トルコで軍部によるクーデターが発生した。軍部も割れているという報道もあるが、少なくとも首都アンカラや最大の都市イスタンブールはクーデター勢力が制圧している印象だ。トルコが16日の朝を迎えれば詳細が次第に判明してくるだろう。
6月のイスタンブール・アタチュルク国際空港のテロでも明らかなように、国内の治安状況も著しく悪化するようになった。エルドアン政権の強権政治、またシリアなど近隣諸国との軋轢はトルコの安全保障にとって重大なマイナス・ファクターとなってきた。近隣諸国と明白な敵対関係になるのは自国民の安全を損なうものであることは間違いない。
2011年にシリアでアサド政権に対する民主化要求運動が発生すると、アサド政権の打倒を唱えるようなり、トルコからシリアの反アサドの武装集団に参加する人の流れも黙認してきた。シリアの混乱によってトルコ国内には250万人余りのシリア難民が流入し、隣国の不安定はトルコ国内のテロとともに、トルコを訪れる外国人観光客の数も減らすことになった。
トルコの場合、言論に対しても「テロ」という理由で恣意的な取り調べや拷問が行われてきたことが様々な国際的な人権団体によって指摘されている。シリアの反アサド武装勢力への支援、ニュース・メディアへの威嚇、ツイッターやユーチューブの遮断、イスタンブールの無秩序な発展、酒類の販売を制限することなどはエルドアン政権への反発を招いた。
若者の5分の1が失業しているとも見られるほど失業率も高く、一方物価は上昇し、市民からは「経済発展が実感できない」ほどの状態になった。
トルコで軍部によるクーデターが発生するのは1980年以来となる。トルコでは、内政が混乱により八方塞がりの状態に陥ると、60年、71年、80年に見られたように、脱イスラムという世俗主義の建前に忠実な軍隊がクーデターを起こし、すべての政党を解体するなど政治への介入を行い、ケマル・アタチュルクのイデオロギーを守ってきた。
しかし、こうした軍の政治への介入は冷戦時代だからこそ許容されたものであり、冷戦後のNATO拡大に際しても軍隊がシビリアン・コントロールに置かれていることがNATO加盟の条件になってきた。軍隊が政治を掌握し続ければ、トルコのEU加盟は遠のくばかりだが、アメリカの同盟国であるトルコでの政治変動は、そのシリア政策についても痛手であることは間違いない。
(宮田律氏のFacebookページより転載)