【慰霊の日】広島のボランティアガイドが沖縄について知りたいと思った理由

6月23日は沖縄の慰霊の日。72年経つ今だからこそ学ぼう。そして伝えていこう。

「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。」

昨年の6月21日から6月29日まで自分は沖縄にいました。

現在自分は大学を卒業後、夜アルバイトをしながら昼間は雨の日以外ほぼ毎日胎内被爆者の三登浩成さんの指導の元平和公園でボランティアガイドをしています。

平和公園でガイドをしていて戦争を学ぶ中で沖縄戦の事を知りたい、知らなければいけないと思ったのと、沖縄を訪れる修学旅行生を対象に沖縄戦や基地問題について考えるディスカッションを企画し運営している株式会社がちゆんの同世代のメンバーと繋がりたいと思ったからです。(修学旅行などで沖縄を訪れる学校の方はぜひ調べてみてください。)

沖縄に行くのは2回目でした。

1回目は2年前に大学を卒業する際友達と卒業旅行で行きました。

その時は『ザ・観光』でした。

食べて、飲んで、遊んで、最高に沖縄を満喫しました。思い出すだけでニヤケとヨダレが出て来ます。

もちろん沖縄に行ったからには平和公園や資料館にも行きました。

...もちろんと書きましたが、実は元々それらに行く予定になっていませんでした。

せっかく沖縄に来たんだから資料館などに行って勉強しようという自分対せっかく沖縄に来たんだからもっと楽しいことをしようという4人。みんなは平和公園に行くつもりがなかったのです。

もしこれが今の国会だと完全に数の力で押し通されていたところでしたがここは違いました。前日の夜中に白熱の議論の末、友達は少数意見の自分の考えを理解してくれて結果的に平和公園などに行くことが出来ました。みんな政治にはあまり関心はないと思いますがここには民主主義がありました。

その時資料館や、ひめゆりの塔、旧海軍司令部壕などを巡って感じたのは、沖縄戦には原爆とはまた別の恐ろしさがあったということです。

原爆は1945年8月6日8時15分、いつも通りの生活を送っていた一般市民の上に投下されたのに対して、沖縄戦は1945年3月26日(4月1日)から6月23日(9月7日)までいつ敵が来るか分からない、誰が敵か分からない、民間人と戦闘員が入り混じり、殺し、殺される。そのような極限の状態が地上(壕やがま)の中でずっと続きました。

その恐怖は想像を絶するものだったと思います。こんなにひどいことがあったのか。

一通り、1回目の訪問の時にもそういうことを感じることが出来たのですが、昨年2回目に沖縄に行った時にあることに気付かされました。

沖縄戦の激戦の地、嘉数の高台を訪れた時の事です。

歩いているとそのすぐ上をオスプレイが飛んでいわきました。

瞬間的に感じたのが(なにこれ!近っ!こわ!)

前来た時、基地のことなにも考えてなかった...

昔話ではなく〝今〟起きている問題がここにあるということ。

沖縄戦、その後の米軍による占領、日本復帰、そして現在の基地問題、すべてこの土地で1つの線上で起きていることなんだということを、2回目の訪問で気付かされました。沖縄戦はまだ本当の意味で終わってないのかも。そんなことを考えました。

以前の「オバマ大統領が去った広島で、23歳のボランティアガイドが考えたこと」の中でも書いたのですがガイドグループのリーダーである三登浩成さんは「過去があって、今があって、未来があって全部繋がってるんだから、切り離して考えることは出来ない」と言っています。

現在、未来を考えるときにまずは過去(歴史)を知ることが大事だと思います。過去を学ぶことは現在の問題を考える時に大きな判断材料になります。

また1回目の沖縄と2回目の沖縄で決定的に違ったのは、1回目は自分たちでただ回っただけですが、2回目はほとんどをウチナンチュ(沖縄の人)のガイドさんにお願いして説明してもらったことです。

自分自身、広島の平和公園でガイドをしていて感じるのですが、見るだけでなく必ずガイドの話を聞いて欲しいということです。

同じものを見てもその説明を聞いて初めて理解できると思います。

例えばですが、原爆ドームの南側にあるこの説明板。じっくり読んだ人に「爆心地はどこか分かりますか?」と聞くとほとんどの人が原爆ドーム真上を指差します。

実際の爆心地はこの写真の奥に写っているすみれ色の建物の裏側です。爆心地は原爆ドームの南東約160メートル。爆心は600メートル上空です。(説明板に書いてあります)

しかし、この説明板を訪れる人は一般の観光客ではほとんどいません。

これは1つの例ですが、爆心地に象徴されるようにガイドの話を聞くか聞かないかでは理解度が全く違います。

広島に来た際はぜひガイドの話を聞いてください。

2回目の沖縄ではいろんなところを回ってその都度その場のガイドの方の話を聞かせてもらいました。

そうすると、本当に知らないことだらけでした。

もし昨年改めて沖縄を訪れてガイドさんの話を聞くことがなければ、沖縄戦について〝知ったつもり〟で終わってしまっていたのではないかなと思います。(もちろん今でも知らないことがたくさんあり、自分で本を読んだりして勉強しています。)

