なぜ日本のIT企業には共有価値観がないのか?――尾原和啓氏が答える『ザ・プラットフォーム』Q&A

ボトムアップを有効活用して、全体としての個性を保つためにこそ共有価値観が大事になる。なぜ日本の企業は共有価値観を大事にしないのか?

PLANETSチャンネルでの連載(『プラットフォーム運営の思想』)がもととなり書籍化され、ベストセラーの仲間入りも果たした尾原和啓さんの『ザ・プラットフォーム』。今回は、出版後に行われたニコ生で読者から寄せられた質問と、それに対する尾原さんからの回答をまとめた記事をハフィントン・ポストで無料公開します。

拙著『ザ・プラットフォーム』は、おかげさまでKindleでビジネス書総合一位、六本木ABC書店で三週連続総合一位という風に、大変な好評価をいただけています。

この本の出版をもって、「プラットフォーム運営」について語ってきたこの連載は、一段落することになります。連載の内容に興味を持たれていた方は、私なりのまとまった見解が書かれていますので、ぜひ本を購入してみてください。

さて、今回はこの連載のひとまずの締めくくりに、7/18のニコニコ生放送で私が読者から受け付けた新書への質問の回答を書いてみたいと思います。新書や連載では書けなかった内容について、踏み込んだ内容を話しているので、補完的な内容になっていると思います。

Q1.尾原さんの言う衆人環視の仕組みは、新しい村社会のようにも思えます。本当に望ましい社会なのでしょうか?

いきなりPLANETSの読者らしい質問ですが......結論から言えば、わりと私は楽観的に考えています。

まず、「衆人環視」については、M.フーコーという哲学者が『監獄の誕生』という本で論じた「パノプティコン」という概念を知る必要があります。フーコーは、人間の罪の意識が、誰かから監視されている状態で生じるものではないかと考えました。その際に彼は、ジェレミー・ベンサムの「パノプティコン」という監獄の設計を取り上げています。この監獄は、塔から誰かに監視されているのだけど、その人の存在は見えないというものでした。このとき、人は心のなかに「自分が監視されている」という状態を作り上げてしまうのです。

パノプティコン型刑務所、「プレシディオ・モデーロ」の内部(出典

さて、この衆人環視という状態は、現代で言えばTwitterやFacebookで常に自分が見られているネット社会の状況そのものです。私たちは、そういう中でどのように生きていくのかが問われているのです。しかし、ここにはデメリットだけではなくて、メリットもあります。

ビクビクしながら生き抜くしかないということは全くありません。むしろ、僕は「お陰さま」という言葉が真に活きる社会になっていくだろうと楽観的に考えています。なぜならば、みんなが見てくれているということは、徳を積めばその分は必ず誰かが見ていてくれて、いつか評価として帰ってくるからです。ネガティブなことがバレやすい分、リア充みたいに自慢しなくても周囲があなたの良いことを拾ってくれて、どんどん新しい仕事や機会が自分に舞い込んでくるようになる。まさに「情けは人のためならず、己のためなり」が実現する社会になるのだと信じています。

Q2.楽天やニコニコ動画のようなサービスは、日本の中間層の厚みを利用していて、海外に簡単に輸出できないように思えるのですが、どう思いますか?

これも、なかなか好学な質問ですが、まさにおっしゃる通りです。

この人の言う「中間層の厚み」は、この本における「ハイコンテクスト」に当たる話になります。確かに、楽天で些細な差異を競ったガジェットが人気があったり、ニコニコ動画の「歌ってみた」や「踊ってみた」で連鎖反応が起こりやすいのは、日本の中間層の厚みによる部分があるのは確かです。ただし、それが海外で通用しないことは必ずしもないと思います。ハイコンテクストになる共通なものを、ある一定の層の中で生み出しさえすればいいだけだからです。あるいは、ハイコンテクストを短期間に凝縮して生み出す装置なんかがあってもよいでしょう。

