安倍内閣の支持率低下が止まりません。報道各社の調査で、いずれも「不支持率」が「支持率」を上回る数値になりました。安倍首相や与党幹部からは「国民の理解が必ずしも進んでいない」という言葉がつぶやかれますが、マンガやアニメ、模型などを使った例え話の連発が効果を生んでいないのはなぜでしょうか。むしろ、安全保障関連法制への「国民の理解が進んだ」と見るべきです。直近の調査にも、その傾向が表れています。
日本経済新聞社とテレビ東京による24〜26日の世論調査で、内閣支持率は6月の前回調査から9ポイント低下の38%、不支持率は10ポイント上昇の50%だった。2012年12月発足の現在の安倍政権で初めて逆転した。支持率が4割を割るのも不支持率が50%になるのも初めて。集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案の今国会成立に「賛成」は26%で「反対」の57%を大きく下回った。(2015年7月27日 日本経済新聞)
この調査で、内閣支持層に絞ると「安全保障関連法案の今国会成立」に「賛成」は55%、「反対」が28%、自民党支持層でも「賛成」は46%、「反対」は36%と割れています。安倍内閣を支持すると回答している人たちの中にも、安保関連法案に疑問を持っている人が相当いることが、内閣支持率38%と、「賛成」26%の落差になって表れているものと読み込めます。
「安保関連法案に対する説明」は「不十分」(81%)と高止まりしています。安倍総理自身がテレビ出演して、法案を「火事」に例えて熱弁をふるったことも、プラスになっていません。本来、「攻撃と応戦で見なければいけない戦争と火事は本質的に違う」のは歴然としていて、あまりに稚拙な例え話に、うなずく人より危惧を感じた人の方が多かったのではないでしょうか。
注目出来るのは、「新国立競技場の見直し」を「評価する」が72%でありながら、支持率低下の歯止めになっていないことや、8月にも準備されている「原発再稼働」は依然として、「進めるべきでない」が56%と「進めるべき」31%を大きく上まわっていることです。
すでに、「戦後70年の夏」がやってきています。先週のコラムに私は次のように書きました。
過去の戦争を振り返り、すべての戦争犠牲者を追悼する祈りの夏に、集団的自衛権行使を可能とし、他国での戦闘行動を想定する「違憲立法」をすみやかに通過させるわけにはいきません。私たちは70年続いてきた「戦後」と、これから始まりかねない「新たな戦前」の狭間に立っています。 「新国立競技場を転換出来るなら、安保法制も見直すべき」(「太陽のまちから」2015年7月21日)
安保関連法制の参議院審議が始まりました。カレンダーは、「8月6日・原爆の日(広島)」「8月9日・原爆の日(長崎)」、そして「8月15日」へと続きます。静かな「鎮魂と祈りの夏」に、例年と違う「武力行使」「後方支援」「先制攻撃」「自衛隊員のリスク」等、新たな「戦争」について国会論戦が続いていることを見逃すわけにはいきません。
そのさなかに「戦後70年安倍首相談話」が準備されています。閣議決定を経ることのない「談話」と位置づけられたものの、歴史認識がそのまま問われることになります。「植民地支配や侵略」「反省やお詫び」等の表現をどうするか、文面はいかに作成されるかに注目が集まりますが、その根幹にあるのは安倍首相の「歴史認識」に他なりません。これまでの発言で、安倍首相は「村山談話」「小泉談話」の立場は継承すると言いながら、「同一の表現」にはこだわらないとしています。
「村山談話」と、これを骨格で継承した「小泉談話」を「同一の表現」で継承するだけなら、「安倍談話」を閣議決定すればいいだけの話です。「同一の表現」は取らずに過去の「談話」を全体として継承すると言っても、どんな「オリジナルな表現」が出てくるのか。「村山談話」は20年前の8月15日に次のような表現をとっています。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。(村山総理大臣談話)
また、10年前の「小泉談話」でも、文章は違っても、歴史認識をめぐる骨格や表現は引き継いでいます。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。(小泉総理大臣談話)
8月、安倍首相はどのような歴史認識を示すのでしょうか。もちろん、「同一の表現」を使用せずに、過去の「談話」と軌を一にする内容の談話を示すことは、技術的には可能です。しかし、「戦後レジームからの脱却」を信条とする安倍首相が、過去の「談話」の内容を大きく塗りかえるようになった時、その影響は甚大なものとなります。
「戦後70年」は栄誉ある歴史です。1945年8月15日の敗戦以後、警察予備隊から自衛隊がつくられたものの、ただの1回も他国と銃火を交えて「殺し」「殺される」ことがなかったという事実があるからこそ、私たちは「戦後」という言葉を堂々と使うことが出来ます。ただし、ことによると、今回の安保関連法制によって「戦後」が終わることもありえます。となれば、現在は新たな「戦前」の序曲ということになります。
日本がアメリカのベトナム戦争にも、イラク戦争にも参戦するという選択をしなかったのは、安倍首相が変えたいと願っている「憲法9条」があったからこそです。
ところが昨年7月1日、安倍内閣は「専守防衛」の枠を超えて、集団的自衛権を行使することも可能であるという「閣議決定」を行ないました。事前に法制局長官人事に介入して、「憲法上、集団的自衛権は行使できない」としてきた歴代内閣と法制局長官の見解を「行使できる」と正反対の解釈変更をするためです。私は、この閣議決定の直後に次のように書きました。
戦争放棄をうたい、海外での武力行使を禁じてきた憲法に背反するのは明らかです。また、一内閣の閣議決定で憲法解釈を180度転換するのは最高規範である憲法の否定であり、蹂躙(じゅうりん)に他ならないと思います。改憲を是とする論客の中からも、立憲主義の点から容認しえないとの声があがっています。(『日本の重大な分岐点 「解釈」の果てに』2015年7月1日 「太陽のまちから」)
5月から衆議院で審議が始まった「安保関連法制」は、戦後で最も重い法案です。7月半ばに、安倍首相自身が「国民の理解は広がっていない」と言いながら衆議院採決を強行しました。始まったばかりの参議院では、「憲法違反」の指摘に対する徹底的な議論を期待したいと思います。
さらに、8月上旬に「戦後70年安倍談話」と「川内原発再稼働」を同時に行うのではないかという観測が流れています。「新国立劇場」以外は、どんなに国民の反対が強くても異論と危惧を排除して突き進む原発再稼働に、安倍首相の歴史認識にもとづく「安倍談話」の発表、そして「鎮魂の夏」を切り裂いて進む「安保関連法制」の審議、まさに「安倍政治の総決算」とも言うべき政治状況が迫っています。