あとはガイドさん以外でも多くのウチナンチュと話しました。沖縄戦のこと基地のこと。話せば話すほどなにも知らない自分が恥ずかしくなり、そして、なにも知らなかった事を申し訳なく感じました。

〝ありったけの地獄を集めた〟という沖縄戦。

軍・民入り乱れての戦闘では多くの一般市民が犠牲になりました。過酷な経験から、経験者の4割近くが今でもPTSDを抱えているとも言われています。

また、琉球王国から沖縄県へ、そして沖縄戦、戦後27年間の米国統治、日本復帰。この移り変わりだけを見てもいかに沖縄が翻弄されてきたかが分かります。そして現在の基地問題。

沖縄出身のMONGOL800が戦後70周年に出した「himeyuri〜ひめゆりの詩〜」という歌の中にこのような歌詞があります。

〝平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早く〟

この歌詞が今の沖縄を象徴しているのではないかと思います。

基地問題については自分が今ここで「基地反対」と書けばどうなるでしょうか。

もしかしたら、「左翼だ」「反日だ」「北朝鮮や中国が攻めてきたらどうするんだ」とネット上に書き込みが行われるかもしれません。実際にネット上にはそのような言葉が溢れています。

これは今沖縄が、日本が抱える大きな問題だとおもいます。

自分は平和公園以外で友達や周りの人と歴史や政治の話をしたことはほとんどありません。真面目な話をすると浮いてしまう空気が今の日本にはあるからです。

ただ、不思議なことにネット上を見てみると活発に歴史や政治についての議論が行われています。しかしそこでは議論と呼ぶには程遠い、中身ではなく、相手の人格を否定したり、誹謗中傷が溢れています。

大好きな友達がその対象にされたこともあります。

自分はネットで基本的に議論をしたくありません。相手の顔が見えないからです。同じ言葉でも文字で見るのと直接顔を見て声を聞くのでは感じ方が違うと思います。そして直接話せば全てが真逆の意見なんてことは絶対に無くて、共通点を見つけていけると思うからです。

一人一人多様な意見が尊重されるべきでそれを発信する権利があります。

しかし、ネット上で誹謗中傷が増えていった結果、ただでさえ自分の意見を言うのが苦手な日本人が、自信を持って自分の意見を発信するのはとても難しくなってきています。

沖縄では特に若い世代がこの問題に直面していると思います。

これは「基地反対」「基地賛成」両方に言えることだと思います。

沖縄に行った時、地元の高校生からこのことに関していろんな葛藤を聞いた時悲しく、申し訳なくなりました。

なぜならば、広島出身の自分はそもそも高校生の時そのような葛藤を持つことすらなかったからです。

「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。」

今回の記事の最初に書いたこの言葉は、昨年の6月19日に行われた米軍族のうるま市女性遺棄事件に対する沖縄県民集会で玉城愛さんが話した言葉です。

もし、自分が平和公園でガイドをしておらず、沖縄に行くことがなく、ウチナンチュと話したことがなく、沖縄のことを全く知らず、関心がないままこの言葉を聞いていたら恐らくこの言葉の持つ意味、重さは分からなかったと思います。下手したら反感を持っていたかもしれません。

しかし、昨年沖縄から広島に帰ってきた後このスピーチの内容を知った時自分はすんなり納得してしまったのです。

それは自分が沖縄で感じた、なにも知らなかったことの恥ずかしさ、申し訳なさがそのまま言葉になっていたからです。

ちなみに最初の「安倍晋三さん。」については安倍首相にこのメッセージが届いたのか、なにを感じたのか分かりません。

もし安倍首相が当事者意識を持っているのならば、この女性の言葉でなにかしら感じることはあったはずです。

いや、感じなくてはならないと思います。

県民集会での彼女の言葉がそっくりそのまま沖縄の総意ではないということは理解していますが、「本土の人にもっと沖縄にしっかり向き合って欲しい」というのは沖縄の共通の意見といえるのではないかと思います。

自分たちは〝基地〟そのものと同時に、〝基地問題〟も沖縄に押し付けているのではないでしょうか。

基地問題は今日からでも自分たちは共有できます。他人事ではなく自分事として捉えて考えることでまずは少しは沖縄の負担を減らすことが出来るのではないかと思います。

昨年沖縄に行った後にブログにこんなことを書きました。

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沖縄の人へ

沖縄が大好きになりました!人も土地も海も。

もちろん1人1人考えは違うのは当たり前。けど周りからの声ではなくて自分の考えを大切にしてください。

そしてどんなことがあってもあらゆる戦争を否定することをやめないでください。

本当に沖縄に行けてよかったです。

ありがとうございました!

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『命どぅ宝』

こんな時代だからこそ命こそ宝という沖縄の教えから自分たちは学ぶことは多いと思います。

6月23日は沖縄の慰霊の日。

72年経つ今だからこそ学ぼう。

そして伝えていこう。

ブログ「24歳が原爆を伝えるガイド日記」

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