今年は、特に、7月以降の後半に、企業不祥事がマスコミに大々的に取り上げられ、社会問題化する事例が相次いだ。
7月4日、カネボウ化粧品が、美白成分ロドデノールを含む化粧品の自主回収を発表し、それ以降、「白斑被害」がマスコミで大きく取り上げられ、大きな社会問題に発展した。8月には、JR北海道が、レール幅が基準値外となっているのを放置していた問題を始め、様々な問題が明らかになって、厳しい批判を受けた。
9月下旬には、みずほ銀行が「暴力団員向け融資」の問題で金融庁から業務改善命令を受け、そのタイミングが、ちょうど、メガバンクの幹部の不正に「倍返し」と言って立ち向かう銀行マンを描いたドラマ「半沢直樹」が空前の高視聴率を記録して終了した直後だったこともあって、批判が一気に過熱し、反社対策の問題は、金融業界全体を巻き込む問題に発展した。
そして、10月下旬には、阪急阪神ホテルズの「食材偽装」問題が表面化、社長が辞任してもなお批判は収まらず、ホテル・レストランのみならず百貨店業界をも巻き込む社会問題に発展した。
東日本大震災が発生した2011年の九州電力「やらせメール」問題、オリンパス問題以降、企業不祥事が大きな社会問題にはならない状況が続いていたが、それが一変し、今年は「巨大不祥事」が相次いだ年と言ってよいだろう。
今月12日に公刊した拙著【なぜ企業は危機対応に失敗するのか~相次ぐ「巨大不祥事」の核心】では、今年後半に表面化したカネボウ化粧品・みずほ銀行・阪急阪神ホテルズの3つの不祥事を取り上げ、企業の危機対応の失敗によって、世の中に重大な誤解が生じ、それを解消するための企業の対応が更なる不信を生むという、「誤解」と「不信」の連鎖によって、業界全体や社会全体にも重大な影響を及ぼす「巨大不祥事」に発展していく構図について、詳しく述べている。
このように不祥事が「巨大化」した事例に共通するのは、マスコミによる「問題の単純化」である。
マスコミは、複雑で微妙な問題を単純化し、「新聞やニュースの見出しにしやすい表現」に当てはめて伝える。単純でわかりやすい話でないと、読者・視聴者に理解されず、受け入れられないからだ。それに、企業の経営トップが沈痛な面持ちで深々と頭を下げる謝罪会見の映像が加わる。この映像の効果は大きく、「頭を下げているのだから、悪いことをしたのだ」という印象が強烈に刻み込まれる。謝罪会見映像と単純化された事実によって、結果的に、「わかりやすい不祥事像」が作り出されて報じられることになる。
本来、企業という組織体の活動に伴って起きる不祥事は決して単純なものではない。その背景には様々な構造があり、その評価・判断も微妙なものが大部分である。それが、わかりやすく単純化されることによって、不祥事の実態についての大きな誤解が生じることになる。もともと単純ではない問題が単純化されることで、不祥事は「巨大化」していくのである。
拙著で取り上げた3つの不祥事の中身も、その評価も決して単純なものではない。
カネボウ化粧品の問題では、今でも、美白成分ロドデノールと「白斑様症状」との因果関係は全く明らかになっていない。原因不明の白斑症状を呈する病気は化粧品に関係なく以前から相当数発生していた。また、他社の美白化粧品にも同様の問題があるのか否かも全く明らかになっていない。この問題の評価・判断は、本来は非常に微妙なのである。
しかし、繰り返しテレビに映し出される謝罪会見の映像と、白斑被害者の白斑部分を映し出した「顔無し映像」によって、美白成分ロドデノールを含有するカネボウ製品だけが問題であって、それによって膨大な白斑被害を発生させたかのように問題が単純化された。
みずほ銀行の問題は、銀行は融資先との接点は全くなく、提携先のオリコが審査をして融資した自動車ローン等の小口のローンの資金の供給元になっただけであり、かつて企業と暴力団との関係で問題にされた「不当要求の拒絶」の問題ではない。「一切の関係の途絶」によって反社会的勢力を社会から排除することが求められる最近の情勢の中で、組織としての対応が若干遅れたという問題だった。ところが、それが、「暴力団向け融資を知りながら、二年間放置した」などと単純化して報じられた。
