先日、ある企業の管理職の方とお話をした。彼は「うちの採用のやり方がおかしいんじゃないか」と疑問をもっているそうだ。なぜならば、営業の新入社員たちが、「こんなはずじゃなかった」と思っているフシがあると。新入社員に「売ってこい」というのはハードルが高いだろうと、「興味のあるお客さんと会うという段取りをとれないか」と言うと、新入社員は「お客さんが忙しいかもしれないし」と電話をしないのだという。
営業として入社しながら電話がなかなかできないとは、どういうことだろう。人事が「いいことばかり言っているのではないだろうか」と懸念し、実際に採用の現場に行ってみると、男子学生から「何時に帰れますか」といった質問しかこない。働くという意味をわかっていない学生ばかりだと感じたそうだ。
採用ノルマのある人事にしてみると、そういう学生でも採らざるを得ないのかもしれない。そのため、とりあえず「いいこと」もチラつかせながら「つらいこと」をあえて伝えず採用している場合もあるだろう。いわゆる白い嘘(事実と異なることは言わないが、不都合な事実をあえて言わないこと)をつきながら採用する、というのはどこの会社でも起こりうることである。
一方、学生はどうだろうか。少子化の現在、入ろうと思えば比較的容易に大学に入ることができる。AO入試や推薦入試などを使えば、試験勉強をしなくても入学できる大学は多い。親は「大学くらい出ておいてほしい」と思っており、高い学費を払ってくれようとする。一旦入学すると、卒業するためのハードルもそれほど高くない。つまり、それまで彼らは、望まなくても競争しなくても、何ごとも準備された状況にのっかり暮らしてきているのである。
ところが、大学を出る瞬間、数十社からNoと言われ現実をつきつけられる。大学生の書くエントリーシートの数は平均30社、51社以上出している学生は11%いるそうだ(2013年2月調べ、文系学部生の場合 )。門前払いされ続け、面接に落ち続けるうちに、ようやく「働く場をくれる会社」に感謝できる状態となっていく。
ネット経由の就活が始まった頃から、社会的無駄ともいえる大量エントリーとスクリーニングのプロセスが蔓延している。「学歴偏重は良くない」的な、妙な機会平等的意識もそれを増長させてきた。大量エントリーとスクリーニングにより、学生たちは就活で疲弊しており、それに対する批判もあるし、私も必ずしもこれを肯定しているわけでもない。
しかしこれを、「働く覚悟を持つためのプロセス」として捉えると、意味があるのかもしれない。もちろん、他の方法でその覚悟を持たせてあげることができればよいのだが、なかなかに難しい。
そして企業側も「働くということ」をきちんと覚悟させるための通過儀礼を、要所要所で行う必要があると思う。そう考えると、採用の失敗には2つのタイプがあるのだろうなと。「ポストに対して能力が足りない場合」そして「仕事への覚悟をもたせられない場合」である。この話はまた。