●「がん」がもたらした奇跡~永遠の舞姫に捧ぐ~
親愛なる友人にして、がんサバイバー当事者研究の共同研究者、星槎大学大学院では教え子で、いろんなことを教えてくれた人生のちょっと先輩の、吉野ゆりえ(本名:由起恵)さんが旅立たれました。7月30日の昼前のことでした。
「エンドポイントは『神のみぞ知る』と思っている。その最後の瞬間まで、生かしていただいていることに感謝し、人様や社会のお役に立てるよう、この『いのち』をキラキラと輝かせながら生きていきたいと、『10年生存』を達成した今願っている。」(吉野由起恵、2016、36-37頁)
今年3月に修士号を授与された彼女の修士論文は、こう結ばれています。まさに最期まで、キラキラ輝いていた人生でした。マスコミ、ダンス界、がん患者・がん関係医療者等に、多くの友人・知人がいるゆりえさんなので、各界からの追悼文が出されることと思いますので、本稿では筆者と関わりの深かった、ゆりえさんの当事者研究について書き綴っていきたいと思います。
●出会い
ゆりえさんは筑波大学在学中に「ミス日本」に選ばれ、社交ダンスのプロのダンサーとしてデビューし、イギリス留学などを経て世界的に活躍し、競技ダンスの審査員や指導者としても重要なポジションを務めていらっしゃいました。そのような時「忘れられたがん」(Forgotten Cancer)と呼ばれる希少がん「肉腫」(サルコーマ)に罹患しました。2005年のことです。「5年生存率7%」といわれる中、19度の手術と6度の放射線治療と5クールの抗がん剤治療を克服し、2015年2月には「10年生存」を達成されました。
そんなゆりえさんとの出会いは2010年2月、まだ筆者がボストンに住んでいた頃でした。ゆりえさんの筑波大学での後輩で当時ハーバード大学ケネディ行政大学院在学中の友人が、筆者がアメリカの患者会のアドヴォカシー活動について研究しているのを知り、日本でがん患者として様々な活動をされているゆりえさんを紹介してくれたのでした。
そして2010年3月2日、筆者の一時帰国中に、ゆりえさんからお話を聞かせていただくことになりました。小雪交じりの日でしたが、待ち合わせ場所に現れたゆりえさんは、黒のロングコートにピンクのニットアンサンブルをまとい、大輪の薔薇の花のようでした。サルコーマセンターの設立に向けての活動や視覚障害のある方も参加できるブラインドダンスの啓発と普及、いのちの授業などについて情熱を込めてお話してくださいました。
この時、彼女はがんに罹患してちょうど5年目。5年生存率7%といわれているので、この場にゆりえさんがいらっしゃること、そしてその後も生き抜いて、たくさんのご活動をされてきたこと自体が、まさに奇跡だったのだと思い返されます。
●星槎大学大学院へ
やがてゆりえさんは、東京大学医科学研究所の上昌広教授の研究室に籍を置き、東大大学院経済学研究科の松井彰彦教授の「社会的障害の経済理論・実証研究」(REASE)のプロジェクトメンバーとして研究活動を行うことになりました。
ある時、ゆりえさんと、ゆりえさんを紹介してくれた友人と筆者の3人で、医科研近くで食事をする機会がありました。当時、友人は博士号取得目前で、研究を続けて大学教員の道を進むか、政界あるいは経済界で活動するのかを考えているなどという話をしていました。その時ゆりえさんは、「私は学部しか出ていないから」と、いつになく弱気なつぶやきをもらしていました。
それは筆者の心にずっとひっかかりとしてありました。こんなに豊かな見識、患者への理解、行動力もある人が、学位を持っていないだけで何か引け目を感じたり、活動が制限されてしまったりするのは、本人にとっても社会にとってももったいないと思ったのでした。そこで、勤務校の星槎大学が2013年から大学院教育学研究科をスタートさせることになっていたので、ゆりえさんに、星槎で修士号を取ったらどうかとお勧めしました。ゆりえさんはその場で、ぜひ挑戦してみたいとおっしゃいました。
いったん決めてからのゆりえさんの行動はいつものように素早いもので、出願書類を整え、入試に臨み見事に合格され、2013年4月からは星槎大学大学院生としての生活がスタートしました。これまでの仕事や活動をすべて継続しながらの院生生活だったので、時間的にも体力的にも大変だったことが容易に想像されます。それでも彼女の頑張りは続きました。
