「私の家庭は貧乏だったけど、貧困ではなかった」
2年前の春、大学4年生だった当時の内山田のぞみさんは、ひとり親や児童養護施設で育った学生たちとのミーティングで力強く語ってくれました。
「貧乏」と「貧困」の違い。あなたは、何だと思いますか?現在は営利企業に勤める内山田さんに、当時の思いや今感じている課題について話を聴きました。
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困っていれば困っている、辛かったら辛いって思っていい
――学生時代の活動を振り返って、印象に残っていることはありますか?
夏休みに開いた高校・大学生世代の合宿で、参加者や班のメンバーに話したことはとても覚えています。
私は「困っていれば困っていると、辛かったら辛いと思っていいんだよ。」ということを話しました。
振り返ると、NPOのインターンで子どもたちに勉強を教えていた時の経験から出てきた言葉だと思います。
家庭や経済的に大変な状況の子どもが幸せそうにしていて、逆に、状況的にはそこまでではない子どもがつらいという話をしていました。感じる困りごとは、人それぞれ違うんだなって。
あとは自分自身も確かに経済的に大変な家庭だったけど、私自身は幸せだった。
今だから幸せだったって言えるけど、そのときはすごく辛くて「なんで生まれた環境で人生変わんなきゃいけないんだ」とか「生活保護をもらえば色んな支援があるのに、単に苦しい母子家庭だと何の支援もない」と感じていました。
インターンでの子どもとの出会いや自分の経験から「困ってたいら困っていると、辛かったら辛いと思っていい」という思いが出てきたのだと思っています。
――その思いの裏側には、合宿自体で得たものもあった?
それもあったと思います。同じ班だったメンバーには、引きこもりや高校中退など色んな背景のある人が集まっていていました。
楽しそうに話をしているけど、話を聴くとすごく悩んでいるし、結構聴いたのは「こんな悩んじゃいけないような家庭状況で悩んでしまって、ごめんなさい」という話でした。
メンバーの一人が、他の人の話を聴いたあとに「こんなことで悩んでていいのかな」って。「いや、本人が悩んでいるんだから、それは誰かと比べるものじゃないよ」と話をしました。
「普通の人」として生きていこうと思っていた
――では、あすのばでの活動を始めた頃を振り返ってはどうですか?
正直、大学4年になってからはボランティアを辞めて「普通の人」として生きていこうと思っていました。
大学時代、子どもたちに勉強を教えるNPOでインターンを1年間しました。また、大学3年の終わりには子どもの貧困の当事者として、取材を受けました。私の想像していた「普通の大学生」からは少し離れているなと感じました。
だから、学生最後の1年間はアルバイトをしつつ程よく遊んで普通の学生生活を送ろうと、その時は考えていました。当初は、このような活動する気は全くなかったです。
ただ、ある日インターンをしていた団体の代表から「面白そうな会議があるから、行ってみない?」と言われ、軽い気持ちで会議に参加しました。それが、あすのばの設立準備ミーティングでした。
――何がきっかけとなって、あすのばの活動をしようと思ったの?
その最初のミーティングで集まったとき、学生から理事を決める話がありました。母子家庭だということ、金銭的に厳しい家庭でも大学に行けたということ、NPOで子どもたちに勉強を教えていたということから、私も理事なるのかなと薄々感じていました。
はじめはそこまで前向きではありませんでしたが、その会議が一つのきっかけで自分が子どもの貧困に対して思いがあることも一方で感じていました。
でも、理事に就任するまでが辛かったです。不安もあったし、インターンをしていた団体の代表にも挨拶へ行くと厳しめの言葉もいただきました。
できあがったばかりの団体なので、どんな活動をしていくのか、何のための団体なのか、全て理解しているわけではありませんでした。そんな状況で「理事」という肩書きは、無責任だと自分で感じていました。「ああ、理事をやっていいのかな。どうしようかな。」と正直思っていました。
子どもとの出会いそのものが、私を変えてくれた
――今は営利企業に勤めているけど、今後もNPOに関わりたいと思うきっかけは?
