2011年3月11日。寺田学氏は、菅直人首相(当時)の下、首相補佐官として東日本大震災を経験した。突然、福島県に乗り込んだ菅・元首相。緊迫した状況で右往左往する政治家たち。「自分や官邸関係者には不利なこともありますが、それでも正直に記すことが被害に遭われた方や未来の方々への微かな誠意と思っております」と語る寺田氏の証言を8回にわたってハフポスト日本版でお届けします。(寺田氏が2013年に書いたものを加筆修正し、3月に公開したブログです。また本人が、事故調査委員会に証言した話に加え、聞かれなかった内容も含まれています。)
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【3】福島原発、爆発
12日朝。
福島第一原発の上空を通過し、北上。そこから以北の惨状たるや、筆舌に尽くしがたいほど。自衛隊基地で給油のためヘリを乗り換え。チヌークで市街地上空飛行。既に朝を迎えているが、外は暗い。雪雲が覆っている為。地上は吹雪。沿岸部で火事。工場のようなところが燃えている。校舎らしき建物の屋上に「水」の文字。机を並べて作られた文字。同乗者に「このシグナルは地上部隊に伝えられるか」確認した記憶あり。自衛隊基地で再度スーパーピューマに乗り換えて官邸へ出発。東京上空は快晴。ビルの合間を抜け、官邸屋上に到着。
屋上から官邸内部に駆け下りる。総理執務室があるフロアに降りたところで、医務官が立派なサーベイメーターを持っていた事に気付く。
「試しに測ってもらえませんか?」と依頼。銀色の棒で体全体を測定。「大丈夫ですね」。知識のないこの時点では、何が大丈夫かわからなかったが、少し安心。
総理秘書官室の自席に戻る。不在だった4時間の出来事を秘書官らから聞く。空腹に気付き、何かを食べようとした時に、ふと「福島原発に行った服装のママでいいのかな」と思った。現地の重要免震棟では、外から来た人間は直ちに防護服を脱いでいたのを思い出す。途端に怖くなる。急いで着ていた防災服と靴を脱いでゴミ袋に入れた。
そして同行していた岡本秘書官と桝田秘書官にも「着ていった防災服脱いだ方が良くないかな」と問いかける。二人も驚いた表情で急いで脱いだ。皆、現地では毅然と職務についていたが、自分と同じように、心の奥に恐怖を感じてたんだな、と思う。総理室に入り、総理にも脱いでもらうよう依頼。しかし「いーよ。別に」と断られた。「総理自身が良くても、周りがダメです」と再度依頼。渋々着替えてもらう。防災服を廃棄。
この日から、総理執務室の隣にある総理応接室が、常設の会議室となった。地下の危機管理センターは携帯電話が繋がらない構造の為、やむを得ない判断。集うのは、総理や、長官、副長官、補佐官の官邸政治家、経産大臣、各省職員、保安院、原子力安全委員会、そして東電幹部、職員。この部屋に外部の人間が出入りする事に、秘書官付きの職員からは相当反対された。なんとか秘書官らと説得し、貴重な装飾品を運び出した。この部屋に、随時、現状の原子炉内部の情報を届けてもらい、関係者が一度に情報共有出来るようにした。
「ダウンスケール」この部屋で一番聞いた言葉。東電から報告される原子炉内部の計器について、よく聞いた。ダウンスケールとは、計器の針が一番下に張り付いている状態をいう。正常に計測されても、ダウンスケールになるし、計器が壊れていても、ダウンスケールになる。例えば水位計。原子炉内部の燃料棒が水に浸っているかどうか調べた時に、「ダウンスケールなので」との報告有り。本当に水位が無いのか、実際は水位があるのに計器が壊れてダウンスケールなのか、わからない。徐々にダウンスケールと言われる計器が増えていった。内部の正確な様子がわからなくなる。
午後、「福島原発の上空で煙のようなもの、との情報有り」。地下の危機管理センターから入った情報を秘書官付の誰かが報告。総理は階下で会議中。秘書官らと「総理にはお伝えしておこう」と決め、総理同行の秘書官宛にメールしてもらう。総理が会議を終え執務室に戻る道中に伝達。執務室では班目委員長らが集まって打ち合わせをしていた。まだ、煙が出ているとの噂レベル。私は秘書官室の自席で作業。
しばらくすると、「4チャン見て下さい!!!!」と、隣の付室から大声。急いで秘書官室のテレビを日本テレビに合わせる。
原発が爆発していた。音は無い。反射的に総理執務室に駆け込んだ。総理が班目委員長や福山副長官らと話し込んでいた。「原発が爆発しています」と慌て気味に報告。テレビのリモコンをとって爆発映像を見せた。班目委員長が「あちゃぁ」と頭をうな垂れる。総理は厳しい表情。前日、班目委員長は「爆発はありえない」と断言していた。しかし目の前には爆発映像。(これは総理、感情的になるかもな)と内心思った。
だが、総理の口調は落ち着いていた。「これは何ですか」と班目委員長に問う。返答は要領をえないものだった。「情報をあげてくれ」総理のこの声は苛立ちが感じられた。爆発なのか違うのか(一時、爆破弁との説すら流れた。ベント成功という意味)。建屋か格納容器か、放射線量は上昇したのかどうか。衝撃的な映像のみが流れ、実態が報告されない時間が過ぎた。
