後少しで、毎年恒例の騒ぎが始まります。村上春樹氏がノーベル賞を受賞するか否かという騒ぎなのです。当本人の村上さんは、毎年のノーベル賞候補になる騒ぎを嫌がっているようですが、もちろん受賞となれば大いに喜ぶでしょう。
ノーベル文学賞はいうまでもなく、世界の文学賞の最高峰ですが、1901年で初めて発表されてから歴史を辿ってみますと受賞者の大半が欧米の出身で、アジア出身が5名(インド人1名、中国人2名、日本人2名)、アフリカ出身が4名だけとなっています。
国としては一番多いのはフランスが17名で続いてイギリスが9名になっていて、受賞者の執筆言語は、英語27名、フランス語15名ドイツ語13名、スペイン語11名、スウェーデン語7名、ロシア語6名、イタリア語6名、ポーランド語4名、デンマーク語3名、ノルウェー語3名、中国語と日本語とギリシア語は各画2名で残り13言語いずれも1名になっています。
上記のように、日本文学は史上で川端康成と大江健三郎という2名しかノーベル賞を受賞せず、しかも過去四半世紀に於いて、その栄光から遠ざかっています。その理由は何なのでしょうか。
僕はそのもっと重要な理由は、日本の書籍が外国語に翻訳されていないことだと思います。
過去30年の間、日本では約150万点の書籍が刊行されたと言われています。にもかかわらず、外国語に翻訳されたものは僅か1.9%だけなのです。2%にも満たない状況です。
ノーベル賞受賞は目標だということではないのですが、やはり一つの指標だと考えれば、日本はもっと世界に向けて自分の文学をアピールする必要はあると言いたいです。特に日本の文学は非常に高い価値が含まれているものが多く、漫画やアニメのように世界中で高い評価されるに違いありません。しかし、日本の出版業界はあまりにも日本国内の市場だけに自ら縛りをつけ、全世界を相手にするという巨大な市場のチャンスを放棄している状態が続いています。
更に世界を相手にするというと、真っ先に英語圏と絞り込む風習があり、英語さえに翻訳されれば世界制覇できるという思い込みを否めません。そういう意味で上記の諸外国語に翻訳された1.9%の殆どはもちろん英語が大半を占めているわけです。残りは大体フランス語や隣国の中国語と韓国語になります。英語以外の翻訳の多くは相手国の団体あるいは個人の強い熱意に基づいてなされる努力の成果に過ぎぬものですが、やはりその数は僅かです。
世界人口の大きな割合を占めているその他の言語の場合はどうでしょうか。
例えば中南米の使用言語であるスペイン語や23の国と地域を母国語で、53の国と地域(イスラム諸国)が第二の言語として使われているアラビア語はどうでしょうか。
僕の専門外ですが、ネット上で調べてみると、日本語からスペイン語に翻訳された書籍の点数は約1千点になっています。
僕の専門であるアラビア語翻訳は正確なデータはさらに乏しいものです。
推定4億人が母国語として使用し、第二言語として使う人口を含めると10億人を推定されるアラビア語への日本書籍の翻訳の実態を自分で調べてみましたが、内容は下記の通りになります。
過去30年どころか史上に日本語からアラビア語に翻訳された書籍の数はなんと100点未満しかありません。しかもその全体の70%以上は英語やフランス語を通じた二重翻訳で、残りの30%以下は日本語から直接アラビア語に翻訳されたもので、2000年代以降のものです。
その書籍の中身を見てみましょう。やはり文学の書籍は断然トップで全体の約92%を占めています。その文学作品の内訳を更に見てみますと、長編小説が全体の74%と短編小説が14%と演劇が4%となっています。
その作品の作者については、最も人気があるのは上記に出てきた村上春樹と並びに三島由紀夫と川端康成の3名はトップを占めています。それぞれの約10作がアラビア語に翻訳されています。その次アラブ人に人気があるのは、大江健三郎、太宰治、芥川龍之介、阿部公房の4名の作者です。後は大体一作か2作だけ翻訳されている日本人作者です。
つまり、トヨタやソニーといった最先端技術などで有名な日本から、本を翻訳しようと思ったアラブ人は、その9割以上を文学作品にしています。それを考えてみるとやはり日本はもっともっと自分の文学を世界に向けて発信すべきだと思います。
最後になりますが、今年こそ村上春樹さんが受賞しますように!