一国の経済において人口減少がもたらすデメリットを日本人が今ほど感じていることはないだろう。少子化が叫ばれて久しいが、これが人口減少という形になって、ようやくその影響が身にしみてきたようだ。
人口減少が問題であれば、人口が増えるようにすればいい。婚姻家庭当たりの出産数を上げるか、婚姻数を上げるか。その障壁となっているのが女性の晩婚化・晩産化傾向で、これを解消しようと女性の結婚・出産意識向上のために政府が打ち出した「女性手帳」に批判が相次いでいる。
「女性手帳」は、いかに30代前半までに結婚・出産をするのが合理的かを普及啓発するために政府が若い女性に配布する計画であるという。筆者の目にする批判の多くは、この計画は女性の晩婚化を「女性の意識」のせいにしている、国家は人の生き方にとやかく言うべきではない、という論調である。この点においては筆者も頷けるところが多い。
しかし、いろいろ調べてみると、政府の施策には多くの措置が含まれている。安倍総理は4月19日の「成長戦略スピーチ」で、民間企業に女性役員の登用、認可外保育園の支援、保育士の復帰促進による実質的増員などについても触れている。その第一段ともいえる施策が、5月2日に規制改革会議で厚労相が表明した株式会社の認可を促す通達である。これは2015年4月に施行予定の子ども・子育て関連3法に含まれるもので、それを前倒しで実施するというものである。
筆者の感想としては、確かに、頑張っている。
もちろん、不十分な点もある。例えば、子ども・子育て関連3法で確かに株式会社も地域的保育として認可、支援を受けられるようになるのだが、他方で、同法の目玉の一つである「幼保連携型認定こども園」制度では、依然として設立主体は国、自治体、学校法人、社会福祉法人に限定されていて、株式会社は排除されている。認可は、法人の形式によるのではなく、実質的基準で行うべきである。
それに、保育時間の延長や24時間化などの問題も取り上げられてはいないようだ。ひょっとするとこれは保育サービスの多様化の中で自然に解決されると考えられているのかもしれない。自分の周囲にある保育園に子供を預けるママさんたちの意見を総合する限りでは、むしろ保育時間を前提に自分の仕事を探しているケースも多く、保育時間の問題が女性の就業選択の幅を狭めていることは間違いないと思う。この問題は明示的に取り上げるべきではないか。
さらに、「育児休暇3年制」は適切な効果を得られるのか疑念も多い。むしろ、これは女性を雇用すると育児休暇で3年間職場を離れてしまうという危惧を強くして、雇用側に女性の雇用を敬遠する負のインセンティブを与えてしまうと筆者は思う。
しかしこうした不十分、あるいは問題はあるとしても、見るべきものもあり、期待をもって続報を待つべきものが多いと筆者は思う。にも関わらず、そうした諸点が評価されないのはもどかしくもある。本来は、「女性手帳」のような小さなことだけではなく、こうした実効を目指した政策こそが報じられ、論じられるべきであるのに、と。
筆者は、こうした評価がなされる背景には、安倍総理の日頃の言動があるように思っている。例えば、安倍総理は「女性は家庭で育児に専念せよ」と主張していると批判される親学推進議員連盟の会長をつとめているし、そもそも歴史認識などに関する「復古的」とも言われる主張が、ひいては家父長制の強かった頃の日本社会を肯定しているかのように見られているのではなかろうか。目下、安倍政権は総じて肯定的に評価されていると思うが、それはいわゆるアベノミクスが奏功しているなど実質的な政策の結果であって、安倍総理のこうしたイメージは安倍政権の足を引っ張るだけであるように思う。これは極めて残念なことである。
そもそもジェンダー問題はこの男性、女性という問題、使いたくない言葉を敢えて使えばジェンダー問題は、極めて取扱いが難しい。それは、論ずる我々のだれもが男性か女性かどちらかであって、中立者がいないからである。そこに「女性手帳」によって女性「だけ」に啓蒙普及をするというのであれば、これは批判をあびても仕方ない。
政府は、もう少し、政策の見せ方をうまくやらないといけない。先日、ニコニコ超会議2に現れた安倍総理は、ストレートメディアといってもストレートではなく、ネットこそそのままに政治家の言葉を伝える、と語った。今回のことも、マスメディアが「女性手帳」のことをことさら強調しすぎだと言えるのかもしれない。ならば、マスメディアを介した間接的な手法に頼らず、政策を分かりやすく国民に直接伝えることに腐心すべきだろう。しかしながら、少なくとも、筆者が確認のために読みといた関係資料は、お世辞にも分かりやすいものではなかったということは申し上げておきたい。
そして、印象形成的にマイナスが大きい、そして実際の効果がたいしてない施策については、果敢に止めることも決断である。具体的に言えば、政府は早急に「女性手帳」プロジェクトの旗を降ろすべきだということだ。女性の反発を買う「だけ」の政策が、どんな意味を持つというのか、筆者には理解できない。
だいたいですね、女性の晩婚化傾向は女性にだけ責任があるものではない。結婚を持ち出しても男性側が煮え切らないという意見は多く聞くし、そもそも女性に結婚したい、出産したいと思わせられる魅力ある男性陣が十分でないことも原因だとはいえないか。筆者は男性なのだが、あえて言えば、我々男性陣にもそれなりの責任はあるのではないか。
だから、我々が女性たちをつかまえられない、そのために出生率が下がって国民経済を収縮させているのだというのであれば、いっそのこと一夫一婦制を見直し、魅力ある我々男性陣の代表足る優秀な方々に何人も女性を魅了してもらえばどうか。とか、トンデモな暴論を言う気はないけれど、「男性手帳」も配布して、妙齢の男性たちが国家経済の将来と(多分、いると思うのだけど)気に入っている女性の幸せのために、どこまで奮起して仕事と恋に頑張らなければならないかを啓蒙普及することも考えてもいいのではないか。
大事なところはここですよ。この問題を「女性の問題」に単純に還元しないこと。その態度が、国としても、我々男性陣としても必要なのではないかと考えたところであります。
【追記】
このコラムを脱稿してから、NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さんから、委員に確認したところ「女性手帳」の話は内容が煮詰まっていないレベルのもので、新聞報道は誤報に近いとのTweetがありました。だったら、なおさら「女性手帳」はやめた方がいいよね。