こんにちは。
がん患者さんの社会復帰を支援するNPO法人"5years"の大久保淳一です。
私は5yearsの他に「ミリオンズライフ」というウェブメディアも運営しています。
日本各地のがん経験者の方を取材して、がん闘病から社会復帰までの感動的な実話を紹介するサイトです。
これまで26名の方(2017年10月時点)の体験談を公開しております。
今回は、岩井ますみさん(大腸がん(下行結腸癌)、ステージ4)をご紹介いたします。
本編は第13話まである長編ですが、ここでは要約した短い内容にさせて頂きます。
詳しくは「ミリオンズライフ」をご確認ください。
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「がんが肝臓に転移しています」
担当医からそう言われた。
これまでいろいろあったけど、今までで一番ショックだった。講師を務めているカルチャースクールのクラスが既に始まっているのに、また仕事をキャンセルすることになる。
言葉にならなかった。
■ 便潜血・陽性+
会社勤めを辞めフリーランスとして独立した千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2007年当時43歳)は健康を意識して生活していた。
自分で企画し講師をつとめるため代わりの人がいない仕事ばかりだからだ。
2008年、44歳の年。
疲れていた岩井さんは、仕事へのモチベーションを維持するのが難しかった。
フリーランスとして独立して15年、ある意味やり遂げた感もあり目標を失っていた。
そんな頃に受けた例年の健康診断。
「便潜血・陽性+」
サンプル2つとも陽性だった。
■ 内視鏡検査室
大腸内視鏡検査のため、2008年11月下旬、大野中央病院を訪れる。
2時間かけ、下剤を飲み干し腸内を空っぽにしてから検査台の上で横になった。
そして検査開始。
すると内視鏡を操っている医師が「あっ...」という。
驚いた感じの声だった。
それからは医師も看護師も慌ただしく動き回り騒然としてくる。
「〇〇を持って来て!」、「ここをマーカーで...」、「いまからピンで留めるから」
さっきまで静かでゆっくりだった検査室が、大忙しに変わった。
■ 大腸がんの告知
2時間後...。
既に夕方を過ぎていた。
呼ばれて診察室に入ると担当医からこう言われる。
「たぶんお解りだと思いますが、良い状態ではありません。今日取った組織の検査結果が1週間後に出るので、また来てください。手術を受ける必要がありますが、どこの病院で受けたいか次回までに決めておいてください」
生検の結果はまだ出ていないが、明らかにがんを前提とした説明だった
会計を済ませ病院をでると外は真っ暗だった。
11月下旬の寒い夜。
駐車場にはポツンと1台だけ岩井さんの車があった。
それを見たら急に恐さと悲しさが沸き起こってきた。
「両親にどうやって伝えよう...」
それから...、1週間後、進行性の大腸がんと告げられた。
翌週、紹介先の順天堂大学医学部附属浦安病院を訪れた。
名前を呼ばれ診察室に入るとオールバックの髪型の男性医師が座っていた。
医師の説明によると、12月で年の瀬だが年内できる限り多くの検査を行い、腹腔鏡による手術は年明け(2009年)の1月中旬を目指すという。
クリスマスも、大晦日も、正月も何もない。寂しいものになる。
仕事の連絡はもっとつらかった。
いつ復帰できるか解らないからだ。
1月中旬の手術となると休んだ分を3月末迄に補講できるか解らない。
4月になると新年度のコースが始まってしまうから時間がない。
キャリアと仕事に真剣に向き合ってきた岩井さんはまるで不安の池につき落とされた感じだった。
■ 外科手術
2009年1月19日、順天堂大学医学部附属浦安病院
下行結腸の1/3を切除する手術が行われた。
約5時間のオペは家族が見守るなか無事終了し、2月10日に退院。
体調はまだ全然戻っていなかったが、日本色彩学会主催の『色彩教育用具』の学会発表の演壇に立った。
ふらふらだったが、どうしても今後の仕事のため、そして早く日常に戻るために参加した。
そして3月...。
2ヶ月分のカルチャースクールのクラスの補講を開始する。
それまでは何ともなかった90分立ち続けの講義は、病み上がりの身体には堪えた。
たまっていた依頼原稿の執筆もこなした。
休んでいる時間はないし悲観に暮れている暇はない。
一刻も早く軌道修正したいとがんばっていた。
■ 肝臓への転移告知
夏が終わり...、10月。
3ヶ月毎の経過観察で病院に行った。
この日、診察室に入ると担当医が渋い表情で座っている。
「腫瘍マーカーの値が高いから、転移があるかもしれないです。精密検査をしましょう」
その瞬間、ぞっとした...。
それからの岩井さんは再び検査だらけの毎日となる。
すでに10月からの新しい仕事が始まっているというのに...、重たい雰囲気になった。
そして1週間後、診察室で担当医からこう告げられる。