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福島原発の爆発を、官邸はテレビで初めて知ることになった。総理も、地下の危機管理センターの幹部らも。官邸にいた東電の職員すら同様。震災当初から数日、とにかく確たる情報がない状況だった。
テレビ局から聞いた話。この爆発映像は偶然撮れたものらしい。各社、震災前から福島原発宛に無人カメラを設置していたが、震災でどの社のカメラも津波に飲まれ故障した。だが、福島中央テレビ(日テレ系列)のカメラだけが爆発の映像を捉えた。聞けば、中央テレビだけ福島第一原発に向けたカメラを内陸部に設置していたらしい。海岸部は他のテレビ局が既に占めていたために。
そしてこれが、爆発の唯一の映像となる。これを福島中央テレビは直ちに放送。だから福島県民は、ほぼリアルタイムで爆発映像を見たと思う。福島中央テレビは、県内放送と平行して全国ネットの日本テレビに映像を送付。爆発映像を受け取った日本テレビ側は、全国放送すべきかどうか判断に迷い、結果、放送されたのは、映像を受け取ってから1時間後。それを、官邸は見た。
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以後、総理応接室に絶えず関係者が集まって状況を確認し続ける。ホワイトボードが持ち込まれ、
保安院と東電が状況を書き込みつつ随時説明する。東電がホワイトボードに書いたのは1号機から3号機まで。
総理が問う「それで全部じゃないだろう」。
東電「はい、まだ4号機もありますが、点検で燃料棒は取り出してますので」。
総理が苛立ち問う「いいから全部書け」。結果、1号機から6号機まで。加えて福島第二も。
総理「とにかく、パラレルに対応しろ」。
事故発生当初から東電の対応は、1号機が深刻になれば1号機、2号機が深刻になれば2号機に、と、小学生の下手なサッカーのように単一的な行動しかしていないように見えた。その後、最も深刻と言われることになる4号機が最初から記載されないことが示すように。夕方には原子炉への海水注入の打ち合わせが行われていた。私は打ち合わせに参加していない。後に「総理が海水注入を止めた」との報道があったが、それを聞いたときに違和感をもった。
こんなことがあった。事故後かなり早い段階で、総理は東電に「政府で調達して欲しいものをリストにまとめろ」と指示。東電が提出してきたA4紙一枚には、多くの物資と共に「◯◯◯◯◯水」との専門用語が入っていた。
総理が「これは何だ?」と問うと
東電「原子炉を冷やすのに一番適した水です」と返答。
総理「いまは緊急時なんだから、それじゃなくても水だったら何でもいいんだろう?水道水でも、海水でも」。
東電「はい」。
以上のやり取りを聞いていたので、総理が海水注入を止めたと聞いて違和感を持ったのを覚えている。爆発を受け、避難区域の拡大について打ち合わせ。基本的に班目委員長が避難範囲を提案し、避難の実際のオペレーション想定を伊藤危機管理監が行った。昼過ぎの爆発を受け、20キロに拡大。
班目委員長はチェルノブイリとの比較を持ち出しながら、20キロで充分との判断。伊藤危機管理監が、その際の避難人口、病院の数、受け入れ患者数等を把握し、避難に要する時間や人手の算出にとりかかる。政治側は、拡大志向が強い反面、班目委員長は他国の事故や国際基準らを持ち出し抑制志向。20キロも充分すぎるとの感覚見え隠れ。伊藤危機管理監は、拡大する事による膨大な作業量を実務的に懸念しながら指示を受ける。
ヨウ素剤の服用に関して覚えている事。総理と班目委員長と会話。
総理「いつのタイミングで住民に飲んでもらえばいいのか」
班目「いや、それは現地の医者が適時判断するでしょう」
総理「現地の医者が判断出来るのか。医学の専門家であって、原発事故の専門家じゃない。そもそも線量の最新情報を医者が全員持っていないだろう」
班目「いや、現地の医者が判断出来ます」
総理「とにかく行政側から服用のタイミングについて指示を出せるようにしてくれ」
夜には総理会見。原稿打ち合わせ。
【ご了承ください(寺田学)】
主観的な修正はせず、余分な事であっても備忘録の意義も込めて記憶のまま吐き出し、淡々と書きたいと思います。そこには、私の弱さが、そして当時の官邸の善悪諸々が混在していると思います。それが被災された皆様に失礼になるような記述もあるかもしれません。何卒ご容赦ください。
また、記憶をもとに書き記すため、事実として誤った部分があるかもしれません。それを事実を調べながら書くには、個人的に難しいのでご容赦ください。単なる記憶違いは後ほど訂正します。
また、出来る限り実名で書きます。記憶が定かではない場合等は匿名にします。
カギカッコも記憶のママ、書きます。多少の言葉遣いの違いはあるかもしれません。
以上の事、ご了承ください。
(2016年3月11日「寺田学のオフィシャルウェブサイト マナブドットジェーピー [ Manabu.jp ]」より転載)