※PLANETSチャンネルで好評連載中の『プラットフォーム運営の思想』(尾原和啓)。ハフィントン・ポストでは、この連載の過去回をお蔵出し配信していきます。今回公開するのは、現代を生きる誰もが無関係でいられない「GoogleとAppleの運営思想の違い」について解説した回です。表面的な製品戦略の違いからは見えない、両社の本当の「対決」とは? 彼らの抱く哲学にまでさかのぼって解説します。
まず最初に一つ、ご報告。この連載『プラットフォーム運営の思想』の書籍版が、NHK出版から今日発売されます。タイトルは、『ザ・プラットフォーム』です。ぜひ店頭で見かけた際には手に取ってみてください。連載の中では語っていないプラットフォーム運営にまつわる重要なポイントも、ギュッと凝縮して書きました。
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それでは、連載の話に戻りましょう。
さて、今回からはグローバルプラットフォーマーを取り上げたいと思います。具体的には、Apple、Google、Facebookの3社を分析してみます。
この3つの会社は、現代のIT業界を代表するプラットフォーマーです。我々は彼らのインフラ無しの生活は考えられず、彼らのインフラの進化の上で我々の生き方・価値観は日々上書きされていっています。
ビジネス誌でも、あるときはソーシャルと検索の文脈でFacebookとGoogleが取り上げられ、あるときはアプリとブラウザの文脈でAppleとGoogleが取り上げられ......というように、相互に戦略が比較されて紹介されています。もちろん、そうした個別ビジネスの戦略レベルでの視点も、それはそれで重要です。しかし、そういう具体的すぎる視点では、近年の彼らの動きは見えづらいと思います。
例えば、なぜGoogle(正確には、社内ベンチャーのナイアンティックラボ)はIngressを始めたのでしょうか。あるいは、なぜAppleは腕時計に進出したのでしょうか。Facebookが、なぜヴァーチャルリアリティのヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」を2000億円もの高額で買収したのでしょうか?――これらは、単純にはわかりづらいように思います。 ところが、そうした謎はこの3社がこれまでに発してきたメッセージをつぶさに見れば、かなりの程度まで解き明かすことが出来ます。今回は、AppleとGoogleについて、両社が制作したPVを比較しながら、その「哲学」を確認したいと思います。表面的な製品戦略を超えたところで、彼らの一貫性と向かう先が明確に見えて来るはずです。その理解は、彼らのビジネス上の戦略についても深い洞察を与えてくれることでしょう。
■ Google Glassのプロモビデオが描いた未来像
2015年1月、Googleは開発者向けにベータ版として販売していた、眼鏡型デバイス「Google Glass(以下、グラス)」からの一時的な撤退をアナウンスしました。
このグラス、販売期間中の後半はシリコンバレーでもあまりよい評判ではありませんでした。レンズを見るときに視線が右上を向くのがアホっぽく見えるのを揶揄して、大まじめに使っている人間が「Google Glasshole」(※ assholeは「バカ野郎」の俗語です)などとからかわれていたほどです。現状のグラスは、ユーザが期待していた形にはほど遠かったということで、ひとまず撤退した上で、再び研究所での開発体制に戻すことになったのでした。
ただ、このグラスが本来持っていた思想には、Googleという会社の「哲学」がとてもわかりやすくあらわれています。特にそれが簡潔に表現されていたのが、グラスのコンセプトPVでした。
このPVは、グラスの持ち主が朝起きるシーンから始まります。まず注目したいのは、コーヒーを注ぎながら時計を見ると、今日の予定がグラスに表示されるシーンです。続けて窓の外を見ると、今度は天気予報と気温が表示されるのも重要です。これらは二つとも、グラスの持ち主の意図を先回りしたものです。時計を見るのは予定が気にかかるからだし、朝にまず空を見上げるのは天気が気になるからです。このように、グラスはユーザーの意図を先回りして提示してあげるデバイスなのです。