しかも、金融庁が業務改善命令で指摘した「情報が担当役員止まりだった」というのは、事実誤認で、実際には、取締役会、コンプライアンス委員会に報告されていた。その事実誤認が、みずほ銀行側の責任なのか、検査を行った金融庁側の問題なのかも微妙な問題だったはずだが、みずほ銀行側の隠ぺいの疑いと、金融庁とメガバンクの癒着・馴れ合いの疑いに単純化された。
阪急阪神ホテルズの問題は、食材とメニュー表示の不一致の程度は殆どが軽微なもので、しかも、大部分がホテル内の格安レストランや宴会でのビュッフェ形式の料理の提供の問題であり、メニュー表示によって消費者に誤認を与えた程度は極めて低かったのに、それが「高級ホテルの高級レストラン」での「食材偽装」であり、利用者を欺く許しがたい行為として単純化された。
問題が「単純化」されることによって、企業に対して、本来受ける必要のない批判や非難の矛先が向けられることになるのである。
もう一つ企業不祥事の「巨大化」にとって大きな転換点となるのが、「社長辞任」又は「辞任表明」である。
一般的には、経営トップの社長が引責辞任するというのは、不祥事に対してケジメをつけ、最終的に事態を収拾するための有効な方法である。しかし、一方で、「社長辞任」は、経営トップが引責辞任すべき重大な不祥事であることを会社自身が認めることになり、重大な問題だとして不祥事を追及するマスコミ側を勢いづかせることにもなりうる。過去の「巨大不祥事」では、辞任表明後も、批判・非難が収まらないどころか、逆に、一層激しくなり、企業にとって危機が拡大した事例も少なくない。
2000年の雪印乳業の集団食中毒事件で、石川哲郎社長が、記者会見直後に「私は寝ていないんだ」と発言してマスコミの激しい批判を招き、6日後に「辞任表明」を行ったが、その後も、同社への批判・非難はさらに拡大した。
2007年の不二家消費期限切れ原料使用問題でも、藤井林太郎社長が、問題表面化の4日後に「辞任表明」を行ったが、それを機に、不二家に対するマスコミのバッシングが一層拡大していった。
前記拙著で取り上げた2013年の三大不祥事の中では、阪急阪神ホテルズの「食材偽装」問題が、まさに「社長辞任」によって、事態が収拾できず、企業への批判・非難がさらに拡大していった事例である。
出崎弘社長は、問題が表面化してわずか6日後に阪急阪神ホテルズの社長辞任と、親会社の阪急阪神ホールディングス取締役の辞任を併せて表明したが、その記者会見でも、マスコミから徹底的に批判され、会見映像が、テレビのワイドショー等で繰り返し映された。巷では、阪急阪神ホテルズの問題が話題になる度、「あの社長の謝罪の態度が悪い」「言い方が悪い」などとこき下ろされ、「顔つきが悪い」などという声まで聞かれた。出崎社長は「食材偽装」問題の最大の「悪役」にされてしまった。
辞任会見でマスコミの反発を招いたのは、「今回の問題は『偽装』ではなく、従業員の知識不足や現場の連携不足があり、誤表示を認識していなかった」という言葉だった。
この説明は、「食材とメニュー表示の不一致」に関する極めて正確な説明である。しかし、その「正確な説明」が、問題を沈静化させるどころか、マスコミの反発を招くことになったのはなぜか。
辞任会見での出崎社長の発言は、不祥事の中身に対する「正確な説明」ではあったが、「高級ホテルの高級レストランでの『食材偽装』」として単純化された問題が広まる流れに逆らうことになってしまった。結局、出崎社長の「偽装」否定発言は、「真摯な反省の態度が見えない」という批判の根拠とされ、危機は一層拡大していったのである。
