7月4日の米独立記念日(Independence Day)を記念し、My Eyes Tokyoハフィントンポスト版では日本をこよなく愛するアメリカンをご紹介しています。前回お伝えした、日本語と英語で即興コントを行うグループ"パイレーツ・オブ・東京湾"リーダーのマイク・スタッファーさんに続き、今回は"岐阜ではたらくITコンサルタント"のキース・パーハックさんをご紹介します。エルビス・プレスリーとジャック・ダニエルとバーベキューでその名を馳せる、テネシー州メンフィスのご出身です。
キースさんとの出会いは2013年春、都内で行われた"GTIC"という起業家関連イベントで出会いました。その日は英語での"エレベーターピッチ"が行われており、日本人プレゼンターに矢のように質問を浴びせていました・・・日本語で(笑)
「あの人は一体誰なんだろう?」ということで声をかけさせていただき、その後に私たちが開いたプレゼンイベント"Mechakucha Night"で日本語でプレゼンしていただきました・・・日本語で!会場は爆笑の嵐となりました。
皆さんの多くは「何で岐阜で起業?」と思われるでしょう(中には「岐阜ってどこ?」とおっしゃる方も?笑)キースさんの本拠地は、人口16万人の岐阜県大垣市。すぐそばにある日本第3位の都市・名古屋ではなく、なぜそのような小さな街でITコンサルタントビジネスを、しかも世界中に向けて展開しているのでしょうか?
日本にハマったきっかけ、そして小さな街で事業を行うアメリカ人の目から見た名古屋や日本の姿について、まるでスティーブ・ジョブズのような巧みなプレゼンで一気に語り尽くした3時間!それらを全て掲載するとお腹いっぱいで消化不良を起こしかねないので(笑)こちらではそのダイジェスト版をお送りいたします。
☆キース・パーハックさん☆
米国経由でハンガリーから来日した、訛りが激しい大垣人。多少の英語力があり(笑)海外のSEOブログやコンバージョン研究会に所属する。温故知新の精神で古い物を大切にする一方、新しい物も求める。アメリカでのウェブコンサルティングの経験を活かし、様々な企業の目標達成率を100〜500%に増加、3億円の商品開発戦略を数ヶ月で成立させるなど多数の実績を残す。世界トップ企業のコンサルや50億円の利益を出したスタートアップインキュベーターのアドバイザー、国際企業のコンサルティング会社の代表取締役も務める。2013年、岐阜県大垣市にて起業。
*インタビュー@Geek Cafe(東京・水道橋)2014年2月15日
*英語版はこちらから!
■ なぜ、日本?
私がメンフィスから初めて日本に来たのは1996年のことでした。 日本にいる人からも、海外にいる人からも、すごくよく聞かれる質問があります。「なんで日本なの?」
・・・分かりません(笑)
私は子どもの頃から日本が好きでした。と言っても、当時は日本がどこにあるかさえ知らなかったんですけど(笑)80年代をアメリカで過ごしていた私は、知っていたのは実は日本ではなく"アジア"でした。
私は図書館で本を借りては漢字を学び、テコンドーや太極拳を習っていました。学べば学ぶほど、大人に近づけば近づくほど、私が興味があるのは中国や他のアジア諸国ではなく、日本なのだということに気づきました(公開インタビューではアニメ「美少女戦士セーラームーン」が日本に興味を持った一番の理由だと半ば冗談で申しましたが、完全には否定できない汗)。
でもアメリカ人が日本を好きになり始めたきっかけは、多分「セーラームーン」です。私たちの間では大人気でした。私は朝6時に起きて「セーラームーン」をテレビで見ました。その当時はいわゆる"アニメ"が他になかったのです。もし日本が好きで、アニメが好きなら「セーラームーン」以外に選択の余地はありませんでした。
他にも私は「らんま1/2」が好きでした。私が高校生の時、16ページの「らんま」が2ドル95セント(約300円)で販売されていました。私は高校時代の間ずっと、毎月その16ページの「らんま」を買い続けていました。そして日本に来る時にそれらを処分してしまったのですが、計算したら何と1500ドル(約15万円)もつぎ込んでいました。来日後にブックオフに行ったら「らんま」全巻がたった1000円で店頭に並んでいたのは、かなりショックでした(涙)