例えば、前者をグローバルビジネスでやっている優れた産業が、ワインです。

ワインというのは、産地や作り手の思いやぶどうの品種などの、とてもハイコンテクストな差異を積み上げていくことでブランド価値を作り上げて、単価を上げるビジネスなんですよ。こういうのは――いつも出す極端な例で恐縮ですが――女性のうなじに関してだって、論理的に言えば出来るはずです。現実にそういうことが起こりやすいのは、やはりオタク産業になるでしょう。以前に宇野さんから海外ではガンプラが二倍以上の値段で取引されていると聞きました、AKBだってあのテンプレートをヨコ展開させることは可能だと思います。

ちなみに、AKBの面白さは、思春期の少女という最も成長変化の激しい状態の集団に観客が関与していくことによって、さらに成長が生まれていくところにあります。そのときの様々な衝突がドラマを生むし、秋元康がそれをさらにズラしていくので、物語は加速していくわけです。しかも、地方にAKBが新しく生まれるたびに、今度は連歌のように先輩のAKBと重ね合わされて、また新たなコンテクストのズレも発生していく。ほとんど意図的とさえ思えるほどに、高速にハイコンテクストを生み出す仕組みになっています。

でも、ここにあるのは「想い」というものの凝縮性でしかありません。だから、海外におけるスナップチャットのやり取りやインスタグラムのタグの進化を見ていると、AKBやニコニコのN次創作のコミュニケーション消費にとても近いものが生まれはじめているし、そこに着目していけば輸出は十分に可能だと思います。

Q3.落合さんが連載で、Googleは人工知能の思想、Appleはパーソナルコンピューターの思想とまとめていましたが、Facebookはどういう系譜の思想になるのでしょうか。

この辺の話では、宇野さんが僕との対談でまとめてくれた話が最も簡潔だと思います。つまり、彼らの差は作用点であって、Googleは「世界」に対して、Appleは「人間」そのものに対して作用を起こそうとしているということです。

Googleの共有価値観は、「世界中の情報を有機的に整理して、いつどこからでもアクセスできるようにすること」で、まさに「世界」に作用しています。それに対して、Appleは「Think different」に始まって、各々の人間が違う考え方が出来るように強化していくものです。その意味で、世界に作用を及ぼすというのは人間の認知のあり方を変えることですから、確かにGoogleが人工知能の系譜というのは正しいと思います。一方で、自分に作用を起こすのはパワードスーツを着るようなものなのでAppleがパーソナルコンピュータの系譜にあるというのも綺麗な思想の整理ですね。

では、Facebookはどうなのか。

Facebookは、人間と人間の関係に作用点を持ちます。しかし、そこには人工知能やパーソナルコンピュータに相当する系譜はないと思います。社会学で「ウィークタイ」と言われる法則をどう使っていくかのような直近の問題はあって、こういう話題を実学的にどう発展させていくかが、今後の課題になるのだと思います。個人的には、そこには例えば東洋思想的な、人と人の「縁」みたいな話に近いものが、これから展開されていくのではないかと思います。

ただ、Facebook自身はハッカーイズムに現在でもこだわっていて、彼らに独自の展開は今でも見えていません。

本でも書きましたが、僕はFacebookはビジネスモデルがまだいびつだと思っています。そこをどう消化していくかが、今後の展開で重要になるはずです。現状では、残念ながらFacebookは彼らの思想とビジネスモデルが一致していません。人と人が集えばそこで時間を消費してくれるから、そばに広告を置いておけば換金できるという発想にしかなっていないのです。

ちなみに、最近の状況を言うと、だんだん若者はFacebookを使わなくなり、Instagaramに移行しています。これには『ITビジネスの原理』でも書いた「非言語」による繋がりという潮流にくわえて、写真でその瞬間の「刹那」を表現するのを格好いいとする快感原則の存在があります。しかも、そこで見逃せないのが、ハッシュタグによってくくられることで、その「今ここ」の刹那を同時に共有して仲間を見つけられるようになってきたことです。

