『1984年』(ジョージ・オーウェル)を読んだのは、20歳前後で1970年代半ばでした。1948年に発表された『1984年』は、当時でも近未来小説として十分に読みごたえがあり、40年の歳月を経た今も鮮烈な印象を残しています。オーウェルが『1984年』を書いてから67年後の今、政治や永田町をさして、たびたび本書が例示されていることに気づきました。
安全保障法制の関連11法案が国会に提出された。政府は「平和安全法制」と呼ぶという。野党議員が「戦争法案」と呼び、自民党が反発した法案だ。同じ法案を「平和」と「戦争」という正反対の言葉で呼び合う事態に、未来小説「1984年」を思い出した。
英国の作家、ジョージ・オーウェルが全体主義国家の様相を描き、49年に刊行された。そこでは国家が「戦争は平和である」「自由は屈従である」等のスローガンを掲げている。(朝日新聞「声」欄 2015年5月22日)
『1984年』の主人公ウィストン・スミスは、真理省記録局に勤務して日々、歴史改竄の仕事を担当しています。作品の中で、心胆を寒からしめる超管理社会の手法がいくつも示される中で、ニュースピーク(Newspeak)と呼ばれる言語の簡略化が際立っています。英語から政治・社会的な問題意識を表現できる言葉を消し、簡略化することで、思考の単純化を促し、思想犯罪を予防するというものです。
先の「声」欄で紹介されていた野党議員が「戦争法案」と呼んだのは、安全保障法制11法案のことです。4月1日、参議院予算委員会での福島瑞穂議員によるものです。自民党側は、その発言と呼称は「不適切」として議事録の修正を求めていましたが、これに対しての反響も大きく自民党は断念しています。
参院予算委員会の岸宏一委員長(自民)は28日、新たな安全保障法案を「戦争法案」と批判した社民党の福島瑞穂副党首に対し、自民党が発言の修正を求めていた問題で、福島氏の発言をそのまま会議録に記録すると決めて各党に伝えた。
5月14日、安倍内閣は集団的自衛権の行使を可能とする安保関連法制を閣議決定しました。その際に、「戦争法案」とも批判を受けたことを意識して、「平和安全法制」と呼んでいます。閣議決定後の記者会見で、安倍首相はこう述べています。
それでもなお、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか。漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。その不安をお持ちの方にここではっきりと申し上げます。そのようなことは絶対にあり得ません。新たな日米合意の中にもはっきりと書き込んでいます。日本が武力を行使するのは日本国民を守るため。これは日本とアメリカの共通認識であります。
もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます。
ですから、戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤りであります。あくまで日本人の命と平和な暮らしを守るため、そのためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の法案です。
安倍首相が「戦争法案」ではなく、「平和法案」(平和安全法制)なのだと言わんとする主張は、わからなくもないと感じます。ただ、言論の府である国会で、野党が重要政策を批判するのは当然であり、政治の場の武器は「言葉」のみしかありません。国会の場の発言を「不穏当」「不適切」として会議録から削除してしまったり、「戦争法案」を「戦争関連法案」に修正して語感をやわらげるなどの行為が、多数派の力でなされたとすればどうでしょう。
権力者は、その権力を手中にしていることを自覚し、「権力の乱用」を戒める謙虚さが必要です。首相は、その発言や意見表明にあたって「謙抑的」であることが必要です。「言論の自由」は批判者の発言にこそ認めるべきです。「戦争法案などという無責任なレッテル貼りは全くの誤り」と一刀両断することで議論を封じてはならず、どのように「平和法案」なのかを丁寧に説明する義務を負います。しかも、多くの国民の意識は、理解より危惧が広がっているとも言えるのではないでしょうか。
日本経済新聞社とテレビ東京による22~24日の世論調査で、集団的自衛権の行使を可能にする関連法案の今国会成立に「賛成」が25%と4月の前回調査から4ポイント低下し、「反対」が55%と3ポイント上昇した。政府・与党は今国会での法案成立を目指すが、慎重論の強さが改めて浮き彫りになった。(日本経済新聞2015年5月25日)
内閣支持率は50%を維持するものの、安倍首相が願う「今国会成立」を支持する人々はその半数になります。先の世論調査の解説記事は、さらにこう記しています。
法案に関する政府の説明は「不十分だ」が80%にのぼり、「十分だ」は8%に止まった。不十分との声は、内閣支持層、自民党支持層のいずれも73%に達した。内閣不支持層では93%、無党派層では79%と答えた。十分という回答は内閣支持層で15%、自民支持層でも14%にすぎない。
首相は安保法案が成立しても、「日本が米国の戦争に巻き込まれることは絶対あり得ない」と述べている。この発言に「納得しない」が73%で、「納得する」は15%に止まった。(日本経済新聞2015年5月25日)
本来なら11法案はそれぞれ重く、いくつもの国会の会期をまたいで、慎重に審議するべきものです。それを一括して1カ月足らずで衆議院の通過をさせようという方針に多くの国民が危うさを感じているのだと思います。国会のメカニズムには、独特のものがあります。議長の下に議院運営委員会というオフィシャルの機関がありますが、やや形式化している面があり、実質的な国会運営においては各党とも国会対策委員会を司令塔にしています。「国対政治」と呼ばれるのは、このためです。国対は、本会議や各委員会の段取りを決めて、法案審議の順序も決定していきます。
「安保 審議方法から対決」日本経済新聞(2015年5月23日)には、26日の審議入りを前に「安全保障関連法案」の扱いを自民・民主の国会対策委員長にインタビューしています。この記事の佐藤勉自民党国対委員長の発言に注目しました。
――政高党低で自民党の議論が見えない。
それは皆さんが作っているイメージ。安保法制は党内で10数年議論している。簡単な議論でここまで来たと思ってほしくない。一方、国対は党が通した法案を成立させるのが仕事だ。国対メンバーには法案の内容なんて知らなくていいと言っている。通すことに突き進めばいい。
――審議を尽くせば強行採決もあるか。
状況次第だ。こっちも努力はする。首相や党役員の話も聞く。大島理森議長の判断がポイントだ。議長がだめというならやらない。
大島理森衆議院議長は、国対委員長を二度つとめ歴代最長在任記録を持つ国対族のドンのような存在です。いよいよ審議入りする「安保法制11法案」の「強行採決」も状況次第とする自民党国対にも、大きな影響力があるようです。
新たに維新の党の代表に就任した維新の党の松野頼久代表も、5月20日の党首討論で「8月までの国会の中で、衆参で安保法制を通してしまおうと聞こえるが、よもやそんなことはないと思う。国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を送る法案でも、3国会、先人たちはかけた。国会をまたぐ覚悟で」と安倍首相に呼びかけています。
また インタビュー記事でも、「審議不十分のままの採決ならば、われわれは採決に加わらない」「戦闘地域で自衛隊員の血が流れる恐れを秘めている法案だ国会議員は後世に恥じない行動を取るべき」(「安保法案 徹底審議を 維新・松野代表に聞く」東京新聞6月26日)
戦後70年の夏が近づいています。戦争を終えて平和な時代が続いていますが、これからの日本で「戦後」が継続するかどうか、いよいよ27日から戦後最重量の法案審議が始まろうとしています。