僕は『ITビジネスの原理』という本で以前、Googleの検索エンジンをユーザーの求めるもの=インテンションを拾い上げる仕組みだと書きました。ところが、このグラスではインテンションをユーザーのリアルでの行動から予測して、先回りして提示することを目指しているのです。
では、そのメリットは一体、何なのでしょうか。さらに続けてPVを見ていきましょう。今度はハムエッグサンドを食べながら、メールにボイスで返信して、また食事に戻るシーンが描かれました。このシーンに注目した上で、もう少し先まで見続けましょう。今度は、グラスの持ち主は外に出ましたが、乗ろうとした地下鉄が止まっていることが判明します。すると、今度はグラスのルート案内で、普段は通らない道を歩いて目的地に歩き始めたようです。
さて、ここで注目したいのが、その途中で挿入される犬を撫でる映像です。右上に次に行くルートが示されているだけの絵で、一見して何のために挟まれているのかわかりませんが、これが実は大変に重要なシーンです。
スマホを使うときを思い浮かべてください。メールを送信したり、地図を調べたりするのは、それなりに面倒な作業です。紙の時代のように万年筆で返信をしたり、地図帳を開くほどの労力は必要ないですが、やはりメールの返信にはご飯を長く中断する必要がありますし、地図アプリににらめっこしながら歩いている最中には、犬と触れ合おうと思うどころか、その存在に気づくことすら難しいはずです。
そう、この持ち主はグラスが視界をずらすことなく、インテンションを先回りして、次にすべき行動を提示してくれるおかげで、かえって食事に集中したり、街中でのワンちゃんとの触れ合いに注意力を割くことが可能になっているのです。
続くシーンで、このグラスの持ち主は街中のポスターを見て、ウクレレの演奏者に興味を持ちました。これも、グラスがあってこそ気づけるシーンといえるかもしれません。そして、彼が本屋に行くと「一日で弾けるウクレレ」という本が出てきて、すぐに本を購入します。その後、彼はグラスに教えられて近くを通りがかった友人とおやつを食べたり、格好いい風景を一瞬で写真撮影したりして街中を過ごします。
そして、このPVの終わりは、彼女と思われる女の子にストリーミングを共有して、ビルの屋上で夕陽を前にウクレレを弾くシーンで終わるのです。
■ マインドフルネスという考え方
皆さんは、このPVを見てどう思われたでしょうか。
見ていただきたかったのは、このPVで一貫している「哲学」です。
それを一言でいうと、「マインドフルネス」という言葉になるでしょう。この言葉は最近、テレビ番組などで「シリコンバレーの企業で流行中」という触れ込みでしばしば取り上げられるので、馴染みのある人も多いかと思います。実際に現在シリコンバレーで、大変に重要になってきている考え方です。
僕はこの「マインドフルネス」を説明するときに、レーズンを配ることがあります。そして、まず「レーズンを一粒口に含んで、ゆっくりと味わいましょう」と伝えます(もし近くにあれば、試してみてください)。続いて、全員が味わい終えたら、今度はレーズンを大量に配って、「一気に口の中に入れて、喋りながら食べて下さい」と伝えます。そうすると、喋りながら大量のレーズンを口に入れたときより、一粒のレーズンをゆっくりと味わうほうが、レーズンの複雑な甘さを味わい尽くしていることが実感できます。
端的に言えば、この一粒のレーズンを味わいつくしている状態こそが「マインドフルネス」です。この状態にあると、私たちは過去や未来の様々な雑念に捕らわれることなく、目の前の出来事に集中できるようになります。そして、なんでもない出来事からも、高い満足感を得られるようになるのです。
この「マインドフルネス」を最もよく表現した楽曲と言われているのが、ルイ・アームストロングの『What a wonderful world』です。この曲の歌詞は、ベトナム戦争から帰ってきた兵士が、自分の家の何でもない庭や青空を眺めて幸せを噛みしめる姿を描いたものだと言われています。この帰還兵の状態を、日常の生活を過ごしながら実現するのが「マインドフルネス」の目指す世界なのです。
先ほどのグラスの効果は、まさにそういうものです。余計な雑事をグラスが自動的に処理してくれるので、ハムエッグを大事に味わったり、可愛いワンちゃんと触れ合う心の余裕をモテたり、ウクレレのポスターに気づけたりしたのです。
よくグラスを揶揄して、「目の前に通知が出てきてうるさいに違いない」と言う人がいます。かつての携帯電話のコンシェルジュのように、きっとお節介な機能なのだろうと言う人もいます。