インスタグラムのユーザーをインタビューしていると、こういう特性が若い人の価値観や行動原理を大きく変化させているとよく分かります。彼らの話を聞いていると、極端なことを言えば、もう服やブランドよりも、行動にお金をかけるようになりはじめています。というのも、服というのはリアルの相手に見せるものなのですが、別にその人たちは自分の趣味嗜好を必ずしも理解してくれる人ではありません。ところが、インスタグラムであれば、自分が「どこどこへ行った」みたいな話を報告に対して、すぐに自分の嗜好を理解してくれる仲間から反応が来る。そうなると、生活におけるコストのウェイトが変わっていくんですね。まあ、そこで面白いのが、非言語だからワールドワイドに開かれているのに、日本ではマイルドヤンキー的な方向で離れ小島になっていく動きもまたあることなのですが。

Q4.AirbnbやUberでモビリティが自由になった社会で、私たちの人間関係や働き方はどうなるのでしょうか?

良い質問ですね。

まず、現状のAirbnbやUberは、旅行のときの宿泊先や急ぎたいときのタクシー利用などの「非日常」を便利にするツールにとどまっています。しかし、これらは非日常での利用コストを下げて流動化していくツールであるにとどまらず、必ず日常を変革するプラットフォームになっていくと思います。

一つ面白い例を挙げましょう。僕のバリに住んでいる友人に、バリと日本で往復生活をしている人がいます。彼は、片方に在住しているときはAirbnbでもう片方の家を貸しているんです。

そうなると、彼は二つの家を借りているのに、家賃を一件分だけしか払わずに済んでいるんですよ。これ、便利だと思いませんか。しかも、彼がそのどちらでもないシンガポールに行ったときには、今度はバリと東京の両方の家も貸せるから二軒分の収入が発生して、シンガポールのホテル代も稼げてしまう。つまり、ホテル代の相場が激しく上下しない限りは、彼は一軒分の家賃で暮らせてしまうんですね。

非日常の利用から日常の利用に変わっていくというのは、具体的にはこのようにどこへ移動しても、住まいのコストが変わらない状態のことを言うのだと思いますね。

この話で大事なのは、実はプロセスです。昔から「部屋を交換すればいいじゃないか」という発想はあったのですが、いきなり流動化するのは大変なことでした。でも、こんなふうに「日常の空いてるところを、非日常の人にちょっと貸してあげよう」なんてことから始めると、気がつけば日常までも流動化していくんですね。変革というのは、こういう滑らかさが重要なんです。

ちなみに、この件については既にティッピングポイントを超え出しています。僕が住んでいるウブドゥでは、自分の住みかをAirbnbで貸し出して、海外でフラフラし続けるノマドワーカーが増えています。彼らは「住む」ことの流動化と同時に、リモートワーキングというかたちで「働く」ことも流動化しているのが重要ですね。もちろん、これはPLANETS読者向けに言うと、ネットの進化で衣食住がどう変化していくか、という「PLANETS vol.8」の話にほかなりません。

Q5.ペイフォワードという概念について、もう少し詳しく教えて下さい。

では、ここまでの流れで、この質問にも答えたいと思います。

こういう衣食住の変化は、すでに私たちの行動をリアルにアップデートしはじめています。Airbnbが「住」のアップデートなら、「衣」はメルカリなどのフリマアプリでしょう。

面白いことに、実はこのメルカリがペイフォワードの例になっているのです。

メルカリの中の人たちに話を聞いて面白かったのが、既に彼らはユーザーの行動を「中古品の売買」というワンショットで捉えていなくて、中古で買ったものがまた売りに出されるという循環で考えていたことです。

というのも、メルカリの中では中古品がすぐに売れるので、一度買ったものを再びメルカリで売る発想になっていくんです。そうなると、例えば1万円のワンピースを3000円で買ったとして、2週間ほど着たくらいであれば、せいぜい2500円で売ることは可能でしょう。すると、そこに送料が入ったとしても810円かそこらで新しい服を楽しめてしまうんですね。