●当事者研究
筆者は、ゆりえさんの修士論文の主査を務める指導教員として関わることになりました。ゆりえさんの入学当初の修士論文のテーマは、「いのちの授業」を行うことによって、児童・生徒たちのいのちに対する考え方がどのように変わってゆくかを分析するというものでした。
がん患者であることを公表して以来、ゆりえさんは、患者さんや医療関係者や一般の方々を対象に、病院や学会や講演会・イベントなどで、がんサバイバーとしての話をしてきました。やがて、大人だけでなく次世代を担う子どもたちを対象に、いのちの大切さや今という時間の貴重さ、自分を大切にすることや他者を思いやることを知ってもらいたいという思いが募り、「いのちの授業」を行なうようになりました。
その際には、「授業」であることから、事前学習としてご自身のビデオを見てもらったり、「授業」の事前・事後にアンケートに答えてもらったりしていました。時には自発的に感想や手紙を送ってくれる子どもたちもいて、ゆりえさんを喜ばせました。
アンケートや手紙などを見ると、子どもたちが「いのちの授業」から多くのことを学び、病気や障がいのある人たちに対して自分ができることは何かと模索するようになったことが見て取れました。「いのちの授業」はとても重要な取り組みであることが分かり、これをもとに修士論文を書いていこうを話し合っていました。
ただしこの頃、ゆりえさんの活動は「いのちの授業」だけでなく、ブラインドダンス、リレーフォーライフ、社会的障害の経済理論・実証研究など数多くあり、修士論文の研究として表現したい内容を、「いのちの授業」一つに絞り切ることがなかなか難しいようでした。筆者もそのように感じていたので、ある時、「ゆりえさんの生き方自体を研究としてまとめてみたらどうかな」と言い、当事者研究を勧めてみました。
当事者研究には様々な形がありますが、病いや障がいのある当事者が、自らの経験や重要な他者との相互行為の中から、問題解決をしたり、新しい価値を作り上げていったりする主体的な営みのこと、と筆者はひとまず理解しています。
当事者研究は、北海道浦河町にある統合失調症などをかかえた当事者たちによる「べてるの家」の活動で有名になりましたが、当事者が自らを語ってゆき、その語ることが本人のエンパワメントにつながり、さらに重要な他者と共助関係になり共にエンパワメントされることが、このアプローチの魅力だと考えられます。
そこで、ゆりえさんの「いのちの授業」も含めたこれまでや現在の活動を、ライフヒストリーの手法でまとめ上げ、がんサバイバー当事者の運動として意味づけ、それが自分にとっていかなる意味を持っていたのか、そしていかなる社会的変化をもたらしてきたのかを分析してはどうかと提案したのでした。ゆりえさんは、最初「私のやってきたことが研究になるのですか」とおっしゃっていましたが、すぐに重要性を理解して「ぜひそれでいきましょう」ということになりました。
●個人と社会の影響循環増幅理論
患者の病いの経験に関しては、ちょうど筆者の博士論文を基にした脳卒中になった方々への聴き取りをまとめた著書がありましたので、ゆりえさんはそれを参照して「病い」についてこれまでになされた先行研究を批判的に検討されました。ちなみに「病いillness」というのは、医療者から見た「疾患disease」と対比される、当事者からみた病気に関わる経験や認識のことを指します。
ゆりえさんは、「病気になることによって個人が変容する」ことは、多くの闘病記などによっても語られ明らかになっているけれど、それにとどまらず「変容した個人が社会に影響を与える」こと、そして「その影響を受けた社会の結果がまたその個人をエンパワメントする」こと、さらに「その循環が多くの人を巻き込んで増幅していくのではないか」という展望を、ご自身のこれまでの活動を振り返って考えてこられました。
これらのことは未検証であるので、修士論文ではこの可能性をがん闘病と並行したさまざまな活動の事例を元に検討し、明らかにしてゆくことがテーマになりました。
