はじめに
日本は、「車は左、人は右」と言われて、何となく「歩行者は右側通行」するものだという意識が根付いている。私自身もつい最近改めて感じたのだが、「歩行者は右側通行」の意味するところが、必ずしも十分に理解できていない。そこで、「歩行者は右側通行」のルールについて考えてみた。
道路交通法の規定
「歩行者は右側通行」のルールは、道路交通法に基づいており、その第10条第1項には、以下の通り規定されている。
「歩行者は、歩道又は歩行者の通行に十分な幅員を有する路側帯(次項及び次条において「歩道等」という)と車道の区別のない道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない。ただし、道路の右側端を通行することが危険であるときその他やむを得ないときは、道路の左側端に寄って通行することができる。」
従って、これはあくまでも「歩道等と車道の区別の無い道路」において適用されるルールであり、歩道及び十分な幅を有する路側帯等では適用されない。
法律上は、歩道及び路側帯上の歩く位置についての規定は存在しない。このため、歩道及び路側帯を歩く場合には、一般的な交通マナー等に従うことになる。この場合、「対面交通」の考え方に基づいて、歩く位置を決定するのが望ましい、と思われる。
対面交通のルール
「対面交通」とは、自動車と歩行者が対面して通行することを指すが、これにより、自動車と歩行者が相互を認識しながら通行することができる。自動車が普及している社会においては、広く一般的になっている。
具体的には、「自動車は左側通行」ということになっているが、このルールについては、道路交通法第17条第4項に、以下のように規定されている。
「車両は、道路(歩道等と車道の区別のある道路においては、車道。以下第九節の二までにおいて同じ。)の中央(軌道が道路の側端に寄って設けられている場合においては当該道路の軌道敷を除いた部分の中央とし、道路標識等による中央線が設けられているときはその中央線の設けられた道路の部分を中央とする。以下同じ。)から左の部分(以下「左側部分」という。)を通行しなければならない。」
現在の歩行者の通行ルールは、この自動車の左側通行に対面する形で右側通行となっている。
この「対面交通」のルールの考え方の趣旨に則れば、例えば、両側通行の車道の左側の歩道を歩いている場合には、歩道の左側を歩くことが適当ということになる、と思われる。
これにより、自動車に対向する歩行者が車道に近い側を通行することになり、例えば対向車が暴走等して、歩道に乗り上げてくるようなケースでも、それを事前に確認しやすい状況に置かれることになる。同じ理屈で、車道の右側を歩いている場合には、歩道の左側を歩くことが適当ということになる。
また、一方通行の車道の歩道等(含む路側帯)を歩いている場合には、車の進行方向の左側の歩道を歩く場合には、左側通行となるが、右側の歩道を歩く場合には、右側通行ということになる。
その他にもいろいろなケースが考えられるが、あくまでも、車の進行方向を中心に考えて、それと対面交通することが望ましいということになるものと思われる。
ただし、こうしたルールや考え方に法的拘束力があるわけではないので、状況に応じて、臨機応変に対応することが求められることになる。
何故、歩行者は右側通行なのか-元々は、人も車も左側通行だった
そもそも、日本も、「以前は、歩行者も自動車と同じく左側通行だった」と言われている。
歩行者が左側通行であった理由については、諸説あるが、例えば、
①江戸時代に、武士が左の腰に刀を差していたため、刀の鞘同士が触れ合うのを避けるため(*1)、
②そもそも、心臓が左側にある(実際は中央にあるというのが正しく、「左心室から押し出される血液が体全体に回る」ことから、左が強く動いているので、左にある、と一般的に認識されている)ので、人間の意識の上で、左側が接触することを避ける本能があるから、
と言われている。
車が左側通行である理由については、車の前の乗り物であった馬について、
①馬に乗るときには、刀が邪魔にならないように、左側から乗ることになるが、そのためには左側通行がよい、
②馬同士がすれ違う時に、刀が触れ合うのを避ける、
ことから、左側通行となっていたが、それが車に引き継がれた、と言われている。
こうした暗黙のルールが正式になったのは、1872年に、英国からの技術支援を受けて、鉄道が導入された時であり、英国が左側通行であったことから、鉄道(馬車鉄道や電気トラムを含む)が、左側通行となった。
その後、東京で警視庁による通達が発せられ、「歩行者は左側通行」というルールが定められた。さらに、1924年に法律に規定されたとのことである。
何故、歩行者は右側通行なのか-GHQの指導で変更された