「(がんが)肝臓に転移しています。抗がん剤治療を始めましょう」
あまりの強い衝撃に言葉にならなかった。
「せっかく、もとの生活に戻したのに...。また仕事をキャンセルし断るのか。これじゃ二度と同じところには戻れなくなる」
がんにより生活を奪われ、手術後、一生懸命に生活を取り戻してきたが、再びがんで奪われてしまう...。
我慢をしていた涙がこぼれた。
今まで生きてきた中でこれほどの喪失感は無かった。
自宅に戻りがん転移のことを両親に明かした。
父親は「俺が代わってあげたいよ...」とまるで取り乱すかのようだった。
子を想う年老いた父親。
岩井さんは、自分はなんて親不孝な娘なんだ...と再び責めてしまう。
■ 長期間に及ぶ抗がん剤治療
2009年12月に始まったTS-1(抗がん剤)治療は、結局2010年の10月まで続いた。
検査の結果、肝臓にあるがんの位置を特定できたとして、2010年10月中旬、手術に踏み切る。
肝臓の一部を切除し腫瘍を取り除くオペは無事に終わった。
3週間後に退院したが、これから術後、抗がん剤治療が始まるという。
最初のがん発覚からすでに2年近くが経っていた。
長期間に及ぶ治療となってきたため、この頃は前向きな気持ちがぐっと落ちていた。
担当医によると、次は別の薬(エルプラット、ゼローダ)を使うゼロックス療法を始めるという。
岩井さんが仕事を再開して良いかどうか確認するとこう言われた。
「う~ん、この治療をしている間は(副作用が強いから)仕方がないね。仕事は難しいと思いますよ」
我慢比べのような抗がん剤治療の日々。
翌2011年8月まで続き、その後、ゼローダのみを服用する治療が2011年10月から開始。
翌年2012年5月まで続いた。
振り返り、これほど長期間に及ぶがん治療になるとは思いもしなかった。
2008年秋にがんの告知をうけてからすでに3年半の時が経っていた。
この間、精神的にストレスを感じうつ症状が出たこともある。
岩井さんは1日も早く元の生活を取り戻したくて体調が悪いなか仕事をこなしたときもあった。
■ 途方に暮れた
長期に及んだ術後抗がん剤治療を終えた時は、何とも言えぬ解放感を味わった。
薬が身体から抜けていくに従い肉体的なつらさは減り、再び日常が戻ってくる
「やっと仕事に戻れる...」そんな喜びがある一方で「でも、何をしたらいいの...」そんな気持ちだった。
勤め人ならその会社、元の職場と帰れる場所がある。
しかし岩井さんには帰属する組織もなく、すぐに与えられる役目もない。
仕事の基盤をすべて失ったようなものなのだ。
貯金は一時の半分以下。
途方に暮れた。
■ キャリアの再構築
岩井さんは、これまで積み上げてきたキャリアと向き合った。
振り返るとこの20年間、地元の市川市から東京に通い上り列車に乗る生活だった。
これほど長くこの街に住んでいるのに、地元のことを知らないし、知り合いもいない。
市川市の魅力に気づいていなかったのだ。
だから地元で出来るスクールとか教室講師の仕事を通じて愛着のあるこの街に貢献したいと思った。
フリーランスとして独立した1993年以降、色と香りの生活提案「イリデセンス(http://iridescence.jp/)」を行ってきたが、今その基盤を地元に据え「大人のおしゃれレッスン」という教室を開校。
その教室のテーマは、自分のような闘病中の人も介護中の人も月に1回だけでもいい、自分が輝く時間、自分のためだけの時間を持ってもらいたいというもの。
内容は大人のおしゃれレッスン(ビューティーカラーレッスン)とアロマテラピーの2本柱。
なんだろう...、いまの岩井さんには実にしっくりくるのだ。
一方がんを経験した者として、闘病中の自分に必要だった事と読みたかった情報を纏め、本として出版。
■ 新たなスタート
フリーランスの仕事量としては発病前の状況にはまだ程遠い。
どうしたいいのかと悩む自分もいる。
しかし、もう一度新たなスタートを切ったんだと心を整理すると、がん治療終了後は、すべてが前年の成果を上回る。
頑張れば頑張るだけ成果が出る。
精神的にたくましくなり、明らかに一段も二段も上の成長した自分に出会えている。
がん治療を終え4年、まだいろいろと大変だけど、いま、そして次を楽しみに積極的になっている。
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私は岩井さんの取材を通じて「人生は予定することができない」そんなことを感じました。
また一方、「焦らず、我慢強くやっていれば、必ず道は開ける」とも思いました。
健康にしても、仕事にしても、それまであったものを失うことはつらいことです。
しかし、希望を持ち続け、粘り強く取り組んでいると、それまでとは違った環境の中で新たな役割と幸せを得られるのだと思います。
岩井ますみさんの全記事(1~13話)と インタビュー記事はこちらです。
また、他の25名のがん経験者の方々のストーリー記事はこちらです。