これは、服というものをシェアしては次の人に送っていく行為になっていて、まさにペイフォワードそのものです。しかも、メルカリは既にコミュニティ化が起きていて、メルカリユーザーは外で服を買うときに「たぶんいつも私の服を買ってくれる○ちゃんが中古で買ってくれるはず」と考えるようになりだしています。

こういうサーキュレーションを「循環経済」といいます。自分はたまたまぐるぐる回る循環の中で一番目に買った人であるという意識でモノを買っているんですね。

......というと、何だか格好よさげですが、要は「後ろで買ってくれる人が多ければ多いほど中古品は高く売れるから、非日常の服を楽しむ敷居が下がっていく」という話です。1万円の服で尻込みしていた人でも、「2週間くらい試して中古で売れば、8000円は戻ってくるか」と思えば、試してもいいやと思うじゃないですか。

もちろん、ここでは一見すると、各々の消費の中ではデフレが起きています。でも、そうなれば実は5倍の服の消費が起きていくだろうし、「新しい服をついでにもう一枚買おうかな......」という発想も起きやすくなりますよね。さらに、最近はお気に入りの服をインスタグラムでシェアするでしょう。すると、その購入者に憧れているフォロワーがその服を買う機会だって増えていくわけです。そうなると、むしろ余剰を増やすインターネットに変わっていく可能性も大きいんですね。

さて、このペイフォワードは、実は単なるシェアリングエコノミーよりも良いところがあると思っています。それは何かというと、「重くない」ということです。

例えば、昔のeBayのように物々交換していく関係は、どうしても等価交換が頭に浮かんでしまって、「果たしてこのお返しは、相手の贈与に見合っているのか」と悩んでしまったりするんです。

これは「好意の返報性」というもので、「人に何かをされたら、相手にもお返しをしなければいけないと思う」という人間の心理学的な性質による感情の働きです。本の中では「コミュニケーション消費」の項目で書きました。

しかし実はこれ、良い話にみえて、難しい部分もあります。

例えば、昔の文化風習にポトラッチというものがあります。これは敵対する部族同士が、とんでもない量の贈り物をする行為を互いに繰り返すものです。

これはなんだか一見気前の良い話に見えますが、実はこれは相手に屈辱を与えるための行為です。相手にモノを与えると、今度は向こうも負けじとこっちに与えてきて、再びこっちも与えて......というのを繰り返すのですが、ここには「俺のほうが上だろ? だってお前は俺にもうお返しできないじゃんか」という発想が根底にあるのです。実は一対一関係におけるギブは、こういう相手に上下関係を強いるためのマウンティングになってしまいがちなんです。mixi疲れやFacebook疲れが起きる原因は、まさにここにあります。

ところが、このメルカリは一回一回の交換が金銭で清算されています。しかも、「俺はお前に渡したけど、お前は次の人に渡せばいいから」という関係になるので、必ずしもその人への見返りを求めなくてよいのです。

シェアやソーシャルレンディングの問題として、借り物なので使い方に不安が生じてしまうという問題があります。でも、ペイフォワードであれば、自分のところで壊したとしても自分の責任でしかなくなるので気が楽になります。この構造にはシェアリングエコノミー的な効用を加速するものがある気がしていて、個人的に関心を持っています。

Q6.日本のIT企業にはハッキリした共有価値観がないように思えるのはなぜか?

それでは、最後の質問として「共有価値観」にまつわる問いに答えたいと思います。

この「共有価値観」は、あの本でも最も力を入れて説明した概念であり、反響も大きかった箇所でした。今回は、なぜサービス運営にとって「共有価値観」が大事になるのかという問題とセットでお答えしたいと思います。

で、いきなりその回答を単純に言うと――「共有価値観」なしには、サービスのアイデンティティが作れないからです。

というのも、アメリカのIT企業なんかは、もうボトムアップの組織でしか作れなくなっているからです。組織というのは、大雑把に言うと、二通りあります。一つは、上が全てを決めて言われた通りに下はやっていくという、"北朝鮮"的な「トップダウン社会」です。もう一つは、現場のスタッフが気づいたことをどんどん上にあげていき、しかる後に上から「その気づきって、こういうことだよね」と下へフィードバックを行って、全体の統合性を保っていく「ボトムアップ社会」です。