■ 勉強しろ
他にもよく聞かれることがあります。「何でそんなに日本語が上手なんですか?」
・・・勉強しろ!(笑)
私はすでに20年日本語を話していますが、高校時代に猛勉強しました。その当時ですでに1500個の漢字が書けたのですが、残念ながら高校卒業後に全て忘れてしまいました。大学に日本語クラスが無かったからです。その後に留学生として日本に来てから、再び勉強しました。だけどアメリカに戻ってから、また忘れてしまったという・・・涙
その後、英語教師として来日しました。英語や語学を専攻していない自分でも、日本で英語教師になれました。それが日本で職を得る一番簡単な方法でした。
当時、私は夕方4時半に仕事を終えてから、夜10時半まで日本語を勉強しました。夕食は10分間だけでした。毎晩約6時間の勉強を3年間続けました。単語カードを2つ常にポケットに入れて持ち歩き、何回もそれを見返しました。意味を忘れた単語があったら、もう一度最初に戻って見直しました。行列に並んでいる時、何かに飽きた時、それに全然話が面白くない人と一緒にいる時(爆)には、単語帳が時間を埋めてくれました。
それに加えて、日本語を勉強している別のアメリカ人と一緒に勉強しました。朝4時まで空いている"ココス"というレストランチェーンで、一言もしゃべらずにお互いに黙々と勉強していました。
この"一緒に勉強すること"がポイントです。もし一人なら、すぐにFacebookを見ちゃうでしょう?(笑) 私はこれまで8カ国語を勉強してきました。フランス語、英語、日本語、ヘブライ語、ポルトガル語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語・・・でも私が最後まで続けたのは、日本語だけでした。
■ 日本 - 世界で最もイノベーティブな国
私が7歳の頃にプログラミングを始めてから24年が経ちました。そしてウェブやITの分野で仕事を始めてから16年経ちます。日本向けの仕事は、そのうちの9年間携わっています。岐阜で結婚し、子どもが生まれ、家を購入し、そこでITコンサルタント会社を始めて今に至ります。
私の会社のミッションは、ズバリ「日本の技術を咲かす」です。日本は世界でも有数のイノベーティブかつ勤勉な国だと思います。 世界中の携帯電話に使われるバッテリーを開発した人が岐阜にいます。携帯メーカー各社は、自社製品のサイズの縮小を競っていました。彼は世界中の携帯メーカーにコンタクトし、その2ヶ月後には誰もが彼のバッテリーを採用したのです。
でも彼は特許を取ろうとは思っていませんでした。それに関する権利は一切保有しませんでした。ある人が彼に聞きました。「何で特許を取ろうとされないのですか?もし特許を取ったら大金持ちですよ」。彼は答えました。「私は各メーカーが抱えていた問題を解決しました。私の興味は、もはや次の課題に向かっているのです」。本当に大好きなエピソードです。これこそが、日本のイノベーションなんですよね。すごく美しい話です。
ここで皆さんに質問ですが、CD(コンパクトディスク)はソニーのある社員が秘密裏に作っていたことをご存知ですか?会社は「そんなものは売れないし、誰も使わない」と考えていたので、彼をウォークマンの部署に配属しました。彼は終業後に会社の地下室にこもり、CDを開発しました。この製品は音楽業界を一変させました。
こういう素敵なエピソードが、日本にはたくさんある。だから私は日本が大好きなんです。
■ ソフトウェアで遅れをとる日本
一方で、日本はこれまでずっと、ソフトウェア開発を苦手としてきました。
日本は電子機器分野では最強です。そのためか、私が欧米の友人に「日本のソフトウェアはかなり遅れをとっている」と言うと「ウソだろ?」と言って信じません。
では考えてみましょう。日本が得意とする電子機器は、回路、ワープロ、CD、ウォークマン、テレビなど。一方で、これらに匹敵するほど知られたソフトウェアを、日本は開発してきましたでしょうか?
