ方達にもお薦めです。私自身も訳していて心が癒やされたので、ぜひ読んでいただきたいです。http://reikohidani.net/2476/
鈍感な世界に生きる敏感な人たち イルセ・サン (著), 枇谷玲子 (翻訳)
育児に疲れたら、こちらの漫画も最高に面白くて癒やされます!
モンプチ 嫁はフランス人 (FEEL COMICS) じゃんぽ~る西 (著)
子育てについての本では、私はこれがピカイチに素晴らしいと思います。子育てが楽しくなります。
プーおじさんの子育て入門 柿田 友広 (著), 相沢 康夫 (イラスト)
また以下のスウェーデンの本には、女性も生き生きと活躍できる社会の実現を目指す上で、羅針盤となるであろう力強い言葉が収められています。
自分で考えよう: 世界を知るための哲学入門 ペーテル・エクベリ (著), スヴェン・ノードクヴィスト (イラスト), 枇谷玲子 (翻訳)
99ページ『人間に限界はない』より
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善い人間は、自分の行動につねに責任を持つこと、人生の道を自ら選ぶことで、なりたい自分になれると知っている。
これって、すごいことだと思わないかい? きみたちは根本的には自由なんだ。でもこの世のなか、どんなときもかんたんに自由と選択肢が手に入るとはかぎらない。
たとえばこの本に出てきた哲学者のほとんどが、おじいさんだって気がついたかい? なぜだろう? 1章で、いまは哲学にしたしむのに、男か女かは関係ない、って言ったよね。でもどうしてむかしは、ちがっていたんだろう? その答えの1つに、女の人が歴史上、男の人とまったくおなじ教育の機会を得てきたわけではないことがあげられる。女性は成長する機会と自由を制限されてきたんだ。
プラトンはこのことに頭を悩ませていたにちがいない。かれが「社会をおさめるのは哲学者だ」と考えていたのを、おぼえているかい? プラトンにとっては女性も男性とおなじ、優れた哲学者だった。これまでの世界の歴史でみながそう考えれば、女性は男性とおなじ教育を受け、社会での道を自分できめる権利を得ることができたのにね。メアリ・ウルストンクラフトとシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、教育を非常に重視し、女性が男性とおなじチャンスを得られる社会をつくるため、力を尽くした。いまでは男女は様々な面で平等だ。この自由を勝ちとるために、長年たくさんの人が奮闘してきた。
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この本はスウェーデンの読者に向けて描かれた本ですので、「いまでは男女は様々な面で平等だ」と書かれていますが、日本でも男女は平等でしょうか? 「この自由を勝ちとるために、長年たくさんの人が奮闘してきた」とも描いてあります。
1人で奮闘するのは難しい部分もありますが、今回、様々な働くフリーランスのママとお話しして、勇気とエネルギーをもらったことで、私も少しでも多くの収入を確保して、幸せで健康な家族の暮らしを保てるよう、また娘が大人になるまでに今より生きやすい希望に溢れた社会を実現できるよう、不満ばかり言うのではなく、微力ながら何かできたらと思えるようになりました。ありがとうございました。
(2017年3月2日「Reiko Hidani HP」より転載)