大学を中退した後、何がしたいとかどんな会社に入りたいもない僕は、相変わらず釜飯屋のデリバリーのバイトをしていた。
さすがに母親からも「いい加減にしなさい」と叱られて、渋々求人を眺めながら就職活動を始めた。
なんか格好よさそうだなとか、この会社聞いたことあるといった会社は大概応募条件が大卒以上となっていて、ここで初めて大学中退のダメージを知る。
そこで止まっていても仕方ないので、高卒でもOKな求人を探していると、高額求人に目が留まった。
意外と小心者の僕はそんな話ある訳がないといった恐怖心と、自分に出来る訳がないと決めつけて高額求人はスルーした。しかし本当に選択肢がない。というより選択肢の中で、僕は一体何がしたいのかがわからず月日が経っていく。
見兼ねた父親に「ちんたらやってると家業(配管工)を継がせるぞ」と威圧され、それはどうしても嫌だった僕は、急ぐように求人の中から聞いたことのある某カメラメーカーの契約社員の募集を見つけ、
勤務先も地元近くだったこともあり勢いで就職を決めた。
あまり仕事内容も理解せずに就職したその職場は、どうやら製造工場のような感じだった。
ライン作業というやつだ。
ひたすら決められた行程で部品を設置するという気が遠くなるような感覚の中で、睡魔と戦いながら「これは僕じゃなくてもいいんじゃないか」と葛藤しながら日々を過ごした。何人か同年代の同僚と仲良くなれたのが唯一の救いだった。
時間の経過する感覚がとてつもなく長く感じ、「今、何分経った?え、10分しか経ってないの?」といった感じを繰り返していた覚えがある。当然成長意欲などなく、ただ「怒られないようにミスだけはしないようにしよう」といったレベルで仕事をしていた。
我慢の出来ない僕は気が狂いそうになる感覚に耐えられず、この仕事を確か3ヶ月程で退職した気がする。
呆れた母親が中学時代の野球の恩師に相談したころ、ちょうど僕以外の先輩に就職先の紹介をするところだったらしく、高卒枠でこんな僕をねじ込んでくれた。オフィス機器メーカー2部上場の会社だった(当時の僕は上場なんて言葉の意味をわかっていなかった)。
全国に営業所があるその会社は、配属を決めるまでの約半年間は研修で全国各地にある工場や営業所などを回って、川下から川上までを見て覚えるといった、かなりしっかりとした内容だった。
大阪を中心に様々なところへ行き、先輩と一緒だったこともあって楽しい記憶(業務外の遊び)もそれなりにはある。
そんな丹念に新人研修をする素晴らしい会社ではあったが、当時の僕はそれを感じることは出来ず、
何の売り上げも貢献していないのに腐り始めていた。まだ始まってもいなかったにもかかわらずである。
キッカケとなったのは研修期間中の配属先支社での食事会の際、課長の給与を聞いてしまったことだった。課長は「そんな貰ってるわけないやろ。月30万も貰ってないわ」といった感じの言葉を聞いて絶望した。25年後の未来が見えてしまったからだ。
それから僕は急激に脱力してしまう。毎日辞めたいと思うようになり、無気力にただ通勤して耐えて退社を繰り返していた。そんな日々を送っていた為、ほとんど記憶にない。
研修から半年経ったある日、所属が決まった。東京支社だった。今考えれば東京支社は花形なはず。
もしかしたら少し尖ってみえる僕に、会社は将来に期待を込めて東京で教育しようと思ってくれていたのかもしれない。明らかに他の支社とは違う良い空気を帯びていたからだ。
ただ、この時僕はもう決めてしまっていた。退職の意思を。
甘ったれのクソガキな僕は、自分を正当化して辞める口実を探した。
どうせ辞めるなら早い方が会社にも迷惑がかからないし、と直ぐに退職意思を伝えた。
当然早すぎる退職の打診に会社は少し騒ついた気もするが、もう覚えていない。気がかりだったのは、
このような素晴らしい会社を紹介してくれた恩師に対してである。僕は最低限の謝罪の意味を込めて頭を丸めて恩師の自宅に伺った。愛ある叱咤とビンタを食らう覚悟をして。
しかし恩師は呆れ顔で怒鳴ることもなく「いくら何でも早すぎるだろ・・・」といった感じで仕方なしに諦めた様子だった。本当に申し訳ない気持ちもあったが、切り抜けられた安堵感も正直半分はあった。
相変わらず親不孝な僕は健在だった。
今思えば縁あって入社させてもらった会社だし、何もない僕が名のある企業に正社員として入社させてもらえたことや、東京支社に配属させてくれた事は本当にありがたいことだったと思う。2~3年あるいは
1つ何かを成してから、何かを身につけてからの退職の方がもっと意味を持てたし、周りを傷つけなかったのかなとは思う。
ごく最近、恩師が病で亡くなったので、今は余計そう思うのかもしれないが。
そんな経緯で初めての正社員を半年で退社した。社会に出て、周りの支えや優しさに気付かず、相変わらず自分の事しか考えられない我儘ばかりが先行する学生時代と何ら変わらない僕だった。このとき20歳。
第3話に続く