もちろん、現代という時代に適合しているのは、もう圧倒的にボトムアップ型です。とにかく変化が激しい時代なので、その変化に最も早く気づける場所にいる現場の判断を活かすのが大事だからです。

ただし、ボトムアップ型の組織には弱点があります。現場の各々に判断させるために、放置しておくと個人の能力に依存してしまい、組織としての一体感が失われてしまうのです。

こういう弱点に対して、現場の価値判断のものさしとして与えられるのが、まさに「共有価値観」なんです。例えば、現場ではある課題に対してAとBのどちらの選択肢も正解である場合なんてザラです。そういうとき、自分の選んだ選択肢を信じきるのに、この「共有価値観」が大事になってくるのです。あるいは、たまたま離れている現場スタッフが同じ方向性で束ねられて、全体として新しい進化を生み出すようなことも起きます。

......まあ、そうは言っても、Appleに関してはスティーブ・ジョブズという偉大なトップダウンもいたし、Googleにもアンディ・ルービンという凄まじくトップダウンな人物がいたのも事実ではあります。ただ、基本的にはプロダクトアウトでとにかくモノを作りながら走って行くというのが、ネットビジネスの基本です。そのときに大事になるのは、一人一人のエンジニアが価値判断を持ったモノを作ることです。そういうふうにボトムアップを有効活用して、全体としての個性を保つためにこそ共有価値観が大事になるというわけです。

さて、ここまで語ってきたところで質問に答えます――なぜ日本の企業はこの共有価値観を大事にしないのか?

単純な話です。日本の会社というのは、ほとんどがまだトップダウンだからです。だから、そもそも共有価値観が必要にさえならないのです。ただし、いくつかの会社にはそのDNAとして共有価値観的なものが見られるのも事実で、本の中ではiモードやリクルートや楽天の話を取り上げました。

以上が回答となりますが、この共有価値観を軸に据えて見ていくと、それぞれの企業の行動の奥に隠れたDNAが分かるようになります。これを理解しておくと、過去の業績や現在の事業を読み解くだけではなくて、未来をディスカッションすることも出来るようになります。この本を読んだ人から、そういうふうにプラットフォームの未来について話せる人が増えていくと、大変に嬉しいなと思っています。

この連載はひとまず今回で一段落しますが、PLANETSのニコニコ生放送では「情熱と存在のヴァース」という月イチの番組が開始します。これは、皆さんの働き方などの悩みにお答えする相談番組です。実はこの質問会のあとに、すでに第一回の生放送が収録されていて、そちらの書き起こし記事も今後配信される予定です。

また、この連載では語りきれなかった話題は、まだまだたくさんあります。

例えば、第三回で取り上げたアイスバケツチャレンジでの贈与論にまつわる議論などは、今回話したペイフォワードなどの話と絡めて、まだまだ発展させていきたいテーマです。こういう贈与や交換に対する興味は、単にプラットフォーム運営にとどまらない、本の中でも書いた僕のボランティアの経験とも関わってくるような、僕にとってとても重要なテーマです。

こういう話なども、またPLANETSで書いていければと思います。そのときには、また引き続きよろしくお願いいたします。(了)

尾原和啓『ザ・プラットフォーム』は引き続き、全国の書店・Amazonで大好評発売中。Amazonでは電子版も購入できます。ぜひ、チェックしてみてください!

▼執筆者プロフィール

尾原和啓(おばら・かずひろ)

1970年生。京都大学大学院工学研究科修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Googleなどの事業企画、投資、新規事業に従事。また、ボランティアで「TED」カンファレンスの日本オーディションにも携わる。米国西海岸カウンターカルチャー事情にも詳しい。2014年1月に初の著書『ITビジネスの原理』(NHK出版)を出版。

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