24歳の夏休み。進んでいく時間と、おいてけぼりな私。

私たちは同じ夏を、何度も何度も、繰り返す。
NOBE MAHORO

中学校の授業で、初めて人生プランを書いた。

「22歳で結婚」「25歳で3人の子供」

何の根拠もないのに、当時の私は自信をもってそう書いた。

今年私は、その「25歳」を迎えようとしている。

「結婚かあ」リアルになってきた"結婚"も、私にとってはまだまだ先のこと。

「出産?想像できないよ」同い年の子が立て続けに"ママ"になっていくのを、どこか他人事に思っている自分もいる。

中学生の私にとって「25歳」は立派な大人の女性で、まだまだこない遠い未来のことだった。だけどあっという間に「25」という数字は訪れようとしていて、想像していた毎日とは違う日常を、今送っている。

NOBE MAHORO

社会人2年目の夏休み。久しぶりに実家の島根県に帰省した。

ここ最近は、慌ただしく会社と家を往復する毎日で、暑さを感じる余裕もなかった。

帰省して、空気を吸い込んだ時の夏の匂いや、ゆっくりと沈んでいく綺麗な夕焼けを見て、やっと夏を実感する。

暇を楽しむのが「休み」なのに、この毎日があまりにも特別すぎて、何もせず家でテレビを見る時間さえもどかしい。

夏のオシャレを楽しもうと慌てて買い物に出かけると、既に「秋」は始まっていて、私は季節の流れに追いつけていないんだと気づかされる。"Sale"と書かれた棚に追いやられた「季節外れの洋服」たちが、どことなく自分と重なって見える。

カッコよくて憧れだった甲子園球児は、可愛い弟たちを応援する気持ちで見るようになった。

1周走るのが苦しくて、すごく広く感じていた中学校の校庭は、思っていたより小さかった。

定期的に会っていたはずの両親も、ゆっくり目を見て話してみると、目の下のシワや隠れた白髪が急に気になり、お互い着実に歳を重ねているんだと実感する。

「またね」と何気なく友人と交わしていたのに、次会うときには自分の年齢が一つ上になっていると思うと、一年の大きさや、「またね」の重みを感じるようになった。

おばあちゃんは、実家に帰るといつも玄関に走って出迎えにきてくれて、帰る時には車が見えなくなるまで手を振り、涙を流していた。毎朝一緒に、おじいちゃんがいる仏壇に手を合わせていたはずなのに、今はその横におばあちゃんの写真があるという違和感もだいぶ薄れた。

だけどふと、家のどこかにいる気がして、また声が聞こえてくる気がして、家を出たあと車のバックミラーを覗いてしまう。誰も映っていないと分かっていたけれど、急に寂しくなって会いたくなる。

久しぶりに、親戚のおじいちゃんのお家に遊びにいった。耳の遠いおじいちゃんは、会話になっていないのにいつもすごく楽しそうで、いつだって大声で笑っていた。

だけど今日は、そのおじいちゃんの家に行ってもおじいちゃんは出てきてくれなかった。通された部屋には、やせ細ってベッドに横たわるおじいちゃんの姿があった。

目を開けてくれないおじいちゃんに、「来たよ」と何度も話しかけると、聞き取るのがやっとなくらい小さな声で、「ありがとう」と返してくれた。

最近会った気がしていたのに、この前会ったのは一年以上前だった。私も、おじいちゃんの時間も、思っている以上に進んでいたことに愕然とした。「また顔見せにくるけんね」そう言ってその日は自宅へ帰った。

それが、最後の会話だった。その3日後におじいちゃんは亡くなった。

「また」はもう二度とこないかもしれないと、私たちは何度だって学ぶ。

毎日走り続けている中で、ふと時間が止まったときに、やっと今の儚さを知る。

走り続けた時間が長ければ長いだけ、時は一瞬にして現在まで進み、自分も周りも、気づかない間に歳を重ねている現実に直面する。

「今を大切に」というのは無謀でありきたりな言葉だと分かっていても、何度だって誓ってしまう。

私たちはそうやって、同じ夏を、何度も何度も、繰り返す。

友人との思い出話は、いつしか人生の大きな節目を迎える報告に変わった。仲良しな子の結婚、妊娠の報告、育児話。

「自分の時間が全くないよ」「自由な時間がほしい」そう言いながらも、最終的には幸せだと穏やかな顔をする友達を、どこか羨ましくも思う。

友人の話を聞いて、時間の流れの早さを思い出して、やっと自分の人生を考え直す。私の人生、何がしたいのかな。「自由な時間」って、あとどれくらいなんだろう。

————— 私、本当にこのままでいいんだっけ。

「本当にしたいこと」を考えたいと思っていても、毎日を過ごすのに必死で、頭の片隅に追いやっていた。

やりたいことはたくさんあるけど、今あるものを辞めてまで成し遂げたいことがあるかと聞かれると、分からない。今がすごく嫌なわけでもなく、今に満足している自分もいる。

何をやるにも、お金を貯めなきゃと思う。だけど、お金が貯まるのを待っていたら、どんどん歳を重ねていく。

ただ前を見てひたすら走ってきたけど、いよいよ、人生を逆算して考えないと「間に合わない」気がして、急に焦り出す。今のこの時期、何を優先していいのか分からない。

今の社会、色んな「しあわせのカタチ」があるから、縛られなくていいんだと自分に言い聞かせる。

でも中学校が終わると自然と高校が始まって、高校を卒業したら大学に行き就職するんだと知っていた。

そうやって人生の区切りはいつも決まっていて、次に進むべき方向も用意されていたはずなのに、これからは自分で区切りを決めて、選択肢も自分で一から作らないといけなくなった。突然放り出された気がして、そもそも進み方が分からない。

地元では、「成長」「変化」「意義」そんな言葉がまるで存在しないかのように、優しい空気がゆっくりと流れている。

「やりたいこと」を追い求め続けないと生きづらい毎日は、本当は当たり前なんかじゃないんだと知って、一瞬気持ちが軽くなる。だけど私はまだ、見えない何かを追い求めてしまう。

中学生の私が当時描けなかった「26歳以降の私の人生」も、きっと知らない間に始まっている。

私はきっと、また明日から始まる東京の生活に追われて、季節の移り変わりや私たちの小さな変化の積み重ねにも気付けないまま、追いつけない頃に現実を知って、何度も悲しくなるんだと思う。

毎日もっと好きな服を着て、おいしいものを食べて、「ありがとう」と「ごめんなさい」をもったいぶらないように。走りすぎていると感じた日には立ち止まって、ゆっくり、深く、深呼吸をしよう。

そして、自分のいる場所や、周りの変化に気づけなくなったら、何度だって帰ってこよう。

今年の夏も、また終わる。

重たい腰を持ち上げて、秋に向かって、私はまた走りだす。

NOBE MAHORO

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