しかし、このPVと、その背景にあるマインドフルネスの考え方を理解すれば、むしろGoogleが目指すものは、その対極にあるとわかるはずです。そもそもユーザーのインテンションを徹底的に先回りして、本当に欲しい物を精度高く表示する機能は、コンシェルジュのレコメンデーションの押し付けがましさとは別物です。あくまでもGoogleは、ユーザーを雑念から開放して、現実世界のより魅力的な姿に気づかせたいだけなのです。
■ 自動運転車とIngressの「HDリアリティ」
この「マインドフルネス」を理解することで、Googleの他の事業が目指す先も見えてきます。
例えば、実用化が秒読み段階に入ったとアナウンスされているオートナビゲーションカーにも、この発想は一貫しています。
車社会である米国では、平均して人々は2時間を自動車の中で過ごしていると言われています。オートナビゲーションカーは、その浪費されている運転時間を取り除くものです。車が目的地に向かうまでの間、私たちは音楽に耳を傾けたり、風景を楽しんだりすることができます。また、人間は情報処理量が少なくて済む慣れた道を、無意識に通りがちです。しかし、オートナビゲーションカーであれば、新しい道に挑戦するのは容易です。ルートごとの時間も表示してくれるので、「あまり時間が変わらないなら、今日はいつもと違う道で行こう」なんて判断も、苦もなく出来てしまいます。新しい発見は、そういう環境の変化から生まれるのです。
ちなみに現在、こうしたGoogleの哲学を最もよく体現しているのは、実は社内ベンチャーのナイアンティックラボが運営している、世界中で大人気の位置情報ゲームIngressです。「え、あのGoogleらしくないゲームのIngressが?」と驚く人もいるかもしれません。しかし、製作の指揮をとっているジョン・ハンケの発言には、マインドフルネスを踏まえたものが数多くあります。
▼参考記事
例えば、彼がしばしば語る言葉に「High-Difinition reality」というものがあります。上のPLANETSの記事に、日本人のIngress担当者である川島優志さんの解説があるので、ぜひ読んでみてください。この「High-Difinition reality」という言葉は、日本語に訳すと「解像度の高い現実」という意味になるでしょうか。つまり、ハイレゾのテレビ画面で映像を見るときのように、Ingressによって細部まで現実空間を味わえるようになるというわけです。
これは、まさに「マインドフルネス」の状態で、我々の感覚器官が味わう、あの充実したリアリティのことです。実際、よくIngressのユーザーは、他のユーザーの作った移動のミッションをこなし、地元の町並みにポータルの候補がないかを探すうちに、現実空間を見る眼が変化していくことに驚きます。彼らはIngressによって現実感覚が変わり、より複雑な味わいで、より強い好奇心を抱いて、現実に向かい合えるようになったのです。
この「High-difinition reality」のような考え方は、Googleの有名な社是「organize the world's information and make it universally accessible and useful」にも通ずるものです。
この言葉を日本語に訳すと、「世界中の情報を有機的に組織化して、それをいつでもどこでも使えるようにする」という意味になるでしょうか。ここで重要なのは、「有機的(organize)」と「いつでもどこでも(universally)」の二語です。情報が目の前にあっても、その魅力に気づける状態でなければ、決して「有機的」とは言えません。そして、それが全ての分野で起きなければ、「いつでもどこでも」とはなりません。しばしば、Googleという会社がすべてを自動化して人間の仕事を奪おうとする集団のように語られます。でも、本来の目的がそういう部分にないのは、この社是からも見えるはずです。
Google にはZero Click Searchという考えがあります。この発想の根底には、現在のGoogleの検索はユーザに単語を入力していただき、検索結果をユーザに選んでいただくものになっていて申し訳ない――という発想があります。余計な手間をユーザに一切煩わせないことこそが、Zero Click Searchの求めるべき姿なのです。
