ドナルド・トランプ大統領のあまりにも歴史を軽視した判断により、あらためて世界中から注目を浴びることとなったエルサレム。私は、過去に一度だけ訪れたことがあります。
滞在最終日の夜、縁あってユダヤ人ご夫婦の自宅に招かれ、夕食をともにする機会に恵まれました。その日は金曜日。ユダヤ人にとっての安息日であるこの日は、シャバット・ディナーと呼ばれる特別な料理が振る舞われました。
旧約聖書に手を置いてのお祈り。家の主人がパンとブドウジュースを分け与える儀式。私は美味しい食事に舌鼓を打ちながら、これまでうかがい知ることのできなかったユダヤ文化についてあれこれ質問をしました。
少しだけ日本語を話し、日本の文化について興味を持つ奥様とは、すぐに意気投合。彼女はとてもわかりやすく、そして的確に私の質問に答えてくれました。無口なご主人も、要所で口を開き、「ユダヤとはね」と彼らの文化に誇りを感じさせる説明をしてくれます。
「あなたは英語がとても上手に話せるようだけど、英語圏に住んだ経験があるの?」
彼女の問いに、私は中学時代をドイツで過ごし、そこで英語とドイツ語を学んだことを伝えました。その時のご主人の表情の変化を、私は一生忘れることができないでしょう。
眉毛がひゅっと上がり、一瞬にしてこわばる表情。目の奥には、怒りや憎しみが潜んでいるようでした。奥様はちらりと横目でご主人の表情を確認したものの、深い悲しみの表情を浮かべただけで、私に何かを言うことはありませんでした。
私はとても驚きました。彼らが「ドイツ」という言葉を耳にしただけで、これほどまでに表情をこわばらせるなんて。私もホロコーストについては深く勉強してきたつもりです。当時のドイツがどれほど愚かな行いをし、どれほど罪なきユダヤ人を迫害してきたか。しかし、それはもう70年以上も昔の出来事のはず。それでも、ユダヤ人にとって「ドイツ」を喉元に突きつけることはタブーだったのです。
本当に申し訳ないことをしてしまった、と心から反省しました。こうして自宅にまで招いてくださり、ディナーまでご馳走してくださっている。そのご厚意に対して、私はなんという失礼なことをしてしまったのだろう。知らなかったとはいえ、ユダヤ人のタブーに対してあまりに無邪気に触れてしまった私は、その後の食事が喉を通らなくなってしまいました。
だからこそ、この件に触れずにはいられません。保毛尾田保毛男もそう。ブラックフェイスもそう。とんねるずさんにも、ダウンタウンさんにも、そしてテレビ局のスタッフの方々にも差別する意図なんて1ミリもなかったことでしょう。このネタで誰かが傷つくことになるなんて、まるで想像していなかったと思うのです。
「それは想像力不足だ」
「無知では済まされない」
彼らを批判する声は止みません。でも、そうした批判の声を耳にするたび、私はエルサレムの夜を思い出すのです。「ごめんなさい。本当にごめんなさい。悪気はなかったんです」と。
知らずに触れてしまったタブー。意図せず踏みにじってしまった心。
大事なのは、その後、どうするか。
「LGBTのやつらはクレーマーだ」
「黒人差別だと騒ぐやつのほうが差別してる」
あのユダヤ人ご夫婦の表情を思い出すと、私にはとてもそんな言葉を口にする気にはなれません。