東アジアサミット、スカボロー礁埋め立てが今後の焦点
結果を見れば、オバマのオウンゴールによる米国の完敗だった。
ラオスの首都ビエンチャンで開かれた東アジアサミットで、アメリカ大統領オバマに続いてスピーチしたフィリピンの大統領ロドリゴ・ドゥテルテは、事務方が用意した南シナ海問題の原稿を打ち捨て、一枚の写真を示した。
「人権侵害はいつの時代でも人権侵害だ。昔の話というな」
20世紀初頭に米軍がフィリピン南部ミンダナオ島でイスラム教徒を殺害した写真だった。
オバマに対する当てつけであることは明らかだった。オバマは何も言わなかった。
ビエンチャンでは米比首脳会談が予定されていた。ここでオバマは、ドゥテルテが力を入れる麻薬撲滅作戦に対して人権上問題があると指摘するはずだった。就任2か月で2000人を超す死者が出ており、多くは警察官らによる「超法規的殺人」とされる事態に懸念を表明する予定だった。出発直前、米国の対応について記者会見で聞かれたドゥテルテは激高し、タガログ語で「Putang ina」とののしった。日本語にすれば「クソッタレ」「この野郎」程度の言葉だが、これをもってオバマは首脳会談を拒否した。
慌てたドゥテルテは「後悔している」とわびを入れたが、どうもその後じわじわと怒りがこみあげてきたようだ。その後、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会合のうち、米ASEAN首脳会談を「頭痛」で欠席。そして最後のサミットでの発言で鬱憤を晴らしたとみられる。
騒動のバランスシートを見れば、ドゥテルテの暴言に過剰反応した米国側の大損である。
米国は日本とともに、南シナ海で岩礁を埋め立てる中国の動きを「国際法違反」とした先の仲裁裁判所の判決をてこに「法の支配」を訴えるはずだった。ところが、勝訴したフィリピンが全くそれを取り上げなかったばかりか、サミットを、人権問題をめぐる「同盟国の痴話げんか」の場にしてしまったのだ。これでは米国が振り上げたこぶしのもって行き場もない。中国がほくそ笑み、ASEANの首脳らがしらけた表情で推移を見守っていた様子が目に浮かぶ。
仲裁裁判所の判決後、米国と日本はG7、G20といったさまざまな国際会議や二国間協議で「南シナ海の法の支配」を訴え、判決を「紙屑」とする中国包囲網を築こうとしてきた。その仕上げが、当事国の首脳すべてが一同に会す東アジアサミットのはずだった。ところが一連の根回しが肝心のフィリピンには十分に届かず、シナリオは最後になって破たんした。「当事者が触れもしないことを外野がとやかくいうな」という中国の主張に錦の御旗を与えたも同然である。自殺点を与えた相手は中国である。
大統領選以来のドゥテルテの発言を聞いていて私は、日本の一部で言われているような「親中派」とは違う印象をもってきた。首都から離れた地方都市の市長を長く務め、中国とも米国とも大きな接点はない。「私の主人はフィリピン国民だけだ」。親中でも親米でもなく、「親フィリピン」だと本人は言う。
ところが、サミット後に訪れたインドネシアでドゥテルテは「中国は寛大だ。感謝する」と繰り返した。なんとなれば、全力を上げている麻薬撲滅にからみ、中国が中毒者のリハビリセンターの建設を約束したからだという。「他の国は麻薬対策には力を貸さず、人権だなんだと文句を言うばかりだ」との不満がある。
巡視艇や軍用機を援助する日本には触れず、米国の軍事援助には「感謝はするよ。でもたった2機の戦闘機を売ってくれただけ。ミサイルも大砲も銃弾もくれない」と毒づいた。
中国の援助は自国の経済に資するインフラばかり、日本は痒い所に手の届く援助をめざすというが、敵もなかなかである。
しかしだからと言って、フィリピンが中国の軍門に下ったというわけではない。一連の会議の最中に、フィリピン政府はスカボロー礁周辺に集結する多数の中国艦船の写真を公開、埋め立ての準備をしている可能性を指摘した。ルソン島の西約220㌔にある同礁はもともとフィリピンが排他的経済水域内として実効支配していたが、中国の監視船が2012年、自国漁民保護を名目に居座った。この件が仲裁裁判所への提訴につながった。
南シナ海で中国はすでに西沙(パラセル)諸島の永興島(ウッディー島)を要塞化し、南沙で7つの岩礁を埋め立てた。中沙に位置するスカボロー礁を埋め立てれば、南シナ海全面を抑えることになる。
写真の公開は、中国への牽制であり、米国への注意喚起である。今後の焦点は、米大統領選で生じる米国内の政治的空白をついて中国が同礁の埋め立てに着手するかどうかだ。
その場合、レームダック化が指摘されるオバマ政権はどう対応するか? 阻止できなければ、アジアの安全保障環境は決定的に変化する。南シナ海が中国の湖と化すからだ。
一方、ドゥテルテは年内にも予想される中比首脳会談へむけて水面下でどう交渉を進めるか。
サミットで「法の支配」がわきに追いやられたいま、南シナ海は腕力と権謀術数が試される段階になったのかもしれない。
(文中敬称略)