まるで近未来小説を読んでいるような錯覚を覚え、目をこすってみるようなニュースでした。それは、安倍首相周辺から、これまで連発されてきた「失言」「暴言」とは明確に違いました。8月5日、参議院平和安全法制特別委員会での安保法制の所管大臣の国会答弁です。中谷元防衛大臣は、「法文上は、核兵器の輸送も排除していない」と言い切りました。広島原爆から70年という節目の前日に、聞き逃すことは出来ない発言です。
核兵器も「弾薬」と解釈 安保法案「輸送排除せず」 条文に歯止めなし(東京新聞8月6日)
中谷氏もこれまでの特別委審議で、ミサイルや手りゅう弾、クラスター(集束)弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を「法律上排除しない」と説明してきたが、五日の特別委では核兵器も加えた。化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も「法律上は可能」と述べた。
同時に、中谷氏は他国の核兵器を輸送する可能性については「全く想定していない。あり得ない」とも強調した。日本が核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を堅持し、核拡散防止条約(NPT)にも加盟していることを根拠に挙げた。
この答弁ひとつで、「安保法制の廃案」が決定してもおかしくないレベルです。中谷大臣は法文上の解釈を正直に述べたにすぎません。「法文上は可能だが、やりませんよ。大丈夫です」と、時の政権の良識的な運用判断にまかせよと、説いているのです。海外での他国軍の兵站・後方支援活動の中で「法文上は核兵器も輸送出来る」という答弁は、国際社会で核兵器廃絶を求めてきた政府の信頼を失墜させるもので、伸縮自在の安保法制の問題点をよく表しています。
核兵器のみならず、クラスター爆弾、劣化ウラン弾、化学兵器も「法文上は輸送可能」だとしています。「実際にはありえない」のなら、「法文上、なぜ除外していないのか」と野党から追及を受けるのも当然のことです。法案の国会審議は、逐条にわたって法文を精査することに意義があります。
防衛大臣の答弁は、後に法律として成立した場合は運用の指針となる重みがあってしかるべきです。中谷大臣の答弁を心配そうに見ていた衆議院広島1区選出の岸田文雄外務大臣は、「知っていたか」と問われ、「今、承った」と答弁しています。
国会答弁がこうした蛇行を続けている一方、外では安保法制に関するタガが外れた発言が続きました。「法的安定性は関係ない」(磯崎陽介首相補佐官)の発言と認識は、磯崎氏が安保関連法案作成のキーマンだっただけに、首相をとりまく側近たちの本音を露呈させたといっていいと思います。また、自民党の36歳の武藤貴也衆議院議員が、国会前で抗議活動を続けている学生たちに対して「彼ら、彼女らの主張は、『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」と発言したことも、大きな波紋を呼びました。
2015年8月9日、長崎市で開催された平和式典で、田上富久市長は切々と「平和宣言」を読み上げ、参列していた安倍首相の進める政治のあり方にも強い懸念を示しました。
原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省のなかから生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。
http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html
田上市長は、日本国憲法の平和国家としての理念は、長崎にとって「永久不変」であるとした上で、後半では「安保法制」について言及します。
現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。
この場面で会場からの拍手が広がりました。「慎重で真摯な審議」を行なうのであれば、「今国会での成立断念」の決断が不可避です。安保法制に関する警戒感、不信感は国民に大きく広がっています。低下してきた安倍内閣の支持率も、8月に入りさらに下降しました。「安倍内閣の支持率は7月の前回調査から3ポイント減の32%、不支持率は同2ポイント減の49%」(8月11日毎日新聞) となっており、男性の支持率は40%あるものの、女性の支持率はすでに26%まで低下しています。
そこへ「川内原発の再稼働」がやってきました。「8月9日長崎平和祈念式典」の翌10日に九州電力が正式に発表し、11午前に再稼働させました。どの世論調査でも、「再稼働」を急ぐべきではないという声が大多数です。先の毎日新聞の世論調査でも、再稼働に「賛成30%」を「反対57%」が上まわりました。
下り坂を転がり出す時はゆっくりでも、次第に「内閣不支持」の勢いは強くなり、速度は早まります。「新国立競技場のゼロベースの見直し」も、混乱の原因ともなった日本スポーツ振興センター(JSC)のずさんな仕事ぶりと62億円が回収不能になっていることや、164億円かけて新社屋が建設されていることが明らかになり、支持率低下の歯止めになっていません。
沖縄県が全面的に中止を求めている辺野古新基地建設も、「政府の立場は変わらない」としながら1カ月の「休戦」を政府側が発表しています。
「戦後70年・安倍首相談話」は、二転三転して「侵略・植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」も盛り込んで閣議決定すると伝えられています。2週間前に、「戦後70年」について、私は次のように記しました。
「戦後70年」は栄誉ある歴史です。1945年8月15日の敗戦以後、警察予備隊から自衛隊がつくられたものの、ただの1回も他国と銃火を交えて「殺し」「殺される」ことがなかったという事実があるからこそ、私たちは「戦後」という言葉を堂々と使うことが出来ます。ただし、ことによると、今回の安保関連法制によって「戦後」が終わることもありえます。となれば、現在は新たな「戦前」の序曲ということになります。
https://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/abe-comment_b_7885626.html
もし、「安倍談話」が「村山談話」「小泉談話」と寸分違わないものであるなら、新たに「閣議決定」する意味はありません。しかし、これまで「70年談話」にこだわってきた安倍首相の本音はどこにあるのでしょうか。「戦後レジームから脱却」を掲げて、これまで重ねてきた発言と政治姿勢から読み解くと、安倍首相がこだわる「未来志向」にアジア各国の共感や理解が広がるか否かは、はなはだ心もとない限りです。
70年目の8月15日を前に、手応えのある本を読みました。「日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という未知を歩んだのか」(孫崎亨・祥伝社)は、展望なき日米開戦になだれこむ歴史的過程を詳細に検証し、「日米開戦へと進む過程で、おかしいという考えを持っていた人は軍部にも、外務省にも、政治家にも、新聞社にも、ほぼ日本のあらゆる分野に存続しました。それが圧力を請け、発言できない社会になっていきました。これが「真珠湾への道」の最大の要因です」(498ページ)と総括する著者は、日本の現在に引きつけて過去からの教訓をくもうとしています。
私たちにとっての「戦後70年」が、新たな平和構築への再出発となるように「発言すべきことを発言する」(前掲書・孫崎亨氏)ことを怠らず、新たに若い世代や幅広い人たちの関心を集めている「日本国憲法の平和主義」を取り戻したいと思います。