「がんに罹患した私だからできること、がんに罹患した私にしかできないこと」があると確信するゆりえさんは、サルコーマセンターの設立やブラインドダンスの創設や「いのちの授業」の実施によって、どれだけの患者が救われてきたのか、視覚に障害のある方々の生きがいが創出できたのか、子どもたちが生の尊さを認識したかを知り、それが自身の大きな励みになっていました。
そしてそれを、「変容した個人が社会に影響」を与え、「その影響を受けた社会がまたその個人をエンパワメントする」ことにより、活動の範囲は拡大し次第に深くなってゆくと分析し、個人と社会との影響の循環が増幅していくことを明らかにしました。(吉野由起恵、2016、P.36)
こうした研究で2016年1月に修士論文を提出し、口述試験も通過して、修論審査会では副査を含む多くの審査員から高い評価を得て、修士号を授与されました。
●キャンサーギフト
筆者のゆりえさんとの思い出は、これまでに交わした膨大なメイルやFacebookのメッセージを見返すにつれ、尽きずにあふれてきます。ゆりえさんのライフワークであるブラインドダンスを含むインクルーシブスポーツ関係で共著論文を刊行したり、2014年7月の国際社会学会(ISA・4年に1度開催される世界最大の社会学会)では、"Grass-Roots Healthcare Reforms: Collaboration Between Patient Support Groups and Medical Professionals"(草の根的な医療改革-患者会と医療者との協働)と題した、患者アドヴォカシー活動についての共同発表をしたりしました。
抗がん剤はご自身の判断で使わないでいたゆりえさんでしたが、2015年春になるとがんは手術や放射線治療では取り切れなくなり、抗がん剤を使わなくてはならなくなりました。それでもゆりえさんは、これまで通り「いのちの授業」を続け、月刊誌「かまくら春秋」での連載を続け、修士号を取得し、ご自身の本が出版されるのを楽しみにしていました。亡くなる前日の7月29日に、病室の枕元に『三六00日の奇跡ーがんと闘う舞姫』を届けることができ、お祝いの花と共に喜んでいただけました。
『三六00日の奇跡ーがんと闘う舞姫』は、修士論文や「かまくら春秋」での連載がもとになっていますが、がんと共に生き、ますます輝いている姿が行間から見てとれます。このゆりえさんの本には、もう一つタイトルがあります。それは『キャンサーギフト すべてのがん友に捧ぐ』です。いろいろな事情からこちらは採用となりませんでしたが、ゆりえさんの気持ちがこのタイトルに込められています。
がんになってからの生を、ゆりえさんは「ギフト」として受け入れ、すべての「がん友」のために活動し、その活動がさらに自分の喜びや楽しみとなっていました。
ゆりえさんの存在自体が、奇跡であり、私たちにとってのギフトだったような気がします。現在の医療と社会に関して、ゆりえさんが残してくださった宿題も沢山あります。その宿題に、ひとつひとつ取り組んでいき、誰もが誇りをもってよく生きることのできる社会に、少しでも近づけるよう努力したいと思います。
ご自宅に戻ってこられたゆりえさんは、いつものように本当にお綺麗で、穏やかなお顔でした。常に自分で納得して選択し、見事に生き切ったゆりえさんのご冥福を、心からお祈りします。
参考文献
・吉野ゆりえ、三六00日の奇跡ーがんと闘う舞姫、星槎大学出版会、2016年
・吉野由起恵、個人の障がい「病い」の経験が社会に与える影響の研究-自分自身のがん罹患体験を検証して-、星槎大学大学院教育学研究科修士論文、2016年
・細田満和子・渋谷聡・吉野ゆりえ、インクルーシブスポーツの課題と可能性-共生社会におけるスポーツについて-、共生科学研究10号、136-144頁、2014年
・細田満和子、脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学、青海社、2006年
(2016年8月30日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)