Googleの目的は、あくまでも人間が選択肢を増やして能動的に生きられる手助けをすることです。そして、その際の美学が「余計な手間の自動化」なのです。「マインドフルネス」とは、この思想をつきつめていくと登場してくる、とてもGoogleらしい「幸福」についての考え方です。
■ Appleの「Think different」はいかに深化したか
次に、そんなGoogleと比較されることの多い、Appleの「哲学」を見ていきましょう。
まず、彼らの原点にあるのは、やはりジョブズ復帰後に制作された有名なCMで語られた「Think different」という言葉になると思います。誰かと違う自分だけの考えを持とう――そのための助けをするのがAppleなのだ、というわけです。しかし、あのCMから十年以上が経ち、その哲学はさらに深みを増してきました。ここでもまた、それはPVに端的に表現されています。
まずは、iPad Air発売時のPVが大変によく出来ているので、それを見てみましょう。
このPVでは、様々なクリエイター、スポーツ選手、あるいは世界中の文化風俗の美しい光景が描かれ、そこに故ロビン・ウィリアムスのナレーションがかぶさります。注目したいのは、タイトルになっている「Your verse」という言葉です。verseというのは短文詩を意味する単語ですが、このPVをつうじて繰り返される中で、徐々にこの言葉は複雑なニュアンスを帯びていきます。そして、PVの最後に、ロビンは「お前のverseは何だ?」と問いかけてきます。
その問いかけの前に引用されているのが、米国の国民的な詩人ホイットマンのポエム「O Me! O Life!」です。ホイットマンはこの詩の中で、人生の意味を問いかけ、その回答として「あなたがいること、命があるということ、そして己があるということ」と答えました。その一節の引用に続けて二度、ロビンは「力強く続く演劇に、君も一遍の詩(verse)を寄せることができる」と繰り返して、最後に私たちに「Your verse」を問うのです。
それにしても、この「力強く続く演劇」とは、何なのでしょうか。そのヒントは冒頭の「ただ魅力的だから詩を読み、書くのではない。それは私たちが人類の一員だからである」というフレーズから理解できます。つまり、「力強く続く演劇」とは、人類全体が織りなす歴史そのものなのです。
そして、そのフレーズに続けて、ロビンは「人類は情熱を持っているのだ」と続けます。人類の一員として、我々は医学やエンジニアリングの発展を担っている。しかし、その活動の根底には己の存在があり、情熱がある。一体、お前は何者で、その情熱が人類の歴史に寄せる"verse"とは何なのだ――そう、Appleは私たちに問いかけるのです。
いまやverseという言葉は、とても内面的なニュアンスを帯びた言葉になっています。verseに「単一の」という接頭辞のuni-をつけると、「宇宙」を意味するuniverseという言葉になるのを踏まえると、言わばverseとは、人類という一つの宇宙を形作る、一つ一つの「お前だけの小宇宙」と言えるかもしれません。
これこそが「Think different」以降、Appleが辿り着いた哲学です。かつてのAppleは、他人と違う人間になるツールを提供する会社に過ぎませんでした。しかし、その先には「じゃあ、他人と違うお前は一体何を考えているのか」という問いかけが待ち受けていました。もちろん、Appleは私たち一人ひとりの人生に即したアドバイスはくれません。しかし、「俺たちはお前の情熱を拾い上げて、お前だけのポエムを生きる手助けをしてやるよ」と強く背中を押してくれます。iPadやApple Watchなどの高い表現力のデバイスは、そのために作られた装置なのです。
■ アメリカ的な「ZEN」と日本的な「禅」
Googleのマインドフルネスも、結局は自分なりの幸せを探すことですから、両者は似ているようにも見えます。しかし、Appleの方がよりメッセージの内容が具体的です。
例えば、かつてGoogleが、Google Nowというカレンダーの住所から移動経路の渋滞情報などを表示してくれる機能を開発したことがありました。そのとき、CEOのラリー・ページは、こんな内容の発言をしていたのを僕は記憶しています。
「俺はセルゲイ・ブリンと未来についてのバカ話をするのが大好きなんだ。だから、渋滞情報みたいなデータが自動で届けば、余計なことに気を巡らせずに馬鹿な話を少しでも長く続けられるじゃないか」
