鹿島アントラーズ・小笠原満男が噛みしめるサッカーがある喜び

普段はスタジアムに人が集まり、楽しく過ごし、災害時には頼れる存在となる。そんなスタジアムがある幸せを小笠原は共有したいと思っている。

「サッカーができることは当たり前ではなくて、幸せなことなんだなと感じた」。

鹿島アントラーズの小笠原満男はそう言った。そのことを小笠原が痛いほど実感したのは2011年の東日本大震災だった。アントラーズのクラブハウスも被災。いたるところが液状化現象でボロボロになり、水道も止まり、練習着の洗濯やシャワーをあびることもできなくなっていた。さらには市内でガソリン切れのスタンドが続出し、車での移動ができなくなった。

本拠地のカシマスタジアムも照明やスピーカーが観客席に落下。もし、試合中に震災があったとしたら、相当数の死傷者が出てもおかしくない状況だったと報告された。当然のようにカシマスタジアムは使用できず、アントラーズは3ヶ月間、帰るべき『ホーム』を失ってしまった。

しかしその間、Jリーグの仲間たちはアントラーズとそのホームタウンを支えてくれた。各クラブやサポーターからたくさんの義援金や支援物資が送られ、ボランティアにも来てくれた。小笠原も「本当に助けてもらったし、嬉しかった」と語っている。

また、浦和レッズは5月21日開催のカシマでの試合を、9月の埼玉スタジアムでのホームゲームと入れ替えるという、Jリーグ史上初めての形での代替開催に協力してくれた。そして、ようやくスタジアムの修理が完了。「『ホーム』っていいますが、本当にやり慣れた『家』で試合ができるのは嬉しかった」。

そして、震災があった年の10月にスタジアムが復旧したことを記念して、カシマスタジアムで第1回目となる「オープンスタジアム」が行われた。もともとアントラーズは、スタジアムができたことでJリーグに参入できたクラブだけに、クラブもサポーターも地域も、カシマスタジアムに対する思いが強い。

スタジアムが戻ってきた、そのこと知ってもらうために広く開放し、スタジアムがある幸せを共有したいということが目的だった。当日は選手と触れ合える場所があったり、ブースが設置されたり、ピッチやロッカールームの開放も行われるが、そこには単なるファン感謝イベントではなく、被災地のクラブとして込められた思いがある。

今年の開催は10月25日(日)。普段の感謝を込めて、選手たちはサポーターや地域の人たちに楽しんでもらえることを企画中だ。さらに「震災がきっかけで始まったので、被災地の手助けが少しでもできれば」と昔、アントラーズがキャンプでお世話になった『Jヴィレッジ』から日本代表の西シェフが出店するブースや小笠原が高校生活を送った岩手県大船渡市からの海産物を販売するブースも検討している。

そして小笠原は「防災意識を思い起こす1日にしたい」とも言う。先日も関東地方を襲った豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、被害が出た常総市にアントラーズの水海道校があった。「スクール生の家にも被害にあって、スクールも何週間か活動できなかった。震災の時のぼくらと似ている。その子たちにカシマスタジアムでサッカーさせてあげたい」。

「いつどこで自然災害が起こるかわからないので、二度と犠牲者が出ないように備える防災意識を持ってほしい。そのことを強く伝えたい」と小笠原は言う。現在、カシマスタジアムは防災拠点として、様々な整備を進めている。普段はスタジアムに人が集まり、楽しく過ごし、災害時には頼れる存在となる。そんなスタジアムがある幸せを小笠原は共有したいと思っている。

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