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5月4日までに同県牧之原市で損壊が確認された建物は125棟にのぼり、罹災証明と被災届け出証明の申請はこれまで70件あった。
年々被災地の状況も変わる中、フローレンスでは、「被災地支援」から「東北発のイノベーションを生み出す」活動へと変化をしていきました。今回は、2020年から今日までに行った新しい取り組みをご紹介します。
東日本大震災から、3月11日で10年。津波被災地では、沿岸部と、人・モノ・カネが集中し続ける仙台圏との不均衡な姿が浮かび上がる。
「節目なんて、ない」。震災から10年、取材を受け続けること約600件。その中で感じた3.11報道の“テンプレ化”。2年前に苦言を呈した宮城県女川町の老舗蒲鉾店の社長に改めて聞いた。
津波被害を受けた石巻市、10年後に同じ場所から撮影した。
2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります
「女性の力、思いを押し殺すことによって『絆』が成立するという古典的な共同体を推奨する動きが非常時には出てきやすいですね。東日本大震災でもありました」
「行政は『区切り』をつけたがりますが、基本的に『区切り』はつかない。世代が変わるまではかかると思います」藤沢烈さん語る
関係者によると、県は、県内の市町村長の意見を聞く会議を11月9日にも開く方向で調整している。