学生時代の経験がなかったら、そんなことは思っていないと感じています。
お金を稼ぐことや、自分が成長することが働く意義だと思っていました。でも、働く意味はそれだけではないと、社会人になって感じています。学生時代の経験は、良くも悪くも本当に私の人生を変えられました。
現在は、「活動」とまではいかないですが、あすのばに関わっています。学生とご飯に行ったり、合宿に参加してお手伝いをしたりしています。
実は、後輩たちに責任を感じています。当時の4年生が中心になって団体を立ち上げて1年間走り続けて、そのまま卒業していなくなりました。
ついてきた先輩がいなくなれば、後輩は何して良いか分からないのも当然です。学生のモヤモヤを少しでも軽くできたらと思って、よく学生と一緒にご飯に行って話を聞いています。学生のメンター的な存在になれればと思っています。
――努力家で、ばりばり頑張ってきた内山田さん。なぜ子どもに寄り添うことができるの?
それは、インターンでの経験が大きいです。最初は、優秀な人材を育てたいと思って子どもたちに勉強を教える活動を始めました。でも、行ってみたら全然勉強しない子どもがたくさんいて、衝撃を受けました。
でも、子どもたちと過ごす中で「この子たちもこの子たちで、頑張っている。全てが子どもの責任というわけではない」と感じました。もちろん甘いなと感じることもありますが、厳しく指導することだけでは子どものためにならないと思いました。
だからこそ、子どもの貧困は理解されにくいと思うこともあります。理解されない理由は、大きく2つあると考えています。
1つは、良い環境で育ってきた人の中には自分の力だけで生きてきたと思う人もいます。経済的に苦しい状況にある子どもの置かれている環境や背景に、なかなか気づくことができないのかなと思います。
もう1つは、経済的に苦しい状況を生き抜いてきた人は、すごく努力をしてきた人です。だから、子どもに努力が足りず自分の力で何とかなるという気持ちになってしまう。
意外と大変な中で育ってきた人で、冷たい意見を持っている人もいます。私も、昔はそうだったかもしれないけど...。
――そうならなかった、出会ってきた子どもとのエピソードは何かありますか?
エピソードというよりも、その子どもとの出会いそのものが、私を変えてくれました。だからこそ、きっかけさえあれば理解してくれる人もまだまだ増えると思っています。
「子どもの貧困」という言葉に限界。まだまだ伝わっていない
――「子どもの貧困対策法」成立から5年が近づいてきました。今、課題に感じることはどのようなことですか?
子どもの貧困という認識が広がり、先日の衆議院選挙でも各党が公約に掲げていました。涙が出そうなほど、嬉しかったです。一方で、「子どもの貧困」は知っている人は知っていて、知らない人は全く知らない。それがとても顕著だと感じています。
それってまだまだ理解されていないということだから、一つの記事や話題が一時的に盛り上がっても、理解の浸透につながっていない。そのことが一番の課題かもしれません。
また、「子どもの貧困」という言葉にも、伝えられる限界を感じています。例えば、「子どもの貧困」という言葉を、子ども本人に向けて使わないようにしています。
私はそれっておかしいと思っています。「世界は広いよ」、「夢や希望があるよ」など嘘八百みたいな言葉を並べて、そういうのは嫌いで。
しっかり子どもたちに現状を伝えて「あなたたちは悪くないよ」と言うことができない。「子どもの貧困」という言葉で社会に知らせようとしているのに、当事者の子どもに言えないのは、すごく気持ち悪い状況だと思っています。
伝えたつもりでいても、伝わっていないことは多くあります。私も後輩や子どもたちと接するとき、どうすれば私が伝えたいことが伝わるのか、とても考えます。
一つとして、今一度、この問題を理解している一人ひとりがこの問題を知らない友人や周りの人に伝える努力が必要だと考えています。
――ありがとうございました。
<内山田さんへのインタビューを通して考えたこと>
現代の貧困は、所得を順番に並べて真ん中の所得と比較して測る相対的貧困で「貧しさ」を定義づけました。しかし、その「貧しさ」から生じている「困りごと」や「しんどさ」は子ども一人ひとり違って、それは比べるべきものではありません。
政策や支援制度は、税金を使うなどの性質上ある一定の「線引き」は仕方ないのかもしれません。みんなが納得できる議論も必要です。
ただ、「本当の貧困探し」や安易な「苦労比べ」は、困りごとやしんどさを深刻化させてSOSを出しづらい社会的孤立を生み出します。そこに、単なる所得上の貧乏と、貧困の違いがあります。
みんなが大変な時代で、所得の多い少ないに関係なく困っている人がたくさんいます。その困っているという気持ちを、自身も含めて先ずは社会全体で受け止めることから解決への道が開かれるのではないでしょうか。