答えは「No」です。
それらは全てハードウェアです。日本はハードウェアのデザインや開発では素晴らしい功績を残しています。しかし一方でソフトウェアにあまり注力してきませんでした。
それがなぜ問題かと言うと、世界はどんどんソフトウェア志向になってきているからです。例えばちょうどソニーがVAIOの売却を発表し、今四半期の彼らの損失は10億ドルにも上りました。その原因は、ハードウェアの品質の追求です。しかもVAIOをより効率的に使うためには、他のソニー製品が必要でした。ユーザーを1つのブランドに縛りつけていたのです。ユーザー視点に立っていたとはとても言えません。
一方でiPhoneは、macbookにもWindowsにも接続可能です。しかもすごくソフトウェアを重視した作りになっています。iPhoneにあるGPSは、今自分がどこにいるかを教えてくれます。iPhoneからインターネットを経由して世界中にある端末とつながります。iPhoneを持てば、皆さんは世界とつながれるのです。電話機能に限らず位置情報機能もあります。触れるだけでOKで、キーボードは必要ない。Siriを使えばiPhoneは私の声に反応します。地図もあるし、ビデオ機能もあります。財布にもなります。iPhoneさえあれば、他のハードウェアは必要ないくらいです。
誤解しないでいただきたいのは、私はiPhoneが他よりも素晴らしいということを言っているのではありません。他にも素晴らしいデバイスがたくさんあります。その中でもiPhoneは、ハードウェアはユーザーとソフトをつなぐ"水路"にすぎないことを自ら示したと言えます。以前私は、たくさんのデバイスを持ち歩いていました。携帯、PDA、電子書籍、財布、カレンダー、電子辞書・・・でも今は?iPhoneだけです。iPhoneはただの箱であり、その中に皆さんが何を入れるかによって、その箱で可能になることが増えていきます。新しいアプリがどんどん生まれているのはそのためです。アプリがiPhoneの価値を高めています。
これがガラケーだと、新しい機能が欲しくなったら新しい商品を買わなくてはいけませんでした。僕が最後に買ったガラケーは5万円。とっても高いですよね。でも今は、その必要はありません。アプリをダウンロードするだけです。ものすごく安くすむし、無料のアプリもありますから。
■ もし名古屋で成功すれば、どこでもビジネスできる
ビジネスについてお話しましょう。今では日本で自分の会社を起こすのはとっても簡単です。でも私の友人は言いました。「名古屋でうまくいったら、あなたはどこでもビジネスできるよ」と。名古屋は恐らく、日本で一番商売するのがキツい場所でしょうね。その理由を挙げてみます。
1. コネが全て。名古屋では全員が知っている者同士です。
2. 財布のヒモが固い。典型例は、お店の開店祝いの大きな花輪です。開店式が終わってから1時間以内に、近所のおばあちゃんたちが集まってきてお花を花輪から抜いて帰宅(爆)
3. 請求書は2枚用意。1枚目は高い金額が書いてある請求書、それで苦い顔をされると「では、この金額はいかがですか?」と2枚目が来る。見積書ではないですよ、請求書ですよ!東京では見たことがありません(笑)
ここでさらに「なぜITビジネスを名古屋でするのが難しいか」をお話したいと思います。その一番の理由は、名古屋が自動車の街だということです。私たちはトヨタの所有物(笑)みんなトヨタで働いています。もちろんそうでない人もいますが、その人はトヨタの子会社で働いているか、もうすぐトヨタで働くことになるか、そのどちらかでしょう(笑)
ソフトウェア畑の人間として、私はハードウェアや電気系のエンジニアに敬意を表します。彼らのような仕事は私にはとてもできません。でも、とっても動きが遅いことが気になります。私はソフトウェア開発のスピードの速さが好きだから、余計にです。彼らの動きが遅いのは、自動車のテクノロジーの変化の周期が10年単位だからです。
つまり今走っている車に搭載されているテクノロジーは、10年前に開発されたもの。一方でIT業界では、10年前はどうだったか?Facebook無し、iPhone無し。iPhoneの最初のアプリが出たのは2008年です。
