低下するラジオ体操実施率
「テレビでやってもラジオ体操とはこれいかに」、「靴を入れても下駄箱と言うがごとし」、とでも言うところだろうか。一日中パソコンに向かって仕事をしているため肩こりに悩まされてきたのだが、テレビの体操番組を見ながら「ラジオ体操第一」で体を動かすようになって、大分症状が改善した。
さて、筆者の世代では学校の体育の授業でラジオ体操をしなかったという人は聞いたことが無いが、最近の調査では全国の小学校のうちで授業でラジオ体操を実施しているのは76.4%だということだ。
かなりの学校で実施されてはいるものの、都市部の学校の方が実施率が低く、生徒数の多い学校ほど実施率が低いという傾向がある。数からすると、ラジオ体操を知らない子供は相当いるということになる。
昔は、夏休みには家の近くの公園で毎朝ラジオ体操が行われ、皆勤すると賞品がもらえた。毎年両親の実家に帰省するために体操を休まねばならず、賞品がもらえないのでちょっと悔しい思いをした記憶がある。
今でも夏休みの時期には近所の公園で早朝のラジオ体操が行われているが、休みの最初の1週間だけのようだ。もはや、誰でも必ずラジオ体操ができるという訳ではないというのは、少し寂しい気もする。
50年後に感じる成果
体育の授業の最初に必ずこの体操をさせられたが、楽しいものでもないし、大した運動になるとも思えない、何の役に立つのか分からない代物だと思っていた。しかし、「小学校で習ったことで役に立っていることは何か?」と今聞かれたら、ラジオ体操は間違いなくその一つだ。
インストラクターの動きを見なくてもできるのはもちろんのこと、実際に音楽が流れていなくても、頭のなかでラジオ体操の曲が流れて一通りの体操ができる。これは、繰り返し授業で体操をしたおかげだろう。
子供の頃には、大した運動量ではないと思っていたが、今やってみると最後には息が切れる。まさか50年も先になって教育の成果を感じるとは思ってもみなかった。もっとも授業で教えていた側も、そこまでは考えていなかったに違いない。全く、どこで何が役に立つかは分からないものだ。
企業の資金余剰の背景
無駄を切り落として成果を出さなくては、企業は成り行かなくなってしまう。一方、その時点では目に見える成果は無かったが、後から重要だったと分かるものもある。
事実に基づく判断は、成果が上がらないのに当初の方針に固執して企業を存続の危機に陥れてしまうようなケースを避けるためには非常に重要だ。
一方で、データで確認できることだけを材料に使って判断を下せば、会社内外の批判に耐えて方針を貫き大きな成果をあげると称賛される経営者は全て排除されてしまうだろう。
世の中には数値化できないものや、そもそもデータが得られないものも少なくない。証明できないということと、真実ではないということとは別の話だ。企業の経営者は、常に情報が不足しているという、不確かな状況で決断を下さなくてはならない。事実に基づく判断と、証明できないも勘案する、という二つのバランスの問題だ。
アメリカでは無数のベンチャー企業がリスクを取ることで成長してきたが、日本では既存の企業の中で社内ベンチャーのような事業が同じような役割を果たして来たという説がある。
日本経済では、このところ企業の資金余剰が大きな問題となっているが、目に見える結果を重視するあまり、判断のバランスが短期的成果志向に傾きすぎているというシグナルなのではないだろうか。
関連レポート
(2015年2月17日「エコノミストの眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
経済研究部 専務理事