この際の出崎社長の「正確な説明」が逆に混乱を拡大させることになった最大の原因は、会社側が、当初から、追及のキーワードとなることが必至の「偽装」という言葉について、定義が曖昧なまま、事実公表、記者会見に臨み、「偽装」の意味について会社側とマスコミの認識が食い違ったまま、「偽装」であるか否かについて応酬を繰り返したことにある。
マスコミ側は、食材とメニュー表示との間に何らかの「相違」があり、その違いを「認識」した上で食材を使用した料理を提供していればそれだけで「食材偽装」に当たるという前提で、阪急阪神ホテルズの問題は「偽装」だと決めつけ、追及した。
しかし、一般的な「偽装」という言葉の意味は、そうではない。食材とメニュー表示との違いにも様々なレベルがある。それをすべて厳密に一致させることは困難である。その違いが、許される範囲を超えていることを認識しつつ、食材を提供すること、それによって不正の利益を得ようとする行為を「偽装」と呼ぶのが一般的ではないだろうか。阪急阪神ホテルズ側の「偽装」の定義は、そのような一般的認識に近い。食材とメニュー表示の違いを認識していても、「その程度の食材と表示の相違は許される」と考えて提供していた場合は偽装ではないというのが、会社側の見解だった
許されないことを認識した上で、敢えてやっていたとすると、その動機は、不正な利益を得ることしかあり得ない。不正な利益を得る目的ではなかったことは、今回の阪急阪神ホテルズの担当者すべてが強く否定しており、この問題に関する会社側関係者の言い分の核心だったのであろう。
しかし、そのような前提での「偽装」の否定は、食材とメニュー表示の「相違」とその点の「認識」があれば「偽装」だとして問題を単純化するマスコミ側には受け入れられず、「不合理な言い訳をしている」「真摯な反省がない」とされたのである。
「偽装」という言葉の意味するところが、問題を説明する会社側と追及するマスコミ側とで食い違っていたことが、事実公表当初からの記者会見の混乱の最大の原因だったといえる。
辞任会見でも「偽装ではなくメニューの誤表示である」と言い続けた出崎社長に対しては、「最初にあっさり『偽装』を認めてしまえば、あれほどの騒ぎにはならなかった」という声もある。「食材偽装」を最後まで否定し、社長の地位を失った後も「悪役」とされるような発言をしてまで、彼が守ろうとしたのは、従業員の名誉だったのではないか。
「不正な利益を得ようとする意図はなかった」「そういう意味での偽装ではない」という点は、ホテル、レストランの担当者の従業員達にとって、どうしても譲れない「言い分」の核心だった。出崎社長にとって、今回の問題に関わった多くの社員・従業員の名誉を守るためにも、絶対に譲れない線だったのであろう。
90年代末、山一證券の野澤社長が、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くないんです!」と言って絶叫した同社の廃業の際の記者会見は、経営トップが率先して行った誠意ある謝罪として伝説に残る会見だとされている
「従業員を守りたい」という思いに関しては、出崎社長も、変わるところはなかったと思われる。社長を辞任、親会社の取締役まで辞任すること表明をしているのに、なおも「偽装」を否定することが出崎社長個人にとってプラスになるわけではないからだ。
しかし、感情を露わにして、涙ながらに社員に対する応援を求めた野澤社長とは異なり、終始冷静な態度で説明をしようとした出崎社長は、世の中から冷ややかな目で見られ、「食材偽装」問題の最大の悪役にされた。
危機対応に失敗し、不祥事を「巨大化」させてしまったことについての出崎社長の経営トップとしての責任は大きい。しかし、彼が最後まで「偽装」を否定し続けたことは、経営者の姿勢として理解できる。
重要なことは、組織としての危機対応のレベルを高めることで、マスコミによる「問題の単純化」を防ぎ、不祥事を「巨大化」させないようにすることなのである。
(この記事は、2013年12月17日の「郷原信郎が斬る」より転載しました)