アロハ、Myハワイ編集長明子です。「ハワイと日本、人々の歴史」シリーズでは、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点をあて、その歴史を掘り下げて紹介しています。今回はハワイの日系人に親しまれているハワイ出雲大社と、彼らの生活に溶け込む「お正月」について紹介しましょう。
1999年12月のこと、留学生としてハワイに到着したばかりの私は、大学の先輩より「ハワイ出雲大社」のお正月の手伝いに借り出されました。日系人の多いハワイにはたくさんの神社や寺院があることは知っていたものの、はじめて踏み込むハワイの神社は、それはそれは興味深いものでした。
ホノルル市中心部、チャイナタウン近くにあるハワイ出雲大社は、今年創設107周年を迎える由緒ある神社です。島根県の出雲大社の分院として、1907年に建立。ダウンタウンのキングとベレタニア通りに挟まれた場所に最初の神殿が建てられました。
1941年、真珠湾攻撃勃発。この連載の第6回でも触れましたが、真珠湾攻撃後、日本にゆかりのある聖職者は日系人強制収容所に送られました。ハワイ出雲大社の宮王重丸宮司とその家族も、アメリカ本土の強制収容所に終戦まで抑留されました。抑留中、社殿は取り上げられ、教団も解散の憂き目にあっています。戦後に教団を再建、社殿の返還をもとめ署名運動が行われますが、係争の末、教団に社殿が返還されたのは、1961年のことでした。その後、1968年にノース・ククイ通りにある現在地に移転。2006年にはハワイ出雲大社鎮座100周年記念大祭も行われました。
ハワイ出雲大社のお正月には、地元の日系人を中心に、1万人以上もの人々が参拝します。アメリカでは大晦日を花火、爆竹を打ち鳴らして迎えますが(一般人の花火は現在条例で禁じられています)、にぎやかに年が明けると同時に、ハワイ出雲大社では力強く太鼓が打ち鳴らされ、お宮が開くのを待ちわびていた人々が、境内になだれ込みます。信者やボランティア・スタッフは、「ハッピー・ニュー・イヤー」の声と共に出迎え、活気あふれる新年がスタートするのです。
毎年、出雲大社でボランティアをしながら気付いたことがあります。ハワイの人々はどんな子どもでも、必ず大きな声で「ハッピー・ニュー・イヤー!」と挨拶してくれること。犬猫のみならず、ハムスターやカメ、鳥などのペットを伴って参拝する人が多いこと、米本土の親戚などに送るため、お守りを大量購入する人が多いこと...。ハワイでありながらも、昔の日本を髣髴とさせる、人情味あふれるお正月の姿が保存されているのです。お宮の台所では、出雲大社の婦人会の人々が、昔ながらのおせち料理を作り、ボランティア・スタッフに振舞ってくれます。台所でも多数の人々が立ち働き、清清しい空気が満ち溢れているようです。
出雲大社でボランティアをすることにより、現在の日本では失われつつある、本来のお正月の姿を再発見できたように思います。ハワイ出雲大社では、旅行者の方や留学生の方でも、ボランティアとしてお正月やゴルフ大会、秋祭りに参加することも可能です。ただのハワイ旅行では物足りないと感じられる方、留学生で地元の人々との交流を求めておられる方は、ぜひハワイ出雲大社まで連絡してみてください。
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(※この記事は2013年12月20日の「Myハワイ」より転載しました)