それが、自動車の交通量の増加に伴い、第2次世界大戦後の昭和24年に、占領軍GHQの指導で、当時の道路交通取締法の改正が行われ、対面交通の考え方に基づいて、「歩行者は右側通行」に変更された。
当時から既に、米国は「自動車は右側通行」、「歩行者は左側通行」の国であったので、GHQは「自動車を右側通行」に変更するように要求したが、日本が「道路上の施設の変更や車両(バス等)の乗降口の変更等に天文学的な財政支出を必要とし、また長期の期間を有する」との理由で反対したため、結局は、安全上の観点を考慮して、「対面交通」の考え方の導入を優先するために、「歩行者を右側通行」に変更することで了解した、とのことのようである(*2)。
これだけ、米国との関係が深い日本において、なぜ「自動車の通行ル-ル」が異なっているのか、不思議に思われていた方も多いと思うが、これで一定納得できたと思われる。なお、何故、米国で「自動車が右側通行」なのかについては、次回の「研究員の眼」で説明することにする。
(参考1)鉄道駅構内では、「人は左側通行」が原則
さて、「歩行者は右側通行」がル-ルとなったと述べたが、実は、鉄道駅構内では、「歩行者は左側通行」が原則となっている(*3)。これは、GHQの指導が、車道だけに限られていたため、車の走らない駅構内には指導が徹底せず、「歩行者は左側通行」の例外が認められた、と言われている。
実際に、現在の駅構内の階段等に「左側通行」の指示板を見ることができる。
(参考2)エスカレーターの立ち位置は、自動車の通行ルールに準拠が原則
現在の「エスカレーターの乗り方」における基本的なルールは「エスカレーターでは歩かない」ということであり、歩行禁止が呼びかけられている。ただし、実際は多くの人が歩いている。
このエスカレーターの乗り方の慣例が、東京と大阪で異なっているというのは有名な話である。東京では「左立ちで、右側を通行のために空ける」のに対して、大阪では「右立ちで、左側を通行のために空ける」ということになっている。
エスカレーターの立ち位置については、世界的にみて、一般的には自動車の通行ルールに準拠している。
即ち、右側通行の国は右立ちで左側が通行(追い越し)用に空けられ、左側通行の国は左立ちで右側が通行(追い越し)用に空けられる。こうした観点からは、「自動車は左側通行」の日本では、大阪のルールが原則を外れた(?)ものということになる。
大阪で東京とは異なるルールが定着した理由について、一般的には、以下のように説明されている。
1967年に阪急梅田駅でエスカレーターが設置されたとき、(右利きのため)右手で手すりを持つ人が多かったため、混乱を避けるために右側に立つというルールをアナウンスした結果、それが定着した。
その後、1970年に開催された「大阪万博」を機に、多くの外国人が大阪に訪れるのに備えて、「国際標準の右立ち」(*4)を徹底したと言われている。ただし、右立ちのルールは、大阪以外では、兵庫や京都の一部に限定されているようだ。
歩行者は右側通行か左側通行か
以上、日本における歩行者の通行ルールについて述べてきた。
私自身は、何となく、常に「歩行者は右側通行」という潜在意識が強くある。ところが、実は、安全性の確保等の観点からの「車との対面交通」との考え方がよりベースにあるだけで、実態は「歩行者は左側通行」といった方がマッチしている状況が多い。
即ち、「車は左、人は右」といった形で、自動車との対比で考えた場合には、あくまでも「歩行者は右側通行」となるのだが、それとは全く独立に、歩行者自身を一つの交通車両(?)と考えた場合には、「歩行者は左側通行」というのが自然な言い方といえることになるものと感じられるが、いかがだろうか。
まとめ
世の中には数多くのルールが存在している。我々はそれらを何気なく当然のものとして受け入れている。しかし、よくよく考えてみると、何故そのようなルールになっているのか、その歴史的・文化的背景等はどうなっているのか、を知ることで、そのルールの持つ本当の意味や奥深さを知らされることになる。
たまには、一般に認識されているルールについて、その詳細を調べてみることも結構大事なことだと改めて感じた次第である。
(*1) これに対して、相手が正面から右にいる時は、前方から来た武士に抜刀術(居合い)で切りつけられやすいため、これを避けるため、右側通行が一般的だった、という説もあるようである。
(*2) 道路交通問題研究会「道路交通政策史概観」
(*3) 歩行者や自動車の通行ルールとは異なり、全てが統一されているわけではないので、右側通行となっているケースもある。
(*4) 米国や英国、ドイツ、フランス等の欧米主要国が右立ち、オーストラリア、ニュージーランドが左立ちとなっている。
関連レポート
(2016年11月14日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
取締役 保険研究部 研究理事