さっきはウクレレで、今度は親友とのバカ話というわけです。要はページからすれば、コンピュータが自動化してくれたからできる、人間らしい日常を専念しようという「ヒューマナイズ」という認識なのです。しかし、Appleは違います。ある意味ではお節介な話ですが、彼らにとってのコンピュータは人間を変える存在なのです。この装置を使えば、お前の中にある熱い血を探り出せるのだから、他人とは違うお前だけのポエムを引き出してこい、と言うのです。こういうメッセージは、特にiPad air以降、強く打ち出されるようになりました。
おそらく、本来はこれはジョブズの哲学だったのではないでしょうか。しかし、ジョブズ亡きあとのAppleにも、この考え方は引き継がれています。近日中に発売が予定されているApple WatchのPVでは、さらにこの哲学の探求が行われています。
Apple WatchのPVでは、冒頭で「make it accessible, relevant, and ultimately personal」という言葉が登場します。この腕時計によって、世界はあなたに接触可能なものになり、世界が自分事になっていき、故に世界がパーソナルな存在になるのだというわけです。もっと砕けた言い方でいえば、「この時計で世界中の情報がお前に紐づくから、もう世界はお前の一部になるんだし、お前らしくなるんだぜ」というわけです。
さらに、vitalという言葉も登場します。日本語に訳すと「生命力を持った」という形容詞になるでしょうか。直感的に使えるので、あたかもApple Watchが体の一部のようになるのだと主張しているのです。
特に重要なのが、PVの2分37秒の辺りからです。ここでAppleは「ニュアンスド・コミュニケーション」という言葉で、相手に自分の鼓動を送れる機能を紹介しています。つまり、身体の感覚データをそのまま差し出すことで、言語を用いないコミュニケーションが可能になると言っているのです。まさに時計がvitalな存在として、直感的に人々をつなぐのです。
Apple Watchで心拍数が取得できるという前情報は有名で、ヘルス領域への活用なども語られています。しかし、彼らがPVでこれほど独特な哲学を打ち出してきていることは、ほとんど知られていません。一般にAppleやGoogleに限らず、企業がつくるPVにはその会社の抱く思想が、鮮明に現れています。その会社を知りたいときにPVを見るのはとても重要です。
さて、このAppleのPVを見ると、僕はアメリカ人の「禅(ZEN)」のイメージを思い浮かべてしまいます。ジョブズが「ZEN」に傾倒していたのは有名で、米国のビジネスマンにもZENの愛好者は沢山います。しかし、彼らの考えるZENとは、「他人と違ってもいい。お前は強く生きられるんだ」とでも言うような、とても彼ら好みのメッセージを秘めた存在として捉えられている気がします。AppleのこのPVも、そんなアメリカ化されたZENの影響がどこか感じられます。
しかし、実は本来の禅は、わかりやすく生き方のメッセージを発するものではありません。それこそ、「考案」などはその問いかけを通じて、人間が曇りのない眼で周囲を見渡せるようになることに焦点を置いています。その意味で、実はGoogleの「マインドフルネス」や「HDリアリティ」は、本来の禅に近い方向性を目指すものです。かつては大変な内面の修業で到達した禅僧の境地に、外の世界をどんどん自動化して物理的に雑念を減らすことで、到達しようとしているのです。
■ Google vs. Appleの本当の戦いとはなにか
気がつけば、しばしば比較される両者の違いは「日本的な禅」を目指すGoogleと、「アメリカ的なZEN」を目指すAppleの差というふうに整理できてしまいました。ここまで理解できれば、GoogleとAppleのビジネス上の戦略も深いレベルでわかるはずです。
そもそも、ブラウザを推進するGoogleと、アプリを推進するAppleのどちらが優れた戦略なのかという議論などは、擬似問題を話しているに過ぎません。いまやウェブでもクライアントでも、大抵のアプリケーションの挙動に大きな変化はありません。また、「アプリは課金ビジネスなので儲かる」というのも、やはり留保がつきます。ロジカルに考えれば、ブラウザならばOSに依存しないわけで、一つ作るだけでWindows入りのPCだろうと、Androidだろうと、iPhoneだろうと同時に儲けられるわけで、むしろアプリより収益が高くてもいいくらいなのです。
