先週は東京エレクトロンの買収に絡めて、日本の半導体政策は純血主義に走って大失敗した話についてつらつらと述べさせていただきましたが(http://usami-noriya.com/?p=1911)、今回は、では半導体分野では最近どんな技術政策が取られたのか、また取られ続けているのか、またこのままでよいのか、というお話です。結構重い話なので覚悟して書きました。
振り返ると私が半導体の担当となったのはリーマンショックの直後だったのですが、その頃から日本の半導体業界は凄い勢いで転げ落ちて行きました。それまで日本の半導体分野の技術政策は曲がりなりにも世界の最先端のプロセスを開発するという目標で進めてきて、つくばの産総研に、ぼちぼちでかいスーパークリーンルームを建てて国内メーカーを集めて共同研究を進めてきたのですが、国内メーカーが弱りきったことで研究成果をあげても肝心のその研究成果を使ってくれるメーカーがいなくなってしまいました。このスーパークリーンルームというのが本当に金食い虫で、確か私の記憶だと維持費だけで最低年間15億程度かかり、かつ数年に一度数億規模の改修費用がかかる上、中の装置は一台○億~○十億の設備だらけです。ま~半導体業界なら当たり前の話なんですけどね。
日本の半導体分野の技術政策は常にこの施設を遊休施設にするわけにはいかない、という事情で立案されます。もともとは2002年頃まだ日本の半導体産業に元気があった頃に経団連の強い要望で「日本の半導体産業の復活の拠点」となるべく建てられたものなのですが、その後旗振り役だったキャノンが露光装置でasmlに完敗を喫した辺りから、だんだんと使い道に困るようになり、「研究のために施設が必要」から「施設を埋めるために研究が必要」という理屈に刷り変わっていきます。
(ご参考①SCR創設当時のリリース:http://www.aist.go.jp/aist_j/topics/to2002/to20020617/to20020617.html)
(ご参考②半導体分野の技術開発の10年史:http://www.nedo.go.jp/content/100086793.pdf) ←こちら私が役人時代に作った資料です。懐かしい。
んでもってリーマンショック後には一部の技術(euvのマスクブランクス、レジストの評価技術の開発など)を除いて、「世界の企業がワザワザそこで高いメンテナンス費を払ってでもやりたい技術開発」というものがほとんどなくなってしまった。これはどうするのかなーと思っていたのですが、この頃に各電機メーカーが一斉に半導体事業部の分社化、リストラを始めました。その時に当然先端技術を開発する高度技術者も不要になったのですが(経営があんなでも日本の半導体業界には世界でも一流の技術者がたくさんいる)その人たちをただ辞めさせると韓国、台湾メーカーに一斉に技術が流れてしまうという悩みがあった。
そこで経産省と電機業界の利害が一致して、取り敢えず当座をしのぐためつくばのスーパークリーンルームで税金でそういった高度技術者に研究を続けてもらうことにしよう、という協定が組まれたわけです。そしてその伍助会みたいな団体が作られて、そこに電機メーカー(役所ではない)からの天下り理事などがきて、とトントンとモノゴトが進んでいきました。当然そんなことは表だって言えないので「企業の枠を超えてオープンなイノベーション拠点を作る」と表向きには説明していたのですが、当時の一担当としては、なんとも複雑な思いでその風景を見ておりました。こうして現在彼の地では一部を除き使い道の目途がたたないが、ただかなりレベルが高い先端技術の研究開発が行われているわけですが、これは一体何のために行われているのかというと、過去の電機業界と経産省、ひいてはそれを仕掛けた一部大物議員、の失敗を覆い隠して「まだ日本は負けていないんだ」と「ポーズを取る」ために行われているんですよね。当時ある外資系メーカーの研究所の幹部に「経産省がやっていることは責任隠しと見栄だ。うちはあなたたちとは距離を置く。」と言われて唇をかみしめたことを思い出します。
こうして(国内の)官民にとって玉虫色の状況が作られ決断は先送りされているわけですが、今この瞬間にもそこに〇十億円の税金が投入されているんですよね。技術開発っていうのは普通の人にはわからない話ですけど、これって結構ショッキングな話ですよね。こういう政治的な技術政策はもう誰かが負けを認めて、方針転換して辞めなければならないと思うんですよ。15億が運営に必要なら市場を通じてそれを調達すべきなんですよ。そこから官民ともにずっと逃げてきたから、日本の半導体業界はここに至ったんです。もちろんその責任の一端は間違いなく私にもあります。でも少なくとも私は私の担当する範囲では、サムスンもtsmcもintelも含めて、きちんとグローバルに民間からお金を集める仕組みを作りました。
これは当時でも日本が米欧に開発環境でも産業でも張り合える分野があったからこそ仕掛けられたことなのですが、他の分野で米欧に開発環境で負けたことを認めて「純血」と「最先端」という縛りを無くせばまだ戦略のたてようはあると思うんですよね。例えばタイやインドやベトナムやインドネシアは半導体技術が欲しくても、自国で確立できない。スーパークリーンルームをそういう国に技術移転をする場と位置付ければきっとそれなりのお金が集まるはずです。全体的には負け気味ですが、そうはいっても日本にはまだ世界有数の技術力はありますし、現にそこで研究が行われているわけですから。
大風呂敷ではなくて現実に根差したビジョンをもって、コロコロ担当を変えず粘り強く頭を下げて市場からお金を集める、そうしたあたりまえの泥臭さと役所も向き合わなきゃいけないんじゃないかと。そこから逃げて毎年数十億の予算を国内電機業界の勝手な理屈と政府の責任逃れのために使い続けることはこれ以上許されないですよ、やっぱり。もう国内の業界と省庁の事情でズブズブにモノゴトが決まる産業政策は終えて、世界と市場を見て主体的に未来を切り開いていかなきゃいけないと思うわけです。
そんなことしてたら日本人も日本から逃げ出しちゃいますからね。ていうかもう逃げ出し始めてる。だから今重要なのは、現実を直視して、敗戦の場から撤退して、大きな政策転換を決める力なんじゃないかと思ってこんな記事を書いた次第です。こういう内情は経産省内でも一部の人しか知らないわけで、書くかどうかは結構迷ったんですが、今働いている内部の官僚のためにも、研究者のためにも、メーカーのためにも、そして何よりも国民のためにも、もうこういうことは続けてはいけないと思うに至った次第です。ましてやルネサスに間接的に言えど1000億円以上の国費を突っ込むのなら、覚悟を決めて過去とは決別すべき何じゃないかと。
とはいえ今や私は所詮外野で、今の政策担当者が判断すべきことなんですけど、やっぱり元担当として世の中に言わねばならないことは言わねばと思った次第です。
ではでは今回はこの辺で。
(※この記事は、2013年9月30日の「うさみのりやのブログ 〜目指せ、団塊ジュニア世代の反逆児〜」から転載しました)