アロハ、Myハワイ編集長明子です。「ハワイと日本、人々の歴史」シリーズでは、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点をあて、その歴史を掘り下げて紹介しています。今回は、ちょうど72年前のこの時期に世界を震撼させた悲劇の舞台、パールハーバー(真珠湾)で行われている平和への試みをいくつか紹介してみたいと思います。
オアフ島パールハーバー、世界中からの観光客が足を運ぶハワイの一大観光スポットです。ただし、日本人観光客の割合は少なく、私自身仕事で足を運ぶ以外、なかなか訪れる気にはならない場所でした。以前、日本の高校生、または大学生でしょうか? 学生さんたちの一団がパールハーバーで騒いでいて、年配のアメリカ人が顔をしかめているのを見たことがあります。日米の見地の違いとともに、世代間の温度差を感じ、なんともやりきれない気持ちになったものです。40代の私は両親がかろうじて戦時中の生まれで、戦争の嫌さ、惨さを何度と無く聞かされて育った世代です。第2次大戦をただの史実ととらえられる世代よりは少々上かと思います。なので、パールハーバーでは、様々な感情が去来し、痛みばかりが増すのみなので、なんとなく避けていたきらいもあります。
この連載の第2話目で、佐々木禎子さんの折り鶴について書かせていただきましたが、禎子さんの折り鶴がこのパールハーバーへ安置されたということは、非常に大きな、新しい変革だと思います。悲しい過去の遺恨、怒りの集積地としてのパールハーバーが、新たな希望、明るい未来へのシンボル的な存在へと、大きな唸りを上げながら変遷していっているような、そんなあたたかい推進力を感じました。
ハワイ時間の12月7日(土)は、まさに真珠湾攻撃が行われた日です。この日パールハーバーでは一日を通じて様々な追悼式典が行われますが、その中でも日本人の私にとって、とりわけ印象深いのが静岡県の菅野寛也医師による「黒焦げの水筒慰霊祭」というものです。「黒焦げの水筒」とは、約2,000人の犠牲者を出した静岡大空襲の翌日である1945年6月20日、B-29の墜落現場で発見された米兵の遺品の一部で、真っ黒に焦げ、持ち主が握り締めた手のあとが生々しく刻まれた水筒のことです。硬い金属の水筒がグッと指の形にへこみ、それはこの米兵の断末魔の苦しみを無言の迫力で見る人に伝えます。この黒焦げの水筒を入手した、土地所有者の弟で僧侶でもある伊藤福松氏は、空襲の犠牲者とB-29の搭乗員の2つの慰霊塔を賎機山(しずはたやま)山頂に建立し、日米両国の犠牲者の慰霊祭をはじめました。
終戦当時12才だった菅野医師は、22年前に伊藤氏よりこの水筒を受け継ぎ、以来水筒に入れたバーボン・ウイスキーを真珠湾の海へ献酒する慰霊祭を行っているのです。「死んだら敵も味方もない。この人たちも犠牲者なのだ」と、B-29の墜落で亡くなった23人の米兵を葬った伊藤氏の意思を継ぎ、黙々と慰霊祭を続けてきた菅野医師。慰霊祭に参加した米軍関係者の、「同じ様な状況でわれわれに同じことができたかどうか、考えさせられる」との言葉に、赦しという言葉を超えた、新しい絆の芽生えを感じさせられました。
前述したように、12月7日には、パールハーバーで様々な追悼式典が行われます。その会場となるのが、USSアリゾナ・メモリアル(アリゾナ記念館)です。真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの船体の上に建立されたアリゾナ・メモリアル内には、真珠湾攻撃で命を落とした乗組員の名前がずらりと刻まれています。壁や柱は真っ白に輝き、厳かな雰囲気を放っています。ホノルル日系人商工会議所のボランティアとして、このアリゾナ・メモリアルの補修工事に参加した、3名の日本人女性に話を聞きました。3名はそれぞれ30代~40代で、ホノルル在住です。
「まだ海に流れ出るオイルを見たり、説明を聞いたりしながら、果たしてこのボランティアに参加したことが正解だったのか...未だ答えは出ていません」と答えるある女性は、「国際化が進む現代で、日本人が何をしたかを知らないのは恥ずかしいことだと思う事がよくあり、そういう意味で学校では教わることのない歴史の一部を詳しく知ることができる場所だと感じました」とコメントしています。また、他の女性は、「やはり、事実はどうあれ、日本人にとって真珠湾攻撃=奇襲攻撃という話を聞かされるのはつらいものがあり、歴史的事実として受け止めるべきということは理解しているものの、やはり後ろめたい感じがぬぐいされません」とし、「ボランティアを通じて、亡くなった人々の名前を目の当たりにし、改めて平和を願う気持ちが強くなりました」と、心の動きを語ってくれました。また、「アリゾナ記念館では、史実がどれだけ公平に伝えられているのかを考え、日系以外のアメリカ人がどのように日本人のことを受け止めるのか気になりました。また日系アメリカ人がどのような気持ちでこの戦争に参加したのか、自分だったらどのように感じるのか、深く考えさせられました」とのコメントもありました。この女性は補修工事を手伝ったことで、「国籍や人種を超えて、誰もが公平に史実を学び、再び戦争という選択をしない未来になればいいと思います」と話してくれました。
あれから72年。「赦す」には、「受け入れる」には、十分なのか不十分なのか、また赦す、受け入れるということばが正しいのか、どうか。ただ、そこにあるのは、紛れもない歴史であり、私にとっては、この歴史を史実として公平に学び、咀嚼し、たとえ胸が痛んでも、知ることが必要だと思いました。また、オアフ島のパールハーバーで、目立たずとも確実に育つ小さな変革を見逃してはならない、とも。
(2013年12月更新)
◎パールハーバー・ビジターセンター
場所:1 Arizona Memorial Place Honolulu, HI 96818
電話:(808)422-0561
開館時間:7:00―16:30
入場料:無料
ホームページ(英語):www.nps.gov/valr/index.htm
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