昨年11月付でも文科省の資料に「リカレント教育」のことが盛り込まれている。ざっくり言えば、少子化が進む日本において、就業者等の「学び直し」を奨励し、さらには社会人大学院生を増やすことが奨励されるということだ。
先日読んだ『発達障害は最強の武器である』(成毛眞著、SB出版)では、20世紀の100年の進歩が、2000年以降のたった15年くらいで生じており、さらに2015−2017年の変化が同じくらいである(だから、変化に強いADHD的な人材が輝く時代になる)、という意味のことが書かれていた。こちらの書評はまた追って書かせて頂くとして、これだけ変化の早い時代には、常に「学び直し」が必要であることは間違いない。昔得た知識は、あっという間に古くなるからだ。
所属する東北大学では、工学系の大学院がいち早く、その流れに沿った対応をしており、リカレント教育として講習料を取って講座受講を進めているようだが、医学系研究科でも以前より「社会人大学院生」を多数受け入れてきた。
大学というところは学びの場であり、老若男女、どのような方でも受け入れるべきだと思う。ただ、これまでの我が国の教育は「マス対応」が主体だったので、高等教育からの教育のダイバーシティに、まだまだ対応ができていない部分が多い。
制度を改革しようとすると、さらに教職員が疲弊する点はあるし、一定の年齢が多い現状の学生の構成から、多様な年齢、バックグラウンドの学習者を相手に教育すること自体、教員も慣れていない。必要に応じて講義動画コンテンツの利用やグループ学習等を取り込んでいくことが重要であろう。
一点ふと思ったこと。社会人大学院生が増えると、当然、最終学歴として「博士(医学)◯◯大学」などを持つ方がどんどん増えることになる。一見、これは学歴ロンダリング的になるのか?と思ったが、実は、「最終学歴」という肩書自体に意味がない、という方向に繋がっていくのだろうと予測する。
(2018年3月18日大隅典子の仙台通信より転載)