加えて自動車業界で煩わしいと感じるのは"開発者は何も決められない"ということです。彼らの上の人間に決定権があります。マネージャークラスが決定権を持つという文化があることの表れであり、実際に現場でソフト開発に携わる者は何も決められないことの証でした。本来は開発者こそが開発をコントロールすべきなのに、単なる歯車の一つの歯に成り下がっている。シリコンバレーとは真逆だと思いました。
それでも、私は名古屋で日本式ビジネスが学べたことを嬉しく思います。なぜなら私の友人が言ったように、もし名古屋で成功したら、世界中どこでもやっていけるからです。
■ 日本を助けたい。だから僕は日本にいる。
私の会社のミッションである「日本の技術を咲かす」の話に戻りましょう。もっと踏み込むと「日本の社会を咲かす」にもつながると私は思います。
日本には、まだ手つかずのものが社会にも労働力にも存在しています。例えば"主婦"と呼ばれる人の数は、日本ではすごく多いです。出生率が下降している中、まだ誰もが開拓していない人材が存在します。一方で2030年までに日本の労働力は18%減少、消費者人口は8%減少すると言われている今、日本社会は能力を持て余している人たちを労働力として活用できるように変わらなくてはいけません。中でも私たちが活用していない豊富な人材が存在します。それは先ほども少し言いましたが、主婦層です。
私はアメリカでたくさんの人たちと仕事をしてきましたが、その人たちは主婦で、キャリアはあっても子どもたちを育てるために職場を離れざるを得なかった人たちです。その人たちが社会復帰し、私と一緒に仕事をしてくれました。
そのような人たちの中には、アメリカの州立銀行のマーケティング部門担当副社長にまでなった女性がいます。その方は今は私の会社のマーケティング担当です。しかも彼女は現役の主婦でもあるのです。
技術と社会を咲かす話に戻りましょう。どうすれば私たちは物事を改善できるのでしょうか?その鍵となるのは"自分がやっていることに注意を払う"ことだと思います。
5%しかやらなかったりするのは論外、80%でもまだ足りません。そして「これが当たり前」だとか「常に正しいことだ」とは思い込まないようにして下さい。自分のやっていることが本当に正しいことなのか考え、もしそうでないなら、より良い方法を見つけて下さい。自分のやっていることに対しては必ず振り返りの機会を持ち、さらに素晴らしいものに仕上げるために余力を注いでください。これこそが成功への一番の道であり、皆さんの生活をより良いものにする一番の方法です。
この言葉を覚えておいてください。「中途半端にやるな」。実行するのは難しいかもしれません。でもそれが、私たちがさらに素晴らしいものを作り出すための方法なのです。世界は絶えず変化しますから、皆さんの過去の業績を超えるものを絶えず作り出して行かなければいけない。そして特にビジネスにおいては「人がそれらを正しいと思うから自分もそう思う」などということは禁物です。テストをし、自分の立てた仮説に確かな裏付けをし、自分の起こした行動の理由と結果について深堀りする。それらが必要になってきます。
今日何かについてここでテストしたなら、再び別の場所でテストする。失敗することもあれば成功することもある。それらの経験から学びながら、私たちは前に向かって進んでいます。これがいわゆる"前のめりに倒れる"ということなのです。
私は、日本はきっと立ち上がると思っています。そのためには少しだけ大変なこともしなければならないし、前に進んでいかなくてはなりませんが、私はそんな日本の力になりたい。だから私はここにいるのです。
■ キースさんにとって、日本って何ですか?
故郷です。
人はよく私に「キース、君がアメリカで今の仕事と同じことをすれば、日本の3倍は稼げるよ」と言います。それは本当です。でも一体なぜ私は日本で仕事をしているのか?それは私が日本を愛しているからです。
日本は、私の故郷です。
【キースさん関連リンク】
デルフィネット株式会社:http://jp.delfi-net.com/
【関連記事】
(2014年6月18日「My Eyes Tokyo」に掲載された記事を転載)
%MTSlideshow-236SLIDEEXPAND%