CODA

聴こえない母を支えてくれた、聴こえる伯母。きょうだいが抱く葛藤を知って気づいたこと。
CODAのぼくは、ろう者への偏見や差別を憎んでいる。けれど、そんなぼくにも、ろう者に対して「やさしい差別」をしていると痛感した日があったのだ。
危機や災害時に、耳の聴こえない人たちが直面する「情報格差」とは
耳の聴こえない両親を持つぼくは、ひとつのnoteに出会った。そこには難聴という診断を受けた息子への思いが綴られていた。
大人になったぼくは、同じ境遇に生まれ育った「CODA」に会ってみたいと強く思うようになった。
両親は悪くない。そして、ふたりから生まれたぼくだって悪くない。
CODA。どうやらろう者の親を持つ健聴の子どもたちは、そう呼ばれるらしい。
障がい者だけが障がいの当事者なのだろうか。障がい者の子どもも、親の障がいと生きている。
もしかすると、ぼくは母親の胎内にいたとき、国に“殺されて”いたかもしれない――。