これを言ったことを後悔するかもしれないのはわかっています......でも、専業主婦でいることが嫌なんです。
どうかバールのようなものをもって私を追いかける前に、私のことを説明させてください。
私は家にいたいと思っていました。子供がいて、家にいて、このうえなく幸せに、1日中、子供に寄り添いながら大事に育てることを夢見ていました。私はたくさんの育児書を読みました。それは、子供たちにとって有益なことを説明しているものです。この子供たちとは、家に両親がいる子供たちのことでした。
数え切れないほどの記事があります。それは、家で自分の役割を大事に果たしている母親によって書かれたものです。この母親たちは、美しく綴ります。その内容は、なぜ専業主婦が世界で最も大変で、やりがいのある仕事なのかについてです。
私は、この女性たちが書いていることすべてに賛成です。でも私は、私に専業主婦のかけらが欠けているのではないかと恐れています。私が同じように感じたことがなくて、感じていないからです。私は、自分が働く理由を、頭の中で何度も何度も考えました。そして今、悲しく感じています。私は家族のために働けなかったからです。
私は、マミー・ウォー(ワーキングマザーvs専業主婦の争い)の一員ではありません。私は普通の母親で、決して腰を落ち着けて専業主婦になることはできないと、十分に自分を知っていました。どんなに私が息子を愛していても。
次は、私が専業主婦であることの不完全なリストです。
お金
みんながお金について考えなければなりませんが、ほとんどの人は、このことを大っぴらに話したがりません。世の中には、家にいるだけの金銭的な余裕がない女性(と男性)が多くいます。単純に家にいる余裕がない人たちのことです。私は、ある意味では幸運でした。私たちは1人の収入でやっていけたからです。
そんなわけで、1人の収入で暮らすことは、あなたのキャッシュ・フォローに打撃を与えるでしょう。妊娠と出産は高額です。育児はお金がかかります。家にいることで少しの育児費用を節約することができますが、とくに2人以上の子どもがいる場合は大変です。
子供がいると、個人の出費はあまり重要ではなくなります。でも、あなたはそれでも人間らしくありたいと思います。私は、夫が苦労して稼いだお金を自分の髪染めやネイルケアに使うのを心地よく思いませんでした。夫が、私に何度「大丈夫だ」と言っても、私は罪悪感を感じるのと止められませんでした。同じ理由で、自分の洋服を買うのにも苦労しました。
他の専業主婦たち
専業主婦たちは、人口における興味深い小集団です。彼女たちは、教養があり、人付き合いのよい傾向にあります。でも、間違いなく、専業主婦はちょっと競争心が強かったりします。
私たちがそれを認めようと認めまいと、私たちはいつも自分自身と他の女性を比べています。あなたは、誰がすっかり産後太りを(元通りの体重に)落としたとか、誰がまだ奮闘しているかを知ります。あなたは誰の夫が外科医で、誰の夫が普通の男かを知ります。これは女の子の思考です。
人気リアリティ番組「リアル・ハウスワイブズ」は、美しく恵まれた女性を称賛するのに貢献します。誰が裕福で、きらびやかで、豪邸で美しい子供たちに囲まれて生活したくないでしょうか? もし私にフルタイムのベビーシッターを雇う余裕があれば、ぎゃあぎゃあ騒ぐ子供たち全員を受け入れたでしょう。
私はそのことに不安を感じていて、家にいるときに大人との交流が必要でした。自然と、他の母親たちに惹きつけられ、いまも定期的に交流が続いている素晴らしい人たちにも会いました。また、本当に"不十分"だと感じさせる人たちにも会いました。
過剰な期待
家にいることは、育児や家の管理に専念するということでした。それは、夫が家事から解放された日々のなかで、夜よく眠れて、仕事に行くことができるようにするためでした。
週の仕事は、お風呂やキッチン、生活スペースの掃除で、洗濯は毎日しました。食事は、一日おきに前もって計画して準備しました。そして、その間の日、家族は残り物を食べていました。私はそのすべてをこなしていました。
けれど、私はいくつかをこなせませんでした。私は、家のなかの動物の毛に執着し始めまたのです。それは、私が出す食べ物の品質と同じようでした。わたしがどれだけたくさん洗濯しても、いつももっとありました。私は途方に暮れたネズミのように感じました。
私は、完璧な、埃のない、完全な装飾をした家を作れないと、自分自身を叱っていました。
恐れと憎しみ
私の息子は、夜泣きする手のかかる子で、抱かれたり、食事を与えられたりしていないときは、いつも泣き叫んでいました。寝ているときも泣き叫んだのは、ただ私に油断させないためだったのではないかと、私は考えています。医者の診断によれば、彼は健康で、私は彼を昼も夜も世話し、必死に彼を落ち着かせる方法を探しました。
私はあまりにも多くの時間を泣くことと育児に費やしたので、私はしつけにまったく向いていないと信じ始めました。それが終日だったのは言うまでもありません。結局、彼はあまり泣かなくなりはじめ、私はより眠れるようになりはじめました。でも、その最初の方の記憶は私を決して放っておきませんでした。
あなたが子供たちと一日中一緒にいるとき、そんな状況でなければしないことを執拗に繰り返したり、心配したりする可能性があります。私はプラスチック製品に含まれる危険な物質の心配をしていました。息子のおむつかぶれや湿疹、熱、窒息も心配でした。息子の発達や予防接種のことも心配しました。
私の脳は、火事が起きたみたいになっていました。
朝、夫が仕事の準備をするのを見ていると、腹立たしく思いました。彼はこの家を逃れて、他の大人と交流する機会があるのに、私にはありませんでした。また、彼は誰にも乳首をかまれずに夜ぐっすり眠っていました。夫の行動のすべてを、自由のない私と比較してしまいました。
感情というのものは理性的ではないかもしれませんが、たしかに存在するものです。
家で2年と少し過ごしてから、私は決心をして、パートタイムの仕事に戻ることにしました。私は少しの抵抗され、実際に誰かに言われました。「あなたの夫があなたを働かせていないなら、本当は働くべきじゃありません」
家にいることは、働くよりもはるかにストレスでした。"みんなのため"がすべてなんだ、と自分に課したプレッシャーが、私を自分自身から完全に切り離してしまったのです。自分のなかに沸き起こる感情をふり払うことができませんでした。その感情とは、私が親として、妻として無力なのだ、というものでした。
みんなが決心をしなければなりません。その決心は、私の個人的な状況だけでなく、家族にも役に立つことです。女性たちが、目に見えない無言のプレッシャーについて、もっと心地よく話せればいいのにな、と思います。私たちが感じる、母親として、自分自身を後回しにしなければならないプレッシャーです。
家にいることは、私にとって健康的な選択ではなかったので、私は仕事に戻ることを選びました。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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