これについては、真の問題はたった一つです。Appleが、再びGoogleのブラウザ戦略が強くならないように、徹底的に対策を練っているのです。彼らはブラウザが強くなり、ユーザーがOSの依存から抜け出ないように、あらゆる手段を講じています。
一般にはほぼ知られていませんが、Appleの統一された美しい世界観の裏側には、自分たちの美しい使い心地を保ち続けるための、特許をめぐる激しい攻防戦があります。ユーザーが身体的に気持ちよくなる挙動を作り出し、iPhoneなどのデバイスに病みつきにさせて、垂直統合モデルで稼ぐのがAppleの戦術だからです。例えば、Macbook のスリープLEDライトの点滅速度の変化は、人間が眠るときに心拍が遅くなるのと同じ速度になっています。だから、我々はMacbookをオフにするとき、我が子を眠らせるようないとおしさを感じます。
そして、彼らはそういうデザインなどを特許でガチガチに固めて、他の会社が使えないようにします。例えば、iPhoneがスライドで起動する挙動は特許が取られており、Androidなどでは一切使えません。このような最も直感的な基礎動作の表示方法でさえも、各社は工夫して別の方法を模索せざるをえなくなっています。
こういう戦術に対して、Googleはどう戦っているのでしょうか。少々うがった見方ではありますが、ベータ版でああいうふうにグラスを出すのは、Appleには不可能な戦法でしょう。やはり現状のグラスの技術は、Appleのブランドから出すにはまだまだ未熟だからです。しかし、一時撤退の決断をしたとはいえ、Googleはひとまずメガネ型デバイスの「純粋想起」を獲得しました。あとは今後の開発で、PVで示されたようなGoogleの思想を担うに足る機能のデバイスに到達できるかだけです。
率直に言って、こういう戦いはユーザーにとっては「ビジネスモデルの重力」の弊害そのものでもあります。しかし、これらが単に自社の市場価値を釣り上げたいがための戦略ではないのも、納得していただけると思います。
そもそもGoogleは、Google Playの囲い込みモデルがあれほど儲かり、Androidが世界のスマホOS市場の7割を占めている状況でも、なぜHTML5普及のチャンスを狙い続けるのでしょうか。それは広告モデルの収入を守りたいからというだけでは説明はつきません。やはり、「make it universally accessible and useful」が社是であるから、としか言いようがない部分があるのです。一方で、Appleも、そこは引くわけにはいきません。彼らは統一感にあふれる優れたデザインと挙動によって、人間のクリエイティビティを支援すると決めたのです。そのためには、囲い込みで莫大な売上を出して、開発費用を捻出しなければいけません。だから、みすみすOSの差異を、ブラウザで包み込ませるわけにはいかないのです。
「ブラウザvsアプリ」などと簡単に言われがちな戦いの背後には、自分たちの掲げる理想と存在意義をめぐっての、世界を代表する2つの企業の「哲学」の激突があるのです。
次回は、この両社と比較されることの多い、Facebookについて取り上げます。GoogleやAppleに比較すると「哲学」が見えづらい会社ですが、既存のプロダクトの方向性から、かなりその思想が特定できるように思います。バーチャルリアリティの推進のような、一見して不思議に見える戦略も、彼らのサービスの哲学から理解できるはずです。
(次回に続く)
※ なお、今回の記事には、編集者の稲葉ほたてさんとの書籍制作の合宿でのディスカッションが反映されています。その意味で、今回は稲葉ほたてさんとの合作とでも言うべき内容です。
今回の内容は、尾原さんの新刊『ザ・プラットフォーム』にも掲載されています。興味を持たれた方は上の画像をクリックするとすぐ購入できます。
▼執筆者プロフィール尾原和啓(おばら・かずひろ)1970年生。京都大学大学院工学研究科修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Googleなどの事業企画、投資、新規事業に従事。また、ボランティアで「TED」カンファレンスの日本オーディションにも携わる。米国西海岸カウンターカルチャー事情にも詳しい。2014年1月に初の著書『ITビジネスの